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第四節 科学調査と軍事活動
1.平時における海洋の軍事利用
 科学調査の制度は、軍事利用との関係で興味深い問題を惹起するが、特に重要な問題は排他的経済水域で行なわれる情報収集活動に科学調査の制度・規定が適用されるか否かである( F.R. Vicuna, The Exclusive Economic Zone, 1989, 118)。その前に平時における海洋の軍事利用一般を概観する。
 
 平時の海洋において軍事活動は様々な機能を果たしている。第一に、法の強制機能、特に「漁業取締、関税取締或いは移民法の執行」については、日常的に果たしている。第二にその本来の役割を果たす準備として、武器テストや演習(manoeuvres)をジュネーヴ条約下で公海とされてきた場所で行なってきている。第三に、より有力な海軍国は、武力の示威を行なって、国力による影響を及ぼす為に海軍を用いる。グレイ卿によれば、「武力を欠いた外交は、楽器を欠いたオーケストラに過ぎない」のである。この機能を果たす活動には、幾つかのパターンがある。世界の或る場所に海軍旗を翻して、敵と味方の双方に、当該地域に其の国の海軍力が存在する事を見せ付けるだけの場合もあろう。中東が緊張したとき米国艦隊やソ連艦隊が地中海やインド洋に展開された事に示される様に、よく見られる事である。もっと直接的な武力の誇示(display)の形を採る事もある。例えば、アルバニアのコルフ海峡の海岸にあった砲台が通過しつつあった英国軍艦に砲撃をした為に、別の軍艦が出掛けていって通過を強行し、通航権を認めさせ様とした事や、1957年インドネシアが、群島水域を主張した時に米国の駆逐艦の第31分艦隊が、ロンボック海峡とマラッカ海峡の通航を強行した事が、その例である。或いは、1968年に朝鮮民主主義人民共和国(以下北朝鮮と略す)がその領海内に居てスパイ行為をしていたと主張して米国船プエブロ号を北朝鮮の船が捕獲した例の様な、敵対的船に対する直接行動もある(R.R. Churchill and A.V. Lowe, The Law of the Sea, 3rd ed., 1999, p.426)。
 
 他にも例を挙げれば、鱈戦争のときに、アイスランドが漁業規則による管轄権を公海上に最初は12海里、次に50海里、最後には200海里と不法に拡大した(unwarrantable extensions)ときに、英国トロール船にこの規則を適用される事から英国の軍艦が、守ろうとした事もそうである。
 
 類似の例が、有名な「レッドクルーセーダー号事件」であるが、逆に上記「第一」の法の強制機能面から、デンマークの漁業保護船に焦点を当てて事件を検討してみる。デンマークの漁業保護船「Neils Ebbesen号」は、英国の「レッドクルーセーダー号」を尋問したときに、デンマークと英国が合意したフェロー諸島を囲むデンマークの漁業権の外限線の内側に居た。「レッドクルーセーダー号」は、漁具と漁網を仕舞い込み、サイレンとサーチライトによる停船信号(stop signals)を何回か無視し、終に、40mm砲が「Neils Ebbesen号」の船首をかすめて撃たれた。「レッドクルーセーダー号」は臨検の係官を受け入れたが、船長が彼らを閉じ込め、再び逃走を始めた。「Neils Ebbesen号」 が、追跡し、停船信号を送りながら、30分後に、127mm砲を船尾に一発、前方にもう一発 撃った。その後「レッドクルーセーダー号」のレーダー・スキャナーと灯火に対して発砲して、終に40mm弾が命中した。全ての発砲は実弾で、デンマーク内で行なわれた。「レッドクルーセーダー号」が公海に出て、英国領海に向ったときに、発砲が停止されたが、英国軍艦が当該二隻の間に割って入った為にデンマークの「Neils Ebbesen号」が、「レッドクルーセーダー号」を捕り逃がしたとデンマークは英国を非難した。外交交渉が始められ、英国が「レッドクルーセーダー号」の修繕費を要求し、事件が調査委員会に付託された。同委員会は、二つの点で「Neils Ebbesen号」の船長が、銃撃の合法的使用の限界を越えたと認定した。
 
