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第一部 海洋科学調査の法と実際
第一節 1958年のジュネーヴ諸条約の下での海洋科学調査制度
序論
 海洋科学調査は、非常に多くの目的に資する。また、これを適切に実行する事が、海洋資源の合理的開発の前提条件である。特定の種の魚を、過剰漁業に至らない様に漁獲する為には、資源存在量の絶えざる把握と適切な補充が行なわれて初めて可能になる。海底石油の開発も、当該区域における適切な地質学上の調査を行なわなければ、不可能である。あるいは、海洋環境の保全の為にも、海洋科学調査は欠かせず、海や有機物に有害な物質を発見し、汚染の除去或いは軽減の方法を発見しなければならない。更に潜水艦の探知能力の改善に海洋科学調査が行なわれる「波、潮流、海底の地勢、気候の研究」が、安全な航海に寄与する。
 
 この様に、海洋における経済的利用、航海、軍事演習などの可能性と進歩は、海洋調査によって枠が嵌められる。この様な調査には、底魚の生息、岩石構造や鉱石の堆積状態等を調べる為の地質学上の調査や地理学的調査、海図作成に必須の海洋地勢を音響による水深調査、地殻探査の為の深深度掘削など様々ある。調査主体も、国際機構の場合もあれば、国家の場合もある。これらの様々な調査の目的が互いに抵触する事があり、法の発展は、それらの緊張を反映する。
 
 二十世紀半ばまでは、海洋科学調査の法律に拠る統制は、不必要と考えられ、国際法学書も何ら言及する所がなかった。科学調査は政府の統制から自由であるべきだと考えられていたし、調査が行なわれたとしても、その規模が問題にしなくて済む程、小規模であった。
 
 従って伝統的国際慣習法では、海洋の自由は、科学調査の自由を含み、沿岸国の領海と内水に対する主権は、ここにおける排他的科学調査の権利を沿岸国に認めていた。しかし、第二次世界大戦以来の海洋科学調査の増大と、資源開発と軍事利用に海洋科学調査の成果が実際に応用されるに至って、海洋科学調査の統制が、始められた。その最初が、ジュネーヴ条約であるが、大陸棚について沿岸国に大陸棚の資源の開発目的での主権的権利を認め、探査がどの程度の科学調査を含むか、或いは、どの段階の掘削に限られるのかは、曖昧であった。しかし、海洋法条約になって、法的統制が、拡充された。
 
定義
 海洋科学調査とは、海洋環境の知識を増やすために行なわれる、全ての研究と関連実験を指す。(Max Planck Institute for Comparative Public Law and International Law, vol.11, Encyclopedia of Public International Law, p.207.)関連する学問の主たる部門は、海洋物理学、海洋生物学、海洋地質学及び地球物理学である。海洋考古学や海洋資源探査や試掘は、この概念には含まれない。但し、実際の区別には困難な場合が生じると思われる。しかも、軍事目的の活動の多くも、科学的手法を用い、結果も科学的意義を有する事があるから、事態は複雑である。
 
