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1.2 バタム島の発展地域としての選択
 
 1967年に外国投資法がインドネシア国会を通過した。1945年の独立以来22年間の間にインドネシアが外国投資法を施行したのは初めてであったため、これはインドネシアにとって画期的な出来事であった。
 
 当時数社の外国企業がインドネシアで活動していたものの、その存在はオランダ植民地時代からの継続的なものにすぎなかった。その後すぐに、堅実及び明確な外国投資の方針とともにインドネシアは多くの外国投資家を引き寄せ、各種経済分野(工業、鉱業、農業等)に投資させた。
 
 同時期に、世界の石油価格が上昇し、海底油田及びガスの探索及び開発が現実的なものになった。インドネシアは、その当時まで陸上石油及びガスを生産しており、海底にも石油及びガス埋蔵の可能性があると考えられた。
 
 1970年代初頭に、海底油田及びガスの発掘及び開発活動がインドネシアで開始され、経済は急激に発展した。石油及びガスの発掘及び生産には大量の原材料、機会、備品、サービスの「定量定時」供給が必要となり、効率的かつ経済的な輸送供給システムが石油及びガス産業発展の重要な要因となった。
 
 慎重な検討の結果、同輸送供給システムの基礎は、全ての要求を満たすという理由からバタム島におかれた。その要求の例は以下の通り。:
・ バタム島には充分な広さがある。(415km2)
・ バタム島の人口は少数でほとんど何の経済活動もなかったが、このことは島全土で必要な仕様を満たす開発ができるという優位点と考えられた。
・ バタム島の位置は、金融、貿易、工業、通信、輸送の中心地として有名なシンガポールから約20kmと近接している。
・ バタム島は、船舶にとって重要な海峡であるシンガポール海峡沿いに位置しており、そのため輸送コストを効率的に低減できる。
・ 大統領令第65/1970が発効され、バタム島はインドネシアのみならず東南アジア地域の石油及びガス発掘・開発を支援するための輸送、事業及び供給の基地と指定された。Pertamina State Oil社がプロジェクトの計画、開発、促進を行うよう任命された。
1.3 輸送・供給基地としてのバタム島
 
 1969年以降、Pertamina社はバタム島を、石油及びガス発掘及び開発の輸送・供給基地として開発を開始した。沖合いドリル掘削装置制作業者が設立された。また、2つの鉄板加工工場及びドリル掘穿泥水工場が設立された。道路、桟橋等のインフラストラクチャーも建設された。
 
 開発プロジェクトの増加に伴い、石油及びガスの輸送・供給基地の開発は、工業、貿易、輸送、インフラストラクチャー、人材、土地活用といった他の経済分野と同時進行で行わなければならないことが明らかになっていった。
 
 このため、バタム島開発の更に総括的な計画が行われた。大統領令第71/1971が第65/1970の代替として発効され、バタム島で更なる開発を行うことを許可した。同令によりバタム島の開発は産業開発へと発展した。
1.4 バタム島の産業開発
 
 大統領令第71/1971には、バタム島の開発は沖合い石油に支援と輸送手段を提供するのみに限らず、工業地帯として開発されることが明文化されている。同令の主要なポイントは以下の通りである。:
・ 民間貨物集散地の資格が同工業地帯に与えられた。他の施設も既存の政府規定に従い認定された。
・ バタム島の各種開発プロジェクトにおける全活動の調整及び統合を行うために、バタム工業地帯当局が設立された。
・ 同当局の主な役割は:
− インフラストラクチャー及び工業プロジェクトの計画及び開発
− 投資申請の受理、検討、承認
− 工業開発プロジェクトが計画通り実施されるよう監督
 
 1972年にPertamina State Oil社からの受注で海外のコンサルティング会社がバタム島産業開発のマスタープランを準備した。
1.5 バタム島産業開発マスタープラン
 
 日商岩井及びPacific Bechtel社がバタム島産業開発のマスタープランを1972年末に完成させた。
 
 マスタープランには産業間の前後のつながりと共に農業と工業の良好なバランスの構想が記されていた。バタム島は他のインドネシア商品の加工及び積み替え地点としての役割を果たすと考えられた。バタム島開発の焦点を主要な産業を石油精製所とすること及び必要なインフラストラクチャーは石油精製所と他の関係産業との関連で開発されることが決定された。
 
 また、マスタープランでは長期的な開発及び最大限の土地活用についても検討した。電力、真水、港湾施設、陸上及び空路輸送、住宅及び公共施設などの必要なインフラストラクチャーについても調査した。プロジェクトの必要資本についても分析が行われ、インドネシアに与える社会、経済的影響並びに主要な資金源の提案も行われた。
 
 開発の第1段階は1984年までに行われることが決定された。その年はインドネシア第3回5ヵ年国家開発計画1979-1984(FYNDP)の年でもあった。その後、1984年からバタム島開発計画はFYNDPに統合された。
1.6 バタム産業開発当局(BIDA)
 
 1973年にインドネシア大統領は、バタム島開発に関する大統領令第43/1973を発効し、前大統領令と置き換えた。
 
 同令にはマスタープランの大統領許可が反映されており、主に以下の内容を含んでいる。:
・ バタム島全土を工業地帯へと開発する。
・ 以下の3団体から成るバタム工業地帯委員会を設立する。
−バタム工業地帯監督団体
−バタム産業開発当局(BIDA)
−Batam Industrial社
 
 監督団体のメンバーは、経済大臣、自治大臣及びリアウ州知事であった。BIDAはバタム工業地帯当局と置き換えられ、バタム島産業開発に対し責任を負う唯一の機関となった。BIDAの役割は以下の通り。:
・ バタム島及びその周辺諸島(バレラン地区=バタム島、レンパン島、ガラン島)の開発の計画、実行、管理
・ これらの島々における電力、道路、水道、空港、港湾及びその他の公共施設を含むインフラストラクチャーの建設
・ マスタープランに基づく土地管理
・ 貿易ライセンス及び許可の発行
・ 国内及び国際投資申請の処理
 バタム工業地帯委員会は直接インドネシア大統領に対し責任を有している。








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