(1) 警告無しで実弾を撃った事(firing without warning of solid gun-shot)
(2) 「レッドクルーセーダー号」に命中する(effective)射撃を行なった事により、同船内の人命を危険に陥れた事の二点である。
 
 委員会の意見では「他の幾つかの手段を講じるべきで、それを続けていれば、船長のウッドも停船し通常の手続きに戻ったかも知れない。同船長は一旦は従っているのだから(35, ILR., 1962, p.499)」。
 
 英国軍艦「Troubridge」の船長は、「Neils Ebbesen号」と「レッドクルーセーダー号」の間で武力行使の事態を避けるための全ての努力をした、と委員会は認定した。委員会の認定が出された後に、両当事者は請求を取り下げ、権利を放棄したので、この紛争は解決した(D.P.O'Connell, vol.2, The International Low of the Sea, 1984, pp.1072-3)。
 
 漁業保護の指令を草案化する際の困難は、武器の使用が過剰か否かの判断を現場の艦長に任さざるを得ない点にある。継続追跡中に発砲して良い事には問題が無い。
 
 「I'm alone 号事件」で、委員会は、米国に次の権原が有ると述べている。
 
 「被疑船(suspected vessel)に乗船し、取り調べ、捕獲し、港に連行する為の目的を達する為に必要で合理的な武力を用いる権原。上の様な目的の為に必要で合理的な武力を行使した結果、偶々(incidentally)沈没する事態になったとしても(sinking should occur)、追跡船が非難される謂われは全く無い。」
 
 尤も、この事件の事実関係は、撃沈の違法性を阻却するものではない(not to justify)とされたのであった。「レッドクルーセーダー号事件」によれば、全ての手段を十分な長さに亘って用いる事が、違法性阻却の条件の様である。上の手段には、航海の妨害も含まれようが、実際には、衝突も起こり得るし、海上衝突予防規則違反が問われるから、艦長は厳しく困難な立場に立たされる。
 
 これら二つの事件から明らかな事は、乗船を拒否する外国船舶を拿捕する為に武力を用いる事は出来るが、あくまで最後の手段としてである。従って、漁業保護の指令には、発砲以外に他の手段が無くなる前に尽くすべき、発砲に至らない措置を特に定めておかなければならない。
 
 漁業保護指令或いは取締規定では、無許可の船を見かけた場合に、漁業法違反が行なわれたと信ずベき合理的な根拠(grounds)の有無を確認し、犯罪を証明し(establish)船を港に連行する証拠の有無を確認すべき事が、通常、定められている。証拠不十分と、士官・職員が感じるときには、漁業を禁止する旨の警告に留まる様である。しかし、国によっては、犯罪が行なわれたと疑うべき一応の(prima facie)根拠があるだけで、漁業水域内に居る無許可の漁船に臨検要員を乗船させて、書類を調べ、漁船の行動を検査させる所がある。嫌疑の一応の根拠が犯罪の証拠にならないのは勿論だが、この様な指令の多い事を考えれば、一応の根拠だけで強制手続きを執る十分な理由になるかも知れない(D.P. O'Connell, vol.2, The International Low of the Sea, 1984, pp.1072-4)。
 
 海洋法は演習とか武器テスト等の軍事活動に影響を及ぼす。第一に、排他的経済水域の設立に依り様々な問題を生む。政治的理由で外国軍艦の通航の禁止を強く望む沿岸国や旗国が、法的権利の強制の装いをもって禁止する事が、根強い不確かさの為に、可能となる点が、特に問題であり、示唆的でもある。海洋法条約の署名や批准に際して、ブラジル、ケイプ・ヴェルデ、インド、マラヤ、パキスタン、ウルグアイ等を含む幾つかの国々は、排他的経済水域内で軍事演習を行なったり、軍事設備の展開(deployment of military installations)を海洋法条約が認めていないと解釈し、軍事設備を展開する為には沿岸国の同意を要するとの声明を出した。軍事演習が、生物資源や海洋環境に悪影響を与えかねず、或いは排他的経済水域内の施設や科学調査を危険に曝しかねないからという理由であった(S.N. Nandan and S. Rosenne ed., vol.2, U.N.Convention on the Law of the Sea 1982 -A Commentary-, 1993, p.564.)。若干の国々、例えば、ブラジルやイランは、わざわざ法律に依ってまで定めた。この立場が一般的になれば、極めて広大な区域が囲い込まれ、軍事活動が不可能になる。この為にドイツ、イタリア、オランダ等の海軍国は直ちに、これを明言に依って否定した。例えばイタリアは、「軍事演習の通報を受けるか、演習を承認する権利」を海洋法条約が沿岸国に与えてはいないと宣言した(S.N. Nandan and S. Rosenne, ibid., n.12)。
 