1958年のジュネーヴ諸条約の下での制度
1.公海
 海洋の科学調査は、一般的に海洋自由或いは公海自由の一部と見做されていた。但し、公海条約第2条の自由としては列挙されていなかった。しかし、この列挙が網羅的でない 事は明らかであり、前身の草案条項に関する国際法委員会のコメントで、公海自由に挙げられていない例として、わざわざ海洋科学調査の自由が、例示されたほどである。実際にも、多くの異なる国々が海洋の科学調査を公海上で、一世紀以上に亘って、実行してきたが、抗議を寄せられた記録は無い(R.R. Churchill and A.V. Lowe, The Law of the Sea, 3rd ed.,1999.p.401)。しかし、だからと言って、領海外での科学調査の自由は、必ずしも、無制約ではない。公海に於いて自由を行使する全ての国は、他国の利害に合理的な考慮・配慮をしなければならず、科学調査の自由もその例外ではない(公海条約第二条第二項)。公海条約草案化の過程でこの自由を詳細に規定すべきだとの提案が、英国などによってなされた。海洋の自由としての科学調査は、固定設備によって、そこに排他的主権的権利を行使して行なう事は許されない、とIMOやUNESCOが採択後に注釈した(D.P.E.O'Connell. vol.2, The International Law of the sea, 1984, p.1027)。
2.内水と領海
 沿岸国の主権に服するとされる領海に関して1958年のジュネーヴ条約が、沿岸国に課した唯一の制約は、他国が無害通航権を享有するという事だけである。従って他国領海内での海洋科学調査が許されるのは、沿岸国の合意が与えられた場合だけで、沿岸国の付した如何なる条件をも満たさなければならない。一つの考えられ例外は、領海を無害通航している間に、通航に付随する(incidental)「調査」とも解される活動をする事である。例えば、水路測量の為の音響探知(taking of hydrographic sounding)を行なう事は、安全の為の慎重な措置とも、海底の測量とも両方に解釈される。但し、この問題には争いがあり、いやしくも「調査」にさえ係われば、無害通航ではないとされるかも知れない。この様な場合に、領海条約第十七条でも、沿岸国が条件を定める事が出来たと解される余地があった。内水についてジュネーヴ条約が規定している事はないが、慣習国際法における内水の地位から当然に、沿岸国の同意無しでは調査は出来なかった筈である(R.R.Churchill and A.V.Lowe,The Law of the Sea,3rd ed.,1999,p.401)。
3.大陸棚
 大陸棚上での科学調査が規定されたのは、大陸棚条約第五条であった。その第一項は、大陸棚の探査と大陸棚資源の開発が、公開を意図して行なわれる科学調査を妨げてはならない旨規定していた。しかし、この緩やかな原則には、相当の限定が付されており、大陸棚上での科学調査について純粋の調査も応用調査即ち探査も沿岸国の同意を要するが、調査への参加や公表の条件を満たしている限り、前者の同意は「通常(normally)」「拒絶する事ができない(shall not withhold)」。本項の意図は明らかでも、困難な問題を生じる。例えば、「大陸棚に関してそこで行なわれる調査」という文言は、(横田・高野条約集では「大陸棚に関する実地調査」と訳している。)二つの解釈、つまり、「同意を要するのは、大陸棚に関する調査であって且つ、大陸棚の上即ち海底の上で行なわれる調査だけだ」という解釈と、「大陸棚に関する調査ならば、海底の上で行なわれようが、その上部水域で行なわれようが、同意を要し、のみならず、海底の上で行なわれる調査ならば、大陸棚に関するものでない調査でも、合意を要する」という解釈の二つである。何れが正しいか、準備交渉からも明らかではない。確定的ではないが、条約当事国の慣行は、第二の解釈を支持している様にも見える。何れの解釈でも、上部水域で行なわれる大陸棚に関しない調査には合意は不要であるとされる(R.R. Churchill and A.V. Lowe, The Law of the Sea, 3rd ed., 1999, p.402)。これは、調査に関する公海の自由に属し、第五条第一項が明らかにしている様に、沿岸国の干渉に服さない。
 
 第五項の第二文も問題を生じる。純粋調査と探査或いは応用調査を区別しているが、実際の適用では、区別は容易ではない。「純粋」調査として計画され、始められた調査でも、実際に調査を始めて、結果を分析する段階では、相当の実際的重要性を帯びるに至る事は珍しくない。
 
 更に、純粋な科学調査に同意を与えなければならないとされる「通常」の場合が、如何なる場合なのかについて、第五項の第二文は、基準を示していない。
 
「資格のある機関(qualified institution)」とは何かも問題であるし、調査への参加にしても、どの時点から何時まで沿岸国が参加できるのかも問題である(R.R. Churchill and A.V. Lowe, The Law of the Sea, 3rd ed., 1999, p.402-3)。
 
