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「剣道をとおして得たもの」
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宮崎県宮崎市
北辰館
中学三年生
塩月大輔
 
 僕が剣道を始めたのは小学校2年生の時である。母に連れられ、自宅のすぐ近くにある北辰館道場に見学に行った。皆が大きな声を出し、ぶつかり合いながら稽古している姿を見た時、正直言って「僕には無理だ。できない。」と思った。
 そんな自分の気持ちとは裏腹に、母の「どうする?」という問いかけに思わず「やってみる。」と口走ってしまったのだ。僕の後悔の日々の始まりである。
 剣道の稽古は、お世辞にも楽しいとは言えない。先生方からは毎回同じ事を注意される。あまりに厳しい言葉を言われ泣いたこともある。道場に行く準備をしながら、「行きたくない、やめたい、といつ言おうか 。」今思い出すと、あの頃は剣道に対してうしろ向きな事ばかり考えていたような気がする。
 しかし、日々の稽古を重ね、先生方や先輩方と向き合ったり、様々な試合等で対戦相手と向き合っていくうちに、自分自身の気持ちが変化してゆくのを感じた。病気やケガで稽古を休まなければならない時、不思議と「剣道がしたい。」と思うようになっていたのだ。
 そして、小学校六年の全国大会地区予選会の時、僕達のチームは団体戦で優勝し、武道館出場のキップを手にした。初めての優勝経験に、僕はもちろんのこと、周りの誰もが舞い上がった。宮崎県からは他のチームも出場したが、それでも僕達はトップで行けるんだと得意になっていた。
 しかし、全国大会ではまさかの一回戦負けをしてしまう。あの時の小八重先生の淋しそうな顔は今もはっきり覚えている。悔しいというより勝てなかった自分が情けなかった。きっと優勝したことでおごっていた自分達を神様が戒めてくださったのだと思う。
 その後、僕達のチームは同じメンバーで二度優勝できた。でもその二回の優勝は、最初の優勝とは違い、どの試合もギリギリの状態で勝ち上がっていった。誰かが負けた時は他の誰かが頑張り、何とかつないで代表戦で決める。そういう試合ばかりだった。苦しい戦いばかりだったからこそ優勝できた時の喜びは、初優勝の時とは明らかに違った。チーム全員の気持ちが一つになっていたのを感じた。
 一緒に泣き、一緒に笑い合った仲間達、遊び仲間では味わえない大切な時間を、この五人で共有できたことは僕にとって幸せな事だと思う。
 その後中学生になってからも僕はあたりまえのように剣道部に入部した。
 道場の稽古と部活動とで、毎日剣道をする日々が始まった。土、日は他の学校に出向いたり、または我が校に来てもらったり、という練習試合等も多くなった。いくつかの高校の練習にも参加させてもらったりもした。その事は、それぞれのチームカラーを感じ取り自分達も見直す良い機会となった。確かに剣道は強いが礼儀がなっていないチーム、だらだらしてやる気のないチーム、礼儀もすばらしく剣道に対しても一生懸命なチーム……、どういうチームに魅力を感じるかは一目瞭然、自分達もそういうチームづくりをしたいと思って皆で頑張ったつもりだ。
 そうすると、不思議なもので、他校の先生方や先輩方が「頑張れよ。」と声をかけてくださったり、いつもは敵として戦う他校の生徒が、「試合どうだった?」と話しかけてくれたり、という機会が多くなってきた。
 「類は友を呼ぶ」という言葉があるが、剣道をやっていなければまったく知らない間柄だったはずなのに、剣道という武道をとおして知り合えた大切な人達だ。
 自分を高めるために、僕は一生剣道を続けていきたいと思う。僕に剣道を教えて下さった小八重先生をはじめ他の先生方や、剣道をさせてくれた両親に感謝しながら。








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