 事実としては、排他的経済水域内でも航海及び上空飛行の自由並びにこれらと関連し国際的に合法とされる他の自由とが維持されている(第58条及び第87条)。しかし、武器のテストも含む演習の様な活動までもが、これらの自由に含まれているのか、不確かな面があり、学説でも争いがある。
 
 ある学説では、演習は許された自由に含まれると解する。先ず天然の海洋環境に関する全ての情報収集が、関連条文での意義における科学調査に属するか否かを問い、開発(exploitation)が排他的経済水域について第56条で科学調査とは区別している事を指摘する。第19条第2項j号等では調査と並べて水路測量を挙げている。同項c号とd号では沿岸国の防衛と安全を害する情報収集を科学調査から独立に切り離して扱っている。第204条汚染の危険と影響の監視を科学調査と別にして検討している。従って、海洋法条約の条文事態が、様々な調査と重なり合う活動を科学調査とは区別して扱い、全ての情報収集を科学調査に属させる事を否定している。更に第244条、第248条及び第249条で定められた情報提供義務は秘密の活動や、秘密の情報をもたらす活動には適用されないとの了解がある(B.H.Oxman,Le regime des navires de guerre dans le cadre de la Convention des Nations Unies sur le Droit de la Mer,Annuaire Francais de Droit International,1982,pp.837)。従ってOxmanによれば「秘密とされるデータの目的が商業的なら、沿岸国は当該活動が商業的開発の性格を有すると評価する(estimer)権利を有し、その絶対的裁量権に服させる権利を有する。反対に秘密の理由が軍事的であれば、当該活動は科学調査に対する沿岸国の管轄権には服さない。沿岸国の排他的経済水域(sea zone)内で行なわれる他国の軍事活動に対して一般的権限を有する訳ではないから、沿岸国の管轄権行使を許す法的根拠は、他には無い。海軍が海洋環境情報を収集する活動は、航海自由の保護と行使に密接に結びついているから、第58条第1項の適用範囲に入る(B.H. Oxman, ibid)」。
 
 この様に軍事情報収集活動は、科学調査と共通点があっても、性質が異なり、科学調査で期待されている様な情報の公開や普及等は到底考えられない。現に第302条は「…公開が自国の安全保障上の重要な利益に反する…情報の提供を…締約国に要求」されない事を認めている。従って、軍事演習、情報収集等には、科学調査の規定は適用されず、伝統的海洋自由として認められていると解釈される。
 
 但し、他の学説は、これらの権利が認められておらず、この問題で争いが生じれば海洋法条約第59条の裁判に従うと解する。特に第302条が米国によって提案されたとき、安全 上の利益に反するか否かは、当事国が「考える(considers)」事になっていて、主観的で一 方的決定を許すものであった。これを「利益に反する」と客観的表現に変え、更に争いのある場合の、紛争解決手段の援用の権利を銘記した経緯がある(M.H. Nordquist ed.,vol.5, U.N. Convention on the Law of the Sea 1982 -A Commentary-, 1989, pp.156-7)。
 
 第二の問題は、米国等が展開している、音波探知制度(Sonar Surveillance System)の様なモニター装置(devices)の設置の問題がある。米国は、この様な装置を北海や地中海に設 置していると言われるが、この様な装置が海洋法条約第60条に言う「構築物(structures)」と解釈され、同条の適用を受けるかも知れない。其の場合には、排他的水域内での建設と操作を認めるか否かにつき、沿岸国が排他的権利を有し、それにより決定される事になる。同様の規定第80条が、この解釈によれば公海下の大陸棚上への装置の設置について適用される事になる。
 
 しかし、これに反してこの様な装置が海底電線やパイプラインと類似の物と解釈されて、排他的水域内や公海下の大陸棚上への海底電線やパイプラインの敷設と同視され、これらの敷設の自由の範囲内にあると拡大解釈されるかも知れない。勿論、この解釈には反対があり、海底電線やパイプラインとこの様な装置とは性質が異なり、前者の敷設の自由に含める事は出来ないとの説もある。しかし規定と解釈の如何を問わず、海軍国が、海を軍事的に利用する事を止める事はないと予想されている(R.R. Churchill and A.V. Lowe, The Law of the Sea, 3rd ed., 1999, p.427-8)。
 
 ただ、翻って考えてみれば、海洋環境に関する知識が、相互抑止力の均衡を保つ上に死活的に必要であり、相互抑止力の均衡が国際平和の維持に役立つとも考えられる。現実の平和が、相互大量破壊を恐れる事によって保たれてきたというのも、皮肉な現実的側面を有し、軍事大国間の安全政策の根幹を成し、破滅的大戦争の勃発を押さえてきている。その限りでは軍事目的の科学調査が、逆説的に思えるが、人類の平和と人類への恩恵に貢献している。従って軍事目的の調査が全人類の海洋法条約第246条第3項の「すべての人類の利益の為に」なっているとも解される(E. Rauch, Military Use of Ocean, vol.28, German Yearbook of International Law, 1985, p.261.)。これが、ドイツ、イタリア、オランダ等の海軍国の上の否定の理由であろう。1958年ジュネーヴ大陸棚条約の審議の際にも、インド代表が、自国と他国たるとを問わず全ての大陸棚上に軍事設備を設置する事を禁止する規定を提案した事がある。これに対して西ドイツ代表は、沿岸国の天然資源の探査・開発に干渉しない場合には、その時に限り設置できる筈と反論していた(R.J.Zedalis, Military Installations, Structures, and Devices on the Continent Shelf: A Response, vol.75, A.M.J.I.L.,1981,p.929)。
 既に見た様に、通常の場合に調査に対して沿岸国が同意を与えなければならないとしても、沿岸国に裁量権の認められる場合が広く、制約は厳しい。特に、軍事的調査が最大の制約を蒙っている。しかし、海洋法条約第16部の一般規定中第302条は「この条約の如何 なる規定も、…その公開が自国の安全保障上の重要な利益に反する事となる情報の提供を当該締約国に要求するものと解してはならない。但し、本条の規定は、本条約に定める紛争解決の手続きに訴える…権利を害するものではない。」と定めている。これは前述の様に米国代表の提案で、海洋の平和的利用等の一般規定と組合せて挿入された規定であるが、一般規定であるために、同意の制度にも、通報の制度にも適用される。
 
 例えば深海底開発技術の所有者は、国内法で軍事上の秘密として技術漏洩を禁止されているかも知れず、その場合には、その深海底開発技術の利用を控える事が出来る。科学的調査が軍事目的を持つものと分類すべきか否かは、高度に政治的軍事的に、具体的場合に応じて、判断しなければならない。相互抑止の均衡を実現する為に不可欠の軍事調査は、大陸棚や排他的経済水域の何処でも、沿岸国の同意無しで情報を沿岸国に提供せずに秘密裡にできる。Rauchによれば、この調査には、爆発も核動力の装置(equipment)も、大陸棚の掘削さえ含まれる。ミサイル搭載潜水艦が航行の安全の為に、水柱内の音響条件や塩の濃度の成層や温度分布の層理(stratification)を調査するのは、旗国の不可欠の安全に必要な場合には、同意制度を遵守しない結果になっても止むを得ないとされる(E.Rauch, Military Use of Ocean,vol.28,German Yearbook of International Law,1985,p.264)。
2.科学調査と軍事活動の区別−米国船「Kane号」事件
 1994年4月29日のスウェーデン紙Dagens Nyheterの短い報告によれば米国海軍に属する「Kane号」が、Gotland島と*land島の間のスウェーデン経済水域内を、海底の潮流等を調べる目的で、測量(survey)を実行した。スウェーデンの沿岸警備隊は、この行動が海洋科学調査であってスウェーデンへの事前の通報を要するのではないかを問いただした。「Kane号」のスタッフは「科学調査とは異なる測量(survey)であり、同号の軍事的地位の為に軍事活動をしても正当である」と答えた。同号は任務を完了した後にスウェーデン経済水域から出た。
 
 スウェーデンの沿岸警備隊は、同国の外務省に報告し、外務省から米国国務省に説明を求めた。回答については、海洋科学調査と軍事活動の区別、科学調査と水路測量と軍事活動の境界線、船舶の軍事的性質が此等の活動に及ぼす影響などについて両国間に意見の相違がある事が明らかにされただけで、詳しい内容は公表されなかった様である(S. Mahmoudi, Foreign Military Activities in the Swedish Economic Zone, vol.11, The International Journal of Marine and Coastal Law, 1996, pp.365-6)。
 
 スウェーデンの経済水域法は、外国人が許可無く科学調査を行なう事を禁止しているが、同時に、命令によっては、通報だけで十分とする途も、通報も許可も不要とする途も選べる仕組みである。最初は、1994年1月13日の命令1994:6第7条(section)で、事前通報を求めるだけであった。これは、許可も通報も要求しない米国の政策に合わせたものであったとされる(S. Mahmoudi, 1996, p.365.n.2)。
 
 米国大統領レーガンは、1983年3月10日次の様な海洋政策に関する声明を出している:「この(筆者注:排他的経済水域)区域内で海洋科学調査に対する管轄権を国際法が規定しているが、本声明は、この権利を主張しない。私がこの選択をした理由は、海洋科学調査を盛んにして不必要な重荷を避ける事に米国の利益があるからである。しかし、他の沿岸国が、海岸から200海里の範囲内での科学調査に管轄権を行使する事について、その管 轄権が国際法に合致して行使される限り、米国は承認する」(J.A. Roach, Marine Scientific Research and the New Law of the Sea, vol.27, Ocean Development and International Law, 1996, p.69, n.2)。
 
 しかし、スウェーデンは、1982年海洋法条約を批准した後に、1996年5月30日の新しい命令1996:531で、事前の許可を要すると変更し、1996年7月1日から実施した(S. Mahmoudi, 1996, p.365. n.2)。
 
 従って米国海軍に属する「Kane号」の行動についてスウェーデンに通報を行なう必要があったのではないかという問題があり、1996年7月1日後に事件が起こっていれば、事前の許可が問題となった。この様な事件は、公の関心を引かなかったものを数えれば、少なくないと言われる。我が国に関しても、2000年中国海洋調査船が領海や排他的経済水域内で活動した事に抗議したが、海軍の行動が「通常のものである(normal)」と回答してきたと伝えられる様に枚挙の暇が無いほどである(Y. Song, The PRC's Peacetime Activities in Tiwan's EEZ:A Question of Legality, vol.16, The International Journal of Marine and Coastal Law, 2001, p.639)。この様な問題が生じるのは、排他的経済水域内における沿岸国と旗国の管轄権の配分が、完全には解決されていない事の所為である。科学調査と軍事活動は、第三次国連海洋法会議の中心問題であったにも拘らず、科学調査だけが海洋法条約に盛り込まれ、軍事活動は、第58条の解釈と国家慣行の進展に委ねられた。この結果、排他的経済水域内における軍事活動は、沿岸国の完全な支配下にあるとの見解と軍事活動に関する旗国の自由には制約が無いとの見解に大きく分かれている(S. Mahmoudi, 1996, p.366)。
 
