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第1章 フィリピンの概況
1-1 基礎データ
 
国土面積 : 29万9404km2(7,109の島から成る)
人口 : 2000年5月1日現在で7,530万人となり、過去5年間で670万人増加した。95年から2000年の人口増加率は平均2.0%。中でもルソン島南部の増加が著しく、人口は1,130万人。5年間で140万人増え、増加率は2.8%と他の地域を上回った。マニラ首都圏の人口は1,050万人で、増加率は2.3%。ミンダナオ島ダバオの人口は110万人となり、マニラ首都圏外の都市では唯一100万人を超えた都市となった。
主要言語 : フィリピン全土では約80の言語が存在するが、国語はタガログ語を母体とするピリピノ語。また英語も公用語として広く浸透している。
宗教 : キリスト教が92%(うちカトリック85.0%)を占め、ほかにイスラム教が5%ある。
首都 : マニラ
通貨 : ペソ
対米ドル市場平均レート 1ドル=50.00ペソ(2000年12月)
1-2 政治
 
 ラモス政権(92〜98年)の任期満了に伴い1998年6月に行われた総選挙の結果、最大野党「民主フィリピンの戦い(LDP)」のジョセフ・エストラーダ候補が圧倒的多数で勝利し、新大統領として就任した。元映画俳優で「庶民の味方」を自認するエストラーダ氏の得票率は39.9%、与党候補のデベネシア氏(得票率15.9%)に大差をつける圧勝だった。支持率80%という国民の高い人気を後ろ盾にしたエストラーダ政権だが、1999年には憲法改正問題を機に支持率が低下。エストラーダ政権は、雇用の創出や貧困の減少にもつながるといった経済的効果を強調し理解を求めたが、憲法改正は大統領の任期延長などにつながる恐れがあることから、民主化の流れに逆行するとして各方面から反対表明が続出。外国人への土地開放に対しても反発する意見が多かった。賛成が多数を占めると思われていた経済界からも指示を得られず、事態を打開するため、エストラーダ大統領(当時)は、当時の与党である「Laban ng Masang Pilipinoフィリピン大衆連合(LAMP)」(以下、旧LAMP)を再編成し、新しい政党「Lapian ng Masang Pilipinoフィリピン民衆政党(LAMP)」を結成。急降下する支持率回復を狙って、1999年11月には内閣改造を行ったが、支持率低下は止まらず、2000年1月には44%まで下がった。
 一方、旧ラモス政権は、国軍、共産勢力、イスラム勢力との国民的和解に深慮し、96年9月には和平合意に至った。しかし、エストラーダ政権下は「反政府勢力に屈しない」という方針を掲げ、イスラム勢力との関係は悪化した。ミンダナオ島では数々のテロ事件が発生し、公共市場、フェリー、ラジオ局などさまざまなものが狙われて多くの犠牲者を出した。爆弾テロは2000年5月にはマニラ首都圏でも続発した。イスラム教徒による大規模な誘拐事件も発生し、2000年4月には東マレーシアのシパダン島で外国人観光客21人がら致される事件があった。
 難しい政権の舵取りが求められる中、2000年10月、違法賭博上納金着服疑惑に端を発し、エストラーダ大統領への信任が低落。2000年10月12日にアロヨ副大統領が兼任の社会福祉開発相のポストを辞任したのに続き、11月2日にはロハス貿易工業長官も辞任した。また、上下両院の議長など与党連合(LAMP)を離脱する議員が続出、事態は大統領の弾劾裁判にまで発展した。さらに、アロヨ副大統領は、ギンゴナ上院議員(現副大統領)など野党連合を結成し、支持者にエストラーダ大統領追放キャンペーンへの参加を呼びかけた。2001年1月16日、弾劾裁判での不正蓄財疑惑に関する重要証拠の不開示が決定され、民衆の抗議行動が高まる中、主要閣僚が相次いで離反。エストラーダ大統領は、5月に繰り上げ選挙を実施し、「選挙で選ばれたものに大統領の座を譲る」と演説を行ったが、事態は収拾せず、大統領の即時退陣を要求するデモが数十万規模に膨れ上がった。20日には最高裁長官による「大統領職は空席である」との判断のもと、アロヨ新大統領が誕生した。
 
