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人体解剖実習を終えて
 楠本 敦旨
 人体解剖実習は、一般人には、道徳的にも法的にも許されないものであり、医師と歯科医師を志す学生のみに認められた行為である。人体解剖実習を終えて、私達医学部生は何を学んだのであろうか。
 私達は三ヶ月半に亘り、途中では幾つかの試験を抱えながら、ほぼ毎日、御遺体と向き合い解剖実習に取り組んだ。毎日白衣を着て人体解剖学実習書、解剖学アトラスを持ち、真冬の冷たい実習室に向い、その日の目標を淡々としてこなしていく。一日が終り実習室を出る頃には、日も暮れており、遠くに見える街の灯りと、錦江湾に浮かぶ桜島を眺めながら自宅までの坂道を歩いて帰るのが常であった。帰る途中で、日を追うごとに増していく全身の疲労感を覚えながらも、その日剖出した神経や血管を、頭の中で整理する。時には、御遺体について生前の人物像を想像したりもした。家に着くと、その日一日を洗い流すかのようにまず風呂に入り、食事を摂る。気がつけばその場で、うたた寝をしている。疲れた体に鞭打って今度は机に向かい、その日の復習と、翌日の予習を行い、いつのまにか朝を迎える。こうした一連の繰り返しが、一種の儀式の様なものとして感じられるようになっていった。
 三十七歳にしてそれまで築いてきた歯科医院を閉鎖してまで選んだ医師への道に、迷いが無かった訳ではない。だが私にとっては、この過酷な毎日の中で、確実にその迷いは消え去っていった。一回り以上も若い同級生達が「私達は、御遺体や御遺族の方々に何も出来ないが、せめて予習をして実習を精一杯行わないと失礼である。」という熱意に感動し、医療人を志した頃の初心に返って、すばらしい同級生とともに医師を目指す喜びを新たにした。
 この様な人体解剖実習を通して、私達は、人体の構造や機能の全体を、統合的に捉える事が出来るようになったと同時に、医師としての心構えを身につけた。医師はどの様な状況におかれても、感情に流されること無く、淡々として医療を行える精神力の強さも要求される。肉体的、精神的に辛い時でも、医師としてのアイデンティティを見失わずに患者と接し、救命に最善を尽くす能力が必要である。今回、解剖実習をやり遂げたことで、全力を尽くして、幸いにも人命を救うことが出来た時にも似た充実感、達成感を味わうことが出来た。又、多少なりとも目標とする医師像に近づき、今後、医学生としての自信にもつながった。








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