 更に問題を紛糾させる事に、軍事活動に含まれる軍事測量(military survey)の問題は国連海洋条約では特に扱われている訳ではなく(not specifically addressed)、米国によれば、海洋自由に属するとされる(S. Mahmoudi, 1996, p.381, n.78)。その上に測量の内容が、海洋学、海底地質学、地球物理学、化学、生物、音響学のデータ収集を含むとされ、その手法も科学調査と同じか類似すると言われる。ただ目的が軍事利用にある点のみが異なり、秘密に保たれる(J.A.Roach,1996,p.61)。とすれば、国連海洋条約第240条a号で科学調査が専ら平和的目的の為に行なわなければならないと定めているにも拘らず、公表の義務と沿岸国の同意を得る義務を免れる為の抜け道として、科学調査を軍事活動或いは軍事測量と称する恐れが多分にある(S.Mahmoudi,1996,p.381)。
 海洋法条約で、科学調査、軍事活動、海洋の平和利用の三つの概念を定義しなかった事が問題の源とされる(S.Mahmoudi,1996,p.385.)。しかも、軍事活動については全面的に、科学調査については、一部を、強制的紛争解決手続から、除外している。この様な状況では、諸国が慣行を通して権利拡大を計り、紛争を醸し出す事は、一目瞭然である。
 1970年代にカーター大統領が、米国の軍事活動を脅かす過大な海洋政策に対抗する挑戦としてFON計画を実行したと言われるが、スウェーデンが過大な海洋政策を採った訳ではない。にも拘らず「Kane号事件」が起こっている。この様な場合に、沿岸国の態度を試しているとも解される。この場合に沿岸国としては、自国の安全の為に、この如き行動を、沿岸国の同意を要する科学調査であると把握して主張する事態は当然ある(S.Mahmoudi,1996,p.386)。
 
結論と若干の提言
 科学調査と海上交通網とは今まで見た限りでは直接的関係はないかのようである。しかし、調査に伴い設備を設置した場合に安全区域をも設定すれば、通航や立ち入りが制限される点で影響を受ける。しかも、英国の法令の様に禁錮刑も準備している国があるから、厳しい影響下にある。但し、実際には科学調査によるものより、資源開発に際して設備が設置される例が遥かに多いと予想される。この場合にも安全区域の問題は当然同じく惹起される。しかも、今後は極東でも、掘削リグの除去問題が、航海の安全や汚染の問題を深刻化させる恐れがないとは言えない。
 
 「Kane号事件」と同じ問題がわが国に起こって、外国船が無断で、調査を我が国の排他的経済水域で行なった場合には、排他的経済水域法に従う事を要求し、相手国が応じない場合には、相手の主張と行動を盾に取り、相互主義に従って、同じ測量行為を敢行すべしというのが、著者の提案である。この場合に、相手が沿岸国としての我が国の排他的経済水域法に従わない点をあくまで、違法と見做すならば、同じ行為に出る事は、復仇(reprisal)と位置づけられる。しかし、相手国の行為を合法と評価しなおして、相手と同じ行為に出る事は、報復(retorsion)と位置づけられる。相手国の道徳的又は政治的に不当な行為に対して同様に不当な行為をやり返す事である。
 公船や海上自衛隊の艦船による測量が、武力行使に該当するかは極めて疑問であり、平和時の活動であるから、武力行使を伴う復仇ではなく、国際法上、合法と考えられる。しかし、法制上制限があるならば、同盟国の助力を求める事も止むを得ないかも知れない。ところで上の復仇や報復の措置を執る為には、それを可能にする国内法の整備や組織がなければならない。上述の様に、カナダが軍事上の秘密保持を理由に科学調査に制限を加えてきたときには、これに同等の制限をわが国も要求すべきであり、国際法上は可能であるが、わが国に軍隊が存在しない事になっている為に、国内法上問題を生じないとは限らない。正に「武力を欠いた外交は、楽器を欠いたオーケストラに過ぎない」のである。この言葉は、元来は或るドイツ王の言葉で外交書で紹介されて英国で敷衍される様になったと言われるが、真実を衝いている点での重みは失われていない。
 
 従って科学調査自体を扱う法令の整備が緊急に必要と思われる。関連法規で間接的に処理するだけでは不十分の事態に至っている様に思われる。その際、スウェーデンの「Kane号」で見た様に事情の変化に対応して、法規の内容を厳格化し或いは反対に緩和する事を躊躇う必要はない。国益を生かす柔軟な対応が必要とされる。
 
