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読売新聞朝刊 1988年1月16日
編集手帳
 
 目を伏せ、細い声で記者団の質問に答える「蜂谷真由美」を、テレビで見た。アイシャドーをし、唇には薄く紅もさしていた本名金賢姫(キム・ヒョンヒ)は「私は、だまされていた」と語った◆韓国の捜査当局が公表したところによると、この二十五歳になる女性は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の特殊工作員だという。服毒自殺した「蜂谷真一」こと金勝一(キム・スンイル)は上級工作員で、二人は父と娘を装い「対南工作」に従事した、としている◆百十五人もの貴い人命を奪った爆弾は、携帯ラジオに見せかけた時限装置と酒びんに入れた「液体爆発物」だった。爆破は、金正日・書記直筆の「指令書」によって行われた。九月に迫ったソウル五輪開催の“妨害”が目的と捜査報告書にある◆金賢姫は、スパイ養成機関などで徹底的に訓練された。名前通りの秀才で、熱烈な労働党党員と伝えられている。韓国民は悲惨な生活を強いられていると思想教育を受けた彼女は、ひたむきに工作に打ち込んだのであろうか。その幻想が、自分の目で確かめることで崩れたらしい◆東南アジアからヨーロッパに及ぶ工作舞台、七年八か月という長期訓練の内容は、おどろおどろしさに満ちている。事実は小説よりも奇なり、とはこのことだろう。バクダッドの空港では、いったんラジオの乾電池を見とがめられたものの「勝一」の抗議ですりぬけている◆在日本朝鮮人総連合会は、事実無根と否定した。まだ事件の全容が解明されたわけでもない。だが、公表の中身は世界に強い<衝撃波>を広げた。
 
 
 
 
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