政体 : 立憲共和制
議会 : 二院制 上院 民選 24議席(6年任期、三選禁止)
      下院 民選 250議席以内(3年任期、四選禁止)
主要政党 : 「民主フィリピンの戦い(LDP)」
「キリスト教民主主義国民連合(LAKAS-NUCD)」
「民主主義者人民連合(NPC)」
「人民の力(LDP)」
「自由党(LABAN)」
「国民党(NP)」
内閣 : アロヨ大統領
大統領は国民の直接選挙によって選出され、任期は6年(再選禁止、副大統領は任期6年、三選禁止)
1-3 経済
 
 エストラーダ前大統領はアジア通貨危機の最中の1998年に大統領に就任したが、通貨下落の影響により内需向け投資が縮小、外国投資は2000年も減少し、97年以来3年連続下落した。今回の辞任の直接的原因となったエストラーダ前大統領に対する賭博上納金受領疑惑が発覚した2000年10月以降、ペソの下落は強まった。
 通貨防衛のため、近隣諸国の金利が下落する中でフィリピンの金利は、ペソ安対策から引き上げられた。ペソ安と高金利が原因となり、フィリピンの2000年の国内総生産(GDP)成長率は4%にとどまり、アジアの中で最も低い成長率となり、2001年も3%前後と最も低い成長が予測されている。
 ペソは2000年初めには1米ドル=40ペソの水準にあったが、エストラーダ前大統領が2000年1月からミンダナオの反政府勢力への攻撃を強め財政赤字と治安が悪化したことがきっかけで下落が始まり、マルコス時代のクローニズムが復活し汚職が横行しているとして、エストラーダ政権の国際的評価が低下し、ペソの下落が続く要因になった。
 99年のGDP成長率は3.2%。政府は2000年度の成長率について4%との目標を掲げていたが、フィリピン政府が発表した2000年の国内総生産(GDP)成長率は3.9%、国民総生産(GNP)成長率は4.2%となった。2000年第4四半期には、GDPが3.6%成長した一方、GNPも4.4%伸長。これを受けて政府は2001年の成長率目標を3.0〜3.5%から3.8%へ上方修正した。
 国際通貨基金(IMF)は、2001年のフィリピンの国内総生産(GDP)成長率は3%程度にとどまるとの見通しを示した。政府は2001年のGDP成長率を3.8〜4.3%と見込んでいるが、IMFは米国や日本の景気低迷で経済成長のけん引役である輸出が減少すると指摘、さらに投資家の信頼を回復するためには財政赤字の削減が急務だと提言した。今後の見通しについては、米国の景気減速と長引く日本の低迷が輸出の減少を招くとのシナリオを描いており、GDP成長率の予測を先の3.3%から3%程度に下方修正した。米国と日本への輸出は全体の45%を占めており、両国の回復なしにはフィリピンも高成長を望めないと予測する。輸出のほかにIMFが重視しているのが巨額の財政赤字。政府は2001年の抑制目標を1,450億ペソに設定している。財政赤字の原因としてIMFは歳入の低迷を指摘しており、税制改革を進めるアロヨ政権に支持を表明。ただ、歳入の増加に伴うインフラ整備や人材開発にも傾注するよう要求した。表2-1にフィリピンの主要経済指標を示す。
表2-1 フィリピンの主要経済指標 (単位:%、億ドル)
  1996年 1997年 1998年 1999年 2000年
実質GDP成長率 5.5 5.1 -0.5 3.2 3.9
消費者物価上昇率 9.1 5.9 9.8 6.6 4.4
失業率(平均) 8.6 8.7 10.1 9.7 11.1
貿易収支(億ドル) -112.2 -107.1 -1.63 -43.1 38.5(1-11月)
経常収支(億ドル) -39.5 -43.5 -15.5 71.9 76.0(1-11月)
財政収支(対GDP比) 0.28 0.06 -1.8 -3.5 -3.9
通貨供給(M2)伸び率 15.8 20.9 -7.4 19.3 4.6
出典:ジェトロ「国別概況」








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