 領土主権とか対土管轄権の問題に関する紛争の様に、実質よりも形式が物を言う分野では、用語法或いは定義が重要で、条約中に曖昧さや抜け穴を捜し出しては、国家は自国に有利に利用する。実益が大きいときには、特に、文言の拡大解釈に走る、と言われる。この事は、第三次国連海洋法会議で最も困難な問題であったと評される海洋の軍事的利用(F.O.Vicuna,The Exclusive Economic Zone,1989,p.108)にも関して妥当するし、科学調査についても言える。この様に海洋法条約には、諸国の利益の衝突を調整しきれずに意見の対立が残されたままの分野がある。具体的問題が生じた場合には、各国が長期的大局的利益を実現する目的で、独自の対処措置を講じる事を要求される。出来合いの解決策が法規上で用意されている訳では必ずしもない。
 
 実際に諸国は、軍事調査を装って資源探査を行なうとか、科学調査を装って軍事調査を行なう等、関係国の抗議をかわし、排除措置を緩和する為には変幻自在、様々に工夫を凝らして国益の実現を計っている事は容易に想像できる。例えば、中国との海洋問題の具体例は、もっと直截的で、1995年12月早々に東シナ海の大陸棚の中間線の日本側の海域で中国の石油掘削リグがボーリングを開始し、わが国の中止要請を無視して、試掘を続行し、翌1996年には、石油の噴出に成功したと伝えられている(平松茂雄等、アジア研究所叢書11「東アジアの乱気流」、1997,p.36)。(科学調査とは直接関係するとは限らないが、台湾の独立の懸念を払拭する為だけでさえも、軍事演習と称して原子力発電所への落下の危険も顧みずミサイルを近辺の海上に撃っている。超大国のアメリカ合衆国に対してさえ、最大限の要求をした事は、アメリカの所謂スパイ機事件に見える事は付論で触れる通りである。)これらの行動の基にあるのは、旧植民地国兼途上国としての国際法に対する不信感があると思われる。中国に限らず、例えば、フィリピン代表も海洋法会議の席上で「形成に何ら関わらない慣習海洋法の拘束力」を認めない事と、「この法が、彼らの信ずる所では、二〜三の海洋国の利益の為に作り上げられたものなので、新たに独立した国々の利益を考慮した新法」を望んでいた事を表明したそうである(C.E. Pirtle, Military Uses of Ocean Space and the Law of the Sea in the New Millennium, vol.31, Ocean Development and International Law, 2000, p.28)。更に中国の場合には、「不合理で不正な海洋制度」の「海洋覇権」を破壊する目的を持ち、海洋の自由な利用という帝国主義的原則から沿岸を解放する動機があったと言われる(Third U.N. Conference on the Law of the Sea, Official Recods,vol.XVII,1984,p.102.as cited by C.E.Pirtle,at p.30)。
 
 しかし、だからと言ってわが国の権利侵害を無視すべき謂れはない。第一に国際法上の相互主義或いは主権平等の実現を求めなければならない。端的に言えば同じ行動に出て、交換条件を手にして交渉の場に導くのである。但し、法制上、制限を受けて行動の可能性の範囲が限定される場合には、他国との協力を探求しなければならない。米国が海洋自由の原則を擁護する為に多大の努力を重ねてきた事は良く知られている。また、南シナ海等他所で同様の問題が生じている場合には、その経験に学ぶ必要がある。第三に、例えば対ロシアの場合の様に、わが国漁民によるロシア漁業法違反と相手国側の放置船除去の請求権が併存する場合に、これらを総合的或いは相殺的に解決する為、外交交渉を急ぎ、制度化として混合請求委員会等の設置を解決法として検討すべきであろう。これらの解決を要する問題が放置石油掘削リグに関して将来問題が生じ、海運に重大な障害になる恐れがあるかも知れない。これらの場合に、杓子定規な法治主義を掲げて、何もしない口実にする事は許されない。悪法や不備な法律を放置する事は、法治主義の精神に反する。








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