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第二部 スピッツベルゲンにおける資源開発と海洋問題
 スピッツベルゲンは広義では、ノルウェーの北、北緯74°から81°の間、東経10°から35°の長方形内にある北極圏の群島で、熊島(Bear Island ; Bjornoya)を含み、面積は、64,400km2でオランダとほぼ等しい広さである。主島は、峡義のスピッツベルゲンで、面積が39,000km2で、スイスよりやや小さく、その南端からノルウェー本土まで355海里・657kmある。
 
 メキシコ湾流の為にロシアのコラ半島ムルマンスク沿岸は通年結氷しないので、ムルマンスクとスベロモルスクは、不凍港である。従って、スピッツベルゲンとノルウェーの間のバレンツ海部分は大西洋へのロシアの出口にあたる。曾ては戦略潜水艦SSBNの70%をムルマンスクとスベロモルスクとに集中していた。従って、スピッツベルゲンとノルウェーの間のバレンツ海部分は、戦略的にも極めて重要な所である。
 
 16〜17世紀にかけてスピッツベルゲン周辺は、捕鯨が盛んであったが、鯨が乱獲で絶滅した種も出て、人影を見なくなり、1872年のロシア外務大臣と駐露スウェーデン大使との交換公文では、スピッツベルゲンを無主地と確認している。しかし、19世紀に石炭が発見され、諸国の関心を呼び覚ました。第一次大戦前にも、同島の領有権問題を巡る国際会議がクリスティアナで三回開かれたが、成果はなかった。大戦後パリの平和会議で、ノルウェーに主権を認める条約が、1920年2月9日結ばれ、日本、英国、フランス、米国、イタリア、オランダ、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク等が署名した。ノルウェーが同群島に主権を行使し始めたのが、1925年8月14日からであった。この条約にドイツは、1925 年9月7日、ソ連は、1935年5月7日と、其々遅れて加入した。
 
 この条約で興味深いのは、主権をノルウェーに認めた代償としてか、条約当事国の国民にノルウェー国民に等しい経済活動を行なう権利を認めている点である。即ち、同条約第2条と第3条により、全ての条約当事国の国民は、陸地及び領海で、全ての商工鉱業に従事する事が認められる。第7条では、条約当事国国民の完全な平等待遇が保障されている。 当初はオランダ、スウェーデン、イギリス、アメリカ等の会社が採炭をしていたが、不況に襲われた後、ノルウェーとソ連だけが残り、石炭採掘を続けている。1977年頃で、ノルウェー人千人、ソ連人二千人で、石炭生産量は共に40万トンであった。
 
 条約第8条で、スピッツベルゲンで徴収された税金は、此の地でのみ消費すべき旨規定され、必要以上に課税する事は許されない。1975年から財産税0.2%、事業税と法人税が10%、給与所得税4%、鉱石輸出税は、全ての鉱石につき、最初の10万トンに対してFOB価格の1%、次に10万トン増すごとに0.1%ずつ逓減する税率である。これは、ノルウェー本土で、北海石油生産に対して85%課税しているのに比べれば、相当に低い。BPの見積もりでは、石油価格が1バーレル当り25ドルで日産20万バーレル2000m-barrel fieldで採算がとれるとされた。1977年の時点で、認可された石油・石炭の鉱業権は、1,279件で面積12,075km2に及んだ。認可の条件は、鉱床を証明若しくは示す(indicating)満足すべき地質標本を鉱業委員会に提出する事である。但し、一定の義務を履行しなければ、他の申請が新たに許可される。(拙稿、「スピッツベルゲン島とバレンツ海の法的地位」No.22,東京水産大学論集、1987, pp.52-3.)
 
 スピッツベルゲン島と周辺の大陸棚には天然ガスや石油の可能性があるといわれる。ノルウェー国民と等しい開発権を認められるという希有な領域に、わが国の産業界はもっと目を向けるべきではないかと思われる。
 
 ノルウェーのバレンツ海での探査は、1966年に始まった様であるが、1977年の北海での事故を受けて試掘は延期した様である。1987年には熊島南の区域を探査許可入札募集した。北岬海盆東側ではノルウェー石油庁が人工地震探査を実行して有望な結果を得たとも伝えられた(拙稿、「極北の資源を巡るノルウェーとソ連の確執と海洋法」No.46,季刊海 洋時報、1987,pp.31)。
 
 スピッツベルゲンでは、ソ連が1986年に二本目の試掘を行なったと伝えられる。ノルウェーも1987年まで陸上で試掘を13試みて全て空井であったそうである。それ以後もスウェーデンとの企業グループが試掘を続けた様で、1995年までの試掘は総計15に上った様であるが、何れも商業的に採算がとれるものではなかった(The Times, 10.October.1995,p.13)。
 
 冷戦時代には、ソ連の炭鉱では、ノルウェー時間より二時間早いモスクワ時間を採用していたのが、1991年にはノルウェー時間に戻ったそうである。この事に象徴される様に緊張緩和が進んでいると察せられる。しかし、曾てソ連がスピッツベルゲンやバレンツ海から他国を排除し、ノルウェーと二国だけで独占する事を再び狙いとする様な事があれば、我が国の同地域におけるプレズンスは外交の交渉カードになり得る。経済的意味のみならず、この意味からもわが国はこの地方にもっと注目すべきだろうと思われる。
 
参考文献
拙稿「極北の資源を巡るノルウェーとソ連の確執と海洋法」No.46,季刊海洋時報、1987.
拙稿「スピッツベルゲン島とバレンツ海の法的地位」No.22,東京水産大学論集、1987.
The Times, 10.October.1995.








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