日本財団 図書館


解剖学実習を終えて
 山口 絵美
 実習が始まって、約一ヶ月間は本当に辛い毎日だった。予習をやってもノミナ(解剖学用語)はすぐ忘れるし、何がどうなっているのかイメージもつかめない。実際御遺体を前にすると、頭が真っ白になり、自分では何もできなかった。作業が遅れ記録も溜まって気持ちだけが焦り、御遺体の発する言葉に耳を傾けようとしていなかった。自分の弱さ、無力さを見透かされているようで、御遺体と向かい合うことが怖かったようにも思う。
 作業に追われるようにして時間は過ぎて、とうとう開胸という段階にきた。開胸をして、初めて心臓や肺を見た時、その大きさに驚き、また、大動脈にいたっては、あまりにも想像とかけ離れて太かったので、あっけにとられた程だった。自分の目で見て、自分の手で触らなければ本当に何もわからないと実感した。そして、わかることの喜び、楽しさを経験していくうちに、予習の態度も徐々に変わっていった。「見なければならない」ではなく、「見たい」と思うようになっていった。発生や総論の勉強を通して、いくら教科書の図を見てもイメージできなかった心臓の反転部、間膜の構造など翌日それを見ることができると思うと、予習していても胸が高鳴るのを覚え、また、発生の教科書を見直したりとやりたいことはたくさんあって、なかなか寝つけなかったのを覚えている。
 実際に実物を見て、そこで初めて理解できたり、もしくは、静脈管が発生の教科書では大きく書いてあって、そのイメージで静脈管を探していたら、実は非常に細かく、脆いもので、かろうじてそれを発見出来た時、そのギャップに驚き、また、先生に教えてもらったのではなく、自分達で発見出来たことが嬉しく、その時の感動は決して忘れない。(しかし、後で先生に確認してもらったところ、それは静脈の一つで、静脈管ではなかった。)
 そして、今回の実習で何よりも有益だったのは実習調査をやらせてもらったことだ。全くゼロからの出発だった。具体的なテーマも決まらないし、何から始めればよいかもわからず、混沌として真っ暗闇の状態だった。「先ずは実物を見ろ」とおっしゃる先生の助言にも耳を傾けることが出来ずに、頭でああでもない、こうでもないと考えるばかりで、一週間ぐらいは何も進展がなかった。何度も同じことを言われ、ようやく実物を見るようになり、二度、三度と同じ所見を見ていると、今まで全く気付かなかった血管が見えてきて、しかも、その血管が重大な意味を持つらしいことがわかってきた。実際他の所見でもその事実が確認されてきた。それを確認していく作業が本当におもしろかった。もちろん、例外的な所見もいくつか出てきて、また振り出しに戻るということもあったが、最終的には、自分達なりの答えを導き出すことができ満足している。
 この調査を通して実物を見るということが本当に難しいことだと実感した。
 指示がないぶん楽だと考えていたら、その逆で、初めはどうしても自分に甘くなり、所見の取り方も雑で、結局一つの所見を三度も四度も見なければならなかった。この過程は、将来医者として患者さんに接する時と同じなのではないかと思う。患者さんと接する時に、知識に当てはめるのではなく、その人を見て自分なりの判断を下すということが簡単そうに見えて実は一番難しいことなのだと実感した。特に今まで受け身的な考え方しかしてこなかった自分達にとって、実物を自分の目で確認して、自分の頭で考えるという基本的なことが一番大きな課題になると思う。
 具体的な事柄としては
(一) 胸部、腹部内臓で時間がゆっくりとってあったので、班全員で位置関係を確認できたし、間膜のところや心臓の反転部位など、いろいろ考えたり質問したりする時間的ゆとりがあったので、すごく助かったし解剖学に興味を持つきっかけとなった。
(二) 質問をした時に、ただ答えを教えるのではなく、その場でもう一度考えさせられたりして実習書を読み返すうちに、勉強の仕方というものまで教えて頂いた。
(三) 初めは記録も義務感で書いていたが、記録を通して先生に質問したりしているうち、自分の理解のためだということに気付き、受け身的な考えを変えてからの記録やレポートは有意義なものになった。
 また、所見発表や実習調査は、自分の班だけを見ていては気付かないことに気付かされて、もう一度勉強するきっかけとなった。








日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION