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解説
千代の恵
深草検校作曲 津田道子復元
 
 宝暦7年(1757)刊行の「新曲糸の節」に、初めてその曲名を見る。石村・虎沢両検校、あるいは柳川検校作曲・補調の先行の「三味線組歌」と区別して、「新組」と分類。「深草検校調、早崎流(早崎検校創流の三味線の流儀、京都で広まる)にありて 野川の流儀(野川検校創流の三味線の流儀、大阪で広まる)にこれなし」と述べている。京都においてのみ演奏された曲。天保7年(1836)刊行の「新大成糸の調」では、「裏組の附」と分類している。
 曲の大部分は、意図的に「琉球組」の手と同じで、歌詞のみ異なる(歌詞も一部同じ部分もある)。琉球と合奏する場合、一部分省略して演奏する。
 どの三味線組歌とも同様に、音楽的には優雅に聞こえる半面、同旋律、同リズムあるいはよく似た旋律が続くゆえに、退屈に感じられるかもしれない。「諸撥」(もろばち)と呼ばれる、絃を弾いてすくう手法が、かなり頻繁に使われている。これは「三味線組歌」の「表組」全体に通じる特徴であり、野川流では「テレントンもの」と呼んでいる程である。
 「千代の恵」は津田道子が、三味線組歌の古譜「五線録」より復元したもので「三味線組歌全集」に 「菊原初子」氏の「野川流琉球組」との合奏で収録されている。
 
菜蕗
八橋検校
夕の雲
菊岡検校 あるいは光崎検校
 
 「菜蕗」は「八橋13組」の第一曲で「表組」に属す。「越天楽」とも言う。箏組歌の前身ともいわれる「筑紫箏」の同名曲と歌詞はほとんど同じである。曲名は第一歌の「ふきといふも草の名 みようがといふも草の名……」よりとられている。
 歌詞は、初めに君の恵みあまねきをうたい、春の花・秋の月・長生不老の賀を喜び、琴の妙感を示した限り無くめでたい唱歌。7首よりなり1歌は64拍より構成されている。曲調・歌詞ともに格調たかい曲である。各歌の初めの「掛け爪」の用法、終止の旋律型など、箏曲では最も典で以的な形式性をもつ。箏歌曲の出発点として歴史的に重要である一方音楽的にも傑作である。
 「平調子」で作曲されている。
 
 「夕の雲」の歌詞は愛する人への追慕の情が述べられている。京都清水某の作詞。
 「二上り」の三絃曲で「菜蕗」と合奏出来るように作曲されている。明治3年(1870)刊行の「新うたのはやし」に「平安清水某述、菊岡検校調」と記されている。一方「光崎検校」が「箏曲秘譜」の禁板にあいこの曲を作って、余憤をもらしたという説もあるが、それを認めるは根拠はない。
 箏曲復興の精神から三味線に隷属しない箏曲を作曲した「光崎検校」が、昔より神聖視され、箏曲としての独自性をもった箏組歌に合奏する三味線曲を作曲して、古典を犯し、かつ自己の主張と相反する行動をするかと言う点に疑問がある。
 京都では何故か演奏されず(京都の職屋敷に属し、箏組歌を重要視して伝承した検校の機微に触れ、検校にはなじまない曲と考えたか)、九州に伝承されていたものを戦後演奏するようになった。
 
 「八橋検校」(慶長19−貞享2 1614−1685)は俗箏の祖といわれる人で歌曲形式の箏曲「箏組歌13曲」と純器楽曲の「段物」の作曲で知られている。
 「菊岡検校」(寛政4−弘化4 1792−1847)は三味線演奏家「松浦検校」に続く地歌京物の作曲者で数多くの曲を作曲している。その旋律は繊細で美しい。
 「光崎検校」(?〜1853 ?)は文化・文政より天保にかけて京都で活躍した地歌・箏曲の名手でその作曲も多い。光崎の作曲における特色は、三味線を用いない、箏だけの新しい新形式の箏曲を作ったことである。即ち従来の地歌形式の曲も作ったが、新しい形式の箏曲を作曲したことである。
 
