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小学生の部 
最優秀賞 近畿地区代表
「仲間と共に強くたくましく」
和歌山県日高郡・弘武館川辺道場
前田和亮(まえだ・かずあき)・小学6年生
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「どうして剣道に入ったの」
 全国大会出場が決まった日の夜、母が聞きました。母がぼくに聞くには、理由があります。
 それは、今から4年前、ぼくが2年生の時のことです。6月より9月までの間、突然ぼくは、学校へ行けなくなりました。学校へ行かなければと思っても、行けないのです。どうしてなのか、ぼくにも分かりません……。
 毎日ひとりで家にいました。母が仕事を持っていたからです。一週間後、祖母が来てくれました。ぼくのために、母が呼んでくれたのです。しかし、ぼくの心は、ばく発していました。家で、かべや戸に向けて、物を投げました。だまってかたづける母を見るのがつらかったです。それでも、母に「おまえ」「早くこい」などと、暴言をはきました。父母の職場にも、電話を入れ、父母をこまらせました。いつ学校に行けるようになるのか分からない不安に、心はつかれ、やぶれてこわれてしまいそうでした。昼間は、じっと家で自分を殺したようにしていました。学校が終わるころになると、ホッとして、友達の家に連れて行ってもらいました。
 夜、ぼくは、母のそばでねていました。わが子のかわいいね顔を見ながら、この先、この子は、どうなるのか、外に出ることなく終わるのかという不安から、ぼくの首に、母の両手がのびそうになったこともあるそうです。
 いつまで続くか分からない、暗いトンネルの中で、明かりを求め、ぼくも、父母も口にはださないが、毎日泣いていました。
 ある日、ぼくは、「剣道に入りたい」と父母に言いました。すぐに道場に連れて行ってくれました。大きいお兄さんが、先生のきびしい指導を受けていました。床にたたきつけられても、口をむすんで、先生にぶつかって行っていました。何回も何回も……。お兄さんは、へこたれずに……。
 帰りの車の中で母に「あのお兄ちゃんも先生も面の下で泣いていたと思う」と言ったそうです。
 それからのぼくは、学校に行けないが、週2回の剣道の練習に行きました。学校の体育館に入るのに勇気がいりました。泣きながら入った日、母に背中をおされて入った日……。2ヵ月余りは、本当にしんどかったことを思い出します。
 先ぱい達は、新入り、新入りと言って、ぼくの頭をなでてくれたり、面タオルのつけ方を教えてくれました。先生は、面タオルを忘れた時は、かしてくれました。また、足にしもやけができて、見学しようとした時、何も言わずに、自分の足のあかぎれにバンドエイドをまいた後、「足を出せ」と言ってまいてくれました。練習の時は、鬼のように見えます。しかし、折にふれ、ものすごいやさしさにふれます。
 ぼくは、少しずつ少しずつ、体育館にスムーズに入れるようになりました。それと一緒に、すんなりとはいかないが、学校にも行けるようになりました。
 本館の友達とチームを組むようになり、練習もきびしくなりました。床にたたきつけられ、涙をながす日も多くなりました。もうやめたいという気持ちに、何回もなりました。でも、友達もがんばっている……。先ぱい達も……。もう少しだ、もう少しだと自分の気持ちに言っていました。試合も練習も多くなりました。友達と遊ぶ中でぶつかり合いました。きずつき泣いた日もありました。しかし仲なおりもしました。
 このように剣道をとおして、ぼくは、元気に登校でき、立ち直ることができました。学校では、児童会長をやらせてもらっています。休けい中や授業中にも、ジョークを連発しています。
 試合を何回も重ねることで、きん張に打ち勝つ力が知らず知らず身についてきたから。そして、やさしくはげまし、接してくれた先ぱい達。遊びの中で、ぶつかり合い、ゆるし合い、仲直りできる仲間や後はい。また、きびしく、時には、親切に、人間のルールを教えてくれた先生。後押しをしてくれた家族があったからだと思います。
 最後に、母の「どうして剣道に入ったの」に答えたいと思います。
 「強くなりたかったから。心身ともに強くなりたかったから」と。
 剣道を続けてきて、今、心も身体も少し強くたくましくなりました。自分自身にも少し自信を持つことができました。今の自分が好きになりました。
 これからも練習をつみ重ね、剣道四段を取り、審判員になる夢を実現させたいです。








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