 上述の様に、ジュネーヴ大陸棚条約第五条第八項によれば、大陸棚の如何なる調査に対しても沿岸国の同意が得られ、調査が遂行できる事になっている。しかも、大陸棚の物理的生物学的特徴の純粋に科学的調査を、実行能力のある「資格のある」機関によって要請されれば、許可を拒否できない事になっている。この場合に、沿岸国は、調査に参加するか、代表者を派遣する権利を有する。又、調査結果は発表しなければならない。この規定は、字面では、科学調査についての自由を認める様に見えるが、既に1960年代に、同意を得る事が困難であった。困難の原因は、記述の様な「純粋な科学的調査」と「探査(exploration)」の区別の不明確さであった。探査ならば、大陸棚条約では、沿岸国の排他的権利に属する。ところが、海底(seabed)と其の底土(subsoil)の探査と科学調査の区別の明確な基準が無い。しかも、区別は、調査を行なう当事者の意図によって左右されるから、必然的に主観的にならざるを得ない。もし目的が鉱物資源の存在の発見にあれば、この活動は、探査と分類され、大陸棚条約第二条の「排他的管轄権」内に入れられる。問題の活動が、知識の追加、新知見の獲得にあるかも知れない。これは、調査を行なう通常の目的であるが、この場合でも、鉱物資源の存在について排他的に知る権利を含む、沿岸国の主権的権利を侵害する、とも解され得る。鉱物資源の存在についての権利が、固有の排他的権利に属する所以は、国家のエネルギー政策の基礎となり、主権の行使に属する経済政策の決定の基礎となるからである。主権的権利について最低の基準を考えてみても、外国による調査結果が発表されて、当該地域の地質が、石油の存在に好ましくない実情を暴露されれば、当該沿岸国の交渉上の地位を不利にされ、例えば、探査許可料金を交渉する上で、不当な干渉を外国から受けた事になる。
 
 ジュネーヴ大陸棚条約では、サウジアラビア代表が、この困難に注意を喚起したが、探査と科学調査の違いは明確にはされなかった。(UNCLOS. I,Official Records,vol.6, Fourth Committee, 82. as cited by D.P.O'Connell, vol.II, The International Law of the Sea, p.1031, n.34, 1984)
 
 国際法委員会が第七回会期で科学調査を詳細には研究しなかった事を自ら認め、海洋自由が、科学調査を行なう自由を含むか否かの問題が指摘され、原爆や水爆の影響調査の様に広範囲に亘る調査で他国の航海を禁止して良いものかが主として注目された。次いで、1955年「Yale Law Journal」での賛否両論二つの論文を紹介している。肯定論のMacDougalも、この様に広範囲の科学調査も海洋の自由に含まれ許されるか、他国の海洋の自由の享有を不合理に妨げてはならないと、限定条件を付している。(vol.64, pp.648-710, 1955; 49, A.J.I.L., pp.356-361, 1955.に要約がある)。更に国際法委員会は、国際科学評議会連合(International Council of Scientific Union)の決議を挙げ、公開の意図のある基本的科学調査は万人の利益になるものであり、障害無く出来る事が望ましいとする意見を紹介している。報告者の意見では、大陸棚上の科学調査も、生物資源の保存に関する調査は、沿岸国に禁止する権利はなく、沿岸国の同意を要するのは、海底と底土の探査と開発に関する科学調査の場合であると言う。原水爆実験の場合には、沿岸国の同意無しで許すのは好ましくはない様だと言っている。パラグラフ57では、「大陸棚上の公海では沿岸国以外の国でも、公海の自由として科学調査を行なう事が出来る」と述べている。(ILC Ybk., 1965, vol.2, 9-11, Para 10 of the ILC draft article 68 distinguished between research in the seabed and subsoil and in the superjacent waters)。
 
 海洋法会議では、科学調査に関して五つの修正案が出されたが、第二条の「沿岸国の主権の問題」としてではなく、第五条の「海洋の自由の問題」として扱われた。この移転は、実質的探査たる調査を、科学調査から除外する事が正しいと思われる。
 
 第五条第一項の「基礎的な海洋学的調査(fundamental oceanographic)その他の科学調査 」という文言は、デンマークの提案による。同国の理解では、海洋学は、海水と海底は含むが、底土は含まない。従って、鉱物資源を発見する目的での底土の探査が行なわれる危険はない。議論の際に第五条第一項と第八項の関係を明らかにする事がなかったが、概念的にも歴史的にも関係がある事は明らかで、「科学調査」という文言は同じ意味を持つと解釈しなければならない。第五項は、フランスの提案であるが、デンマークの理解と同じで、海底の探査活動と標本採取は科学調査の名目でも許されないと明言している。他の国々の中には、科学調査を装って権利侵害する事(subversion)から排他性を保護するのが第一の問題だと、明言した国がある(イラン、インドネシア、パナマ:n.37, Conf. A/13/c.4/ L/4 and 53)。
 