春日野
市川検校 津田道子復元
 
 三下り長歌。歌詞は、「春日野の若紫の擂衣」で始まるが、曲名はこれよりとられたか?珍しく「井原西鶴」の作詞。「伊勢物語」の初冠の段を綴っている。
 「大幣」(貞享4年 1687以前成立か)に新曲として歌詞が初出、「松の葉」以降のものとは、歌詞に多少の異同がある。
 何時の頃まで演奏されたかはわからないが、「律呂三十六声麓の塵」(享保18年1733)より、津田道子が復元した。
 長歌らしい趣をもった旋律が続く。初めは「三下り」ついで「本調子」、最後に「二上り」に転調して曲はおわる。長歌ものとしては、転調が多い曲である。
 
五十三次
 勢州某作曲 二世 津山検校改調(歌曲時習考)
 
 歌詞は揚屋の酒興に、道中双六をして遊ぶ様を歌ったもの。双六の五十三駅を京都より江戸入りり江戸入りまで、巧みに纏めてある。道中双六ともいう。歌詞は伊勢音頭の形式であるから、元は伊勢音頭であったかもしれない。但し現存する伊勢音頭資料では見あたらない。(上方演芸辞典 前田勇編)
 安永頃、勢州某の作詞、作曲、二代目津山検校が改調したと歌曲時習考に記載されている。歌詞は歌本により多少異なる。
 三味線は、三下りでとうしている。半雲井調子の箏の手付けのある事は記録にはあるが京都では現存しない。
 
初秋
津田青寛作曲
 
 歌詞は「古今和歌集」の「秋」の部より三首用いている。
 昭和4年9月の作。
 地歌形式を踏襲した三部構成の歌曲であるが、「序奏・前歌・枕・手事・散・後歌」より構成された、三味線・箏の合奏曲。三味線・箏ともに津田の作曲。
 三味線は本調子、箏は(低)平調子で通されている。前歌・後歌ともに、歌詞だけではなく、歌の節回しでも秋を歌っている。また手事は、直接の秋の風物の描写はないが、その旋律の流れが、初秋の心を表現している。
 津田青寛としてはめずらしく、三味線を用いた曲である。八重崎の後裔、下派の箏曲家とは云いながら、三味線組歌に精通していたことは、曲のはじめと終わりに、柳川流三味線組歌表組の手法を採っていることが示している。
 
桂男
菊岡検校 八重崎検校 津田青寛 復元
 
 歌詞は 秋の風物を叙したもの。後楽園明居(幕末の三井家の当主。三井次郎右衛門高英)の作詞。
 地歌。手事。京もの。
 「京もの」の特徴をすべてそなえた「手事もの」で、前歌{前歌I・前歌II} →手事{手事・散・中散・後散}→後歌 の三部構成。上にも記したように、それぞれの部は複雑な構成をなし、そのうえ「菊岡検校」独特の旋律の美しさがあり、この特徴を「替手式」に手付された箏がよく生かしている。なお「手事」は虫の音を移したものといわれている。
 三絃は「本調子」ではじまり、後歌で「二上り」に変って曲は終わる。箏は「半雲井調子」ではじまり、前歌IIで「平調子」、「手事」半ばで「半雲井調子」に戻り、「後歌」でふたたび「平調子」となる。
 「菊岡検校」らしい美しい繊細な節付けと、秋を思わせる「手事」の運びを、「替手式」の箏の手付がうまく和しているのが特徴。
 別に「津田青寛」手付けの三味線の地をつける。
 この曲は、菊岡の特長を表す、美しい旋律のものであるにもかかわらず、廃曲となっていた。これを惜しみ津田青寛が、大正半ばに復元して、演奏されるようになり、現在に至っている。
 
葵の上
木の本屋巴遊
 
 歌詞は「能」の「葵の上」の「クドキ」から「段歌」までをとったもので、「葵の上」六条御息所の怨霊の下りに加筆したもの。
 謡もの 三下り
 今回は箏を入れないが、箏は「低平調子」で「替手式」手付。旋律が平板でありながら、手が複雑であるので、難曲の一つ。この曲のきかせ所は、三味線の旋律を、箏がいかにあやどって行くかにある。同じ題材の「梓」とは、また異なった趣を持っているが、構成面よりみると、この曲の方が平板である。
 「千恵の一重」(1882刊行:箏の譜本)に箏「替手」は「河原崎検校」と記載。
 今回は、三味線の響きを重んじて、柳川流三味線のみの合奏とする。平板な旋律を如何にあや取っていくかが、課題である。
 
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