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はじめに
 米国は第二次世界大戦当時、世界最大の造船国であり、その建造船腹は連合軍の勝利には不可欠であった。しかし、戦争で痛手を被っていた欧州の造船業が復興し、さらに日本も国際商船建造市場に復活するにつれ、米国造船業は国際競争力を失い、国際商船建造市場から姿を消していった。
 以後、米国造船業は、海軍艦艇の造改修やジョーンズ・アクトで保護された内航船市場を主要な市場とする「特異」な産業となってしまったが、それでも冷戦時代は、かなりの海軍艦艇造改修需要があり、産業としてそれなりの水準が維持できた。しかし、冷戦が終結すると海軍艦艇の需要も落ち込んでしまった。
 このため、クリントン前政権では、低迷する海軍艦艇需要の替わりに米国造船業を国際商船建造市場に復帰させようとした。これには、冷戦終結、海軍力縮小のあおりを受けて、閉鎖を余儀なくされた海軍工廠の民需転換を促進させるねらいもあった。クリントン前政権は、米国造船業の国際商船建造市場復帰に向けて様々な施策を執った。米国造船業界が「不公正貿易」として主要な造船国を通商代表部(USTR)に訴えたのを契機に、多国間交渉でOECD造船協定の成立に繋げたのもこの一環である(もっとも、肝心の米国の議会や造船業界の反対により、現行の造船協定が発効する見込みは極めて低いものとなってしまったが)。また、クリントン前政権は、Title XI融資保証制度を復活させ、米国の造船所で船舶を建造しようとする船主や、生産設備を近代化しようとする米国造船会社に、極めて有利な条件で資金が調達できる道を開いた。
 さらに、クリントン前政権は、商船建造の技術力を向上させるために技術開発助成プログラムをスタートさせた。いわば「制度」と「金」の面での支援に加え、「技術」面でも政府が支援し、この3点セットで米国造船業界を国際商船建造市場に引き上げようとした、といえよう。この技術開発助成プログラムが「MARITECHプログラム」であり、クリントン前政権が1993年米国造船・造船所転換法に基づき策定した「米国造船業支援策」により設けられた民間主導の研究開発に政府が助成するプログラムであった。「MARITECHプログラム」は1994会計年度から1998会計年度までの5カ年計画で実施された。
 1998年、「MARITECHプログラム」の完了後の後継プログラムとして「MARITECH ASEプログラム」(「ASE」は“Advanced Shipbuilding Enterprise”)が構想され、1999会計年度から2003会計年度の5カ年計画で実施することが決まった。従って、「MARITECH ASE」は「MARITECH」の後継と位置づけることはできるが、技術開発の目的や方向性、内容を見ると「MARITECH ASE」と「MARITECH」とは別物と思える程、異なっている。この当たりの理由や経緯については、本文を詳しく参照されたいが、両者の性格が大きく異なるため、「MARITRCH ASE」は「NSRP ASE」(「NSRP」は“National Shipbuilding Research Program”)に名称を変えてしまっている(「MARITECH」のイメージを払拭したい、ということもあったのであろう。)。
 本報告書は、このNSRP ASEについて1999会計年度から2000会計年度に至る活動を調査し、まとめたものである。ただし、NSRP ASEの成立の経緯、NSRP ASEの運営の基本、現在進行中のプロジェクトの背景等を理解するためには、「MARITECHプログラム」で、何が、どのように実施され、どのような結果が得られたのか、を理解する必要がある。このため、本報告書では、前半部分でもう一度「MARITECHプログラム」を振り返り、プログラムの効果等を検証している。
 ある国の特定の製造業について、その実態を正確に把握するためには、その業界の技術水準を知ることは極めて重要である。また、米国の造船業界がどのような技術分野に関心を抱いているかを知ることは、日米造船業界の技術交流のチャンスを拡大するとともに、今後の我が国の技術開発の方向性を検討する上で貴重な情報となるはずである。ひいては、米国造船業界の技術動向は、米国の造船政策を理解し、今後の展開を予測する上でも有益な材料となろう。
 この報告書が関係各位にご活用いただければ幸いである。
 
2001年7月
ジェトロ・ニューヨーク・センター
((社)日本中小型造船工業会共同事務所)
船舶部 ディレクター          市川 吉郎
    アシスタント・リサーチャー   氏家 純子








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