 第四委員会が第八項を採用し、準備会議で採択された為に、相当な変化が生じたが、草案化委員会が「大陸棚の土と底土の調査(research into soil and subsoil)」という文言に代えて「大陸棚に関してそこで行なわれる(and undertaken there)」という文言を用いたからであるが、変更の理由は明らかにされてはいない。しかし、この為に、調査に沿岸国の同意を要するのは「海底と物理的接触をする事が限定条件になるのか」という問題が惹起された。音波探査(seismic sounding)の場合には、この海底との直接的物理的接触はないが、海底の地質学的構造に入り込む人工音波に就いて、海底に接触して存在する事を擬制する(constructive presence)法の一般原則を適用出来ないとする理由がない。沿岸国の同意を要しない科学調査は、大陸棚上部の水域(superlacent waters)だけに限られる調査のみであり、これは公海自由の原則に属する。
 
 「探査」と「科学調査」の区別は、1976年「エーゲ海大陸棚事件」の暫定措置段階の審理(hearing)で、問題とされた。トルコが、ギリシャのものと後者の主張する大陸棚部分で、音波探査を行なっており、トルコは出廷しないで外交上で「活動に問題はなく、探査ではなくて、科学調査にすぎない」と主張した。ギリシャは「大陸棚上の探査が絶対的に禁止されている」と主張したが、裁判所は、この問題を直接的には取り扱わなかった。但し、訴えられた(complained)音波探査活動が小規模の爆発(small explosions)にすぎない故に、暫定措置を認めるのを拒否しているから、間接的に示唆を与えているとも言える。音波探査が探査であるとの主張が認められていれば、爆発の規模は関連性なしとされていたであろう。尤も、それでも暫定措置を認める裁量には、影響せず、やはり、措置は認められなかったかも知れない。
 
 各国の国内法は「探査」と「科学調査」の違いを却ってもっと曖昧にしている。「調査」と「探査」を実質的に同じ物と定義する国々がある(ブラジル1968年の政令、マダガスカル1961年の命令)。「探査」に地質学的、地球物理学的、その他の調査(survey)を含める国々があり(タイ1971年の法律)、全ての科学調査とする国々があり、「科学調査」には、重力測定、人工地震による音波探査、温度差伝導性能調査、輻射計、標本調査を含めている国もある(ノルウェー1969年勅令)。或いは、「探査」にも「科学調査」にも沿岸国の同意を要するとしている国々がある(ソ連1969年の決定、アルゼンチン1973年法律Ley)。大陸棚で(in situ)行なわれる調査に同意を要するとしている国々がある(ドイツ1964年の法律、1974年に修正)。探査を開発の目的を有するものと限定している国々がある(英国1971年の沖合鉱物施設法Mineral Workings(Offshore Installations)Act, 1971, c.61,2.))。試掘に限定しているのはフランスの1971年のデクレである(Decret 71-360, s.4.cf.s.14)、(D.P.O'Connell, vol.II, The International Law of the Sea,1984,pp.1030-1033)。
4.排他的漁業水域
 ジュネーヴ条約採択後に排他的漁業水域という概念が発展したために慣習国際法上で、科学調査に対する追加的制約が生じた。排他的漁業水域を主張した大半の国々が、その水域内で魚を獲る事を伴う場合には、排他的漁業水域内での他国による漁業調査をも規制する権限を主張した。これに対する抗議が無い事が、海洋科学調査に対する制限が、慣習国際法化した証拠とするが(R.R. Churchill and A.V.Lowe, The Law of the Sea, 3rd ed., 1999, p.403)、科学調査の規制権限自体への抗議は無くとも、排他的漁業水域設定に対する抗議は、見られたのだから、この評価は疑わしい。水域設定という本体への抗議が、科学調査の規制権限への抗議をも意味すると諸国が考えて、抗議したと解されるからである。反対に、魚を獲る事を伴わない場合には、自国排他的漁業水域内での他国による漁業調査をも規制する権限を主張した例は、第三次国連海洋法会議以前には、無い様である。
 
 1972年から1978年までの間に他国管轄権下の区域内での科学調査をアメリカ合衆国が要請した例を研究したものによれば、7%が沿岸国によって拒否され、別の24%は法外に遅延されたと言う。拒否の例のほぼ半分は、何らの理由を付されなかったそうである(R.R. Churchill and A.V. Lowe, The Law of the Sea, 3rd ed., 1999, p.403)。
 








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