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第1章 インドネシアの概況
1-1 基礎データ
 
国土面積 : 192万2,570km2(日本の5.1倍)
人口 : 2億426万人(99年央推定)
主要言語 : インドネシア語
宗教 : イスラム教(88%)、カトリック(4%)、プロテスタント(6%)、ヒンドゥー(1%)
首都 : ジャカルタ
通貨 : ルピア
対米ドルレート : ( )内は97年6月末の1ドル=2,432ルピア比の下落率
1ドル= 8,855〜9,535ルピア(▲72.5〜▲74.5%)(2000年7月)
  8,300〜8,850ルピア(▲70.7〜▲72.5%)(2000年9月)
  9,130〜9,520ルピア(▲73.4〜▲74.5%)(2000年11月)
  9,270〜9,650ルピア(▲74.0〜▲74.8%)(2001年1月)
  10,850ルピア(▲77.6)(2001年4月16日)
1-2 政治
 
 1997年のタイ・バーツ下落にはじまったアジア通貨危機で、インドネシアの経済状況も一気に悪化した。生活苦にあえぐ国民は、反政府感情を高め、1998年5月には多くの犠牲者を出したジャカルタの大暴動事件が発生し、長期続いたスハルト大統領が辞任。しかし、後を継いだ、ハビビ大統領は、スハルト政権下で副大統領だったこともあり、国民の支持を得られず、1999年6月の総選挙で、与党ゴルカルは敗退。大衆に人気の高いメガワティ女史が率いる、闘争インドネシア民主党(PDI-P)が第1党の座についた。
 1999年10月、国民評議会は、新大統領に、国内最大のイスラム団体ナフダトゥール・ウラマ(NU)の議長、アブドゥルラフマン・ワヒド氏を、副大統領には、メガワティPDI-P党首を選出。これに続き、10月29日に、新内閣を発足した。ワヒド大統領は、2000年2月には軍出身のウィラント調整相を休職処分にし、スハルト前大統領の資産解明などに取り組んだ。しかし、経済再建や、アチェ、イリアンジャヤ、東チモールでの地方紛争などの難題を抱え、さらに、食料調達庁疑惑事件(通称プログゲート)や、アチェ避難民支援金にブルネイ国王から受けとった献金を国会に報告しなかったとするブルネイゲート事件などのスキャンダルが発覚し、大統領辞任を求める声が強くなっている。これら2疑惑を追及する国会とワヒド大統領の対立は、日を追うごとに激化。大統領は、国民に根強い人気のあるメガワティ副大統領への政務の一部委譲、2000年8月には、経済閣僚を中心とした内閣改造などで懐柔を図ったが、もはや国会の追及を和らげるだけの影響力は持っていなかった。
国会は2000年8月、これら2疑惑を調査する特別委を発足させ、大統領の召喚を決めた。しかし、大統領はこれまでの懐柔路線から態度を一変させ、特別委を「憲法違反」「政治的道具にすぎない」などと激しく非難。2度の召喚に対して欠席、途中退席と非協力的な姿勢を貫き通した。こうした大統領のかたくなな姿勢は、かえって国民に不信感を招き、大統領辞任を求める大規模デモも発生している。国会は、2001年2月に、ワヒド大統領に政務改善を求める第1次覚書を提出し、弾劾プロセスを正式に開始した。規定通りにプロセスが進んだ場合、約半年後に不信任決議が出る運びとなる。しかし、大統領は依然続投に強い意欲を見せているため、直ちに交代劇が起きる可能性は低いと見られるが、この間、政党同士の抗争などで治安が一層不安定となることが懸念されている。
  政体 : 共和制(大統領責任内閣)
  議会 : 国民評議会(MPR,99年10月〜、定数700名、内500名が国会議員の兼任、135名が地域代表、65名が諸組織代表)
国会(DPR,99年10月〜、定数500名、内35名は大統領が指名した軍人、比例代表制、任期5年)
  主要政党 : 「闘争インドネシア民主党(PDI-P)」
「ゴルカル」
「開発統一党(PPP)」
「民族覚醒党(PKB)」
「国民信託党(PAN)」
  内閣 : ワヒド大統領
任期: 最高2期10年








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