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5 海軍力の在り方と海洋における法制度
 
(1)戦争と軍事力・海軍の意義
a 戦争の本質と軍事力の国際協力への取り組み
 1780年、プロイセンに生まれたカルル・フォン・クラウゼヴィッツは、ナポレオン戦争をはじめ5回の戦争に軍人として参加した経験をもとに、1818年から12年間の歳月を掛けて「戦争論」を著す。書斎に埋もれていた「戦争論」の原稿を校正して世に出したのは夫人のマリー・フォン・クラウゼヴィッツであった。その序文には、「2年か3年たてば忘れ去られるような書物を書くことは自尊心が許さなかった。戦争の問題に関心を持つ人なら一度ならず手にして悔いないような書物を著したかった」注76と記されている。「戦争論」は戦争問題に関心を持つ人のみならず様々な分野にある研究者の教材となり、現代にまで、集団と集団、国家と国家の間に生じる闘争、つまり「戦争」を解き明かすものとして幅広く読まれ続けてきた。
 
 「戦争論」においてクラウゼヴィッツは、「戦争」を「他の手段をもってする政治の継続である」と定義し、戦争を政治の属性として位置付づける一方で、「戦争の目的は敵を殺戮し尽くすことにある」とも述べ、戦争を一つの独立した人間の行為として捉える。戦争には、“真の戦争”と“現実の戦争”があって、人は戦争を通じて敵の完全な殺戮を目指すが、互いに殺戮を繰り返す過程で政治目的達成という妥協を模索し、戦争は終わりを迎える、とも記している。敵の完全な殺戮を目的とする“真の戦争”と、政治的な妥協点を見出す“現実の戦争”の狭間に「戦争の本質」を振り動かしている。クラウゼヴィッツはドイツ観念論に通暁した哲学者でもあった。難解な「戦争論」に示される「戦争の本質」を巡って多くの学者が異論を戦わせてきた。「戦争の本質」は二律背反するその性質そのものでもあろうか。
 
 戦争を区分してみよう。現代の戦争には、以下に示すよう三つのタイプの戦争がある。
 
 (現代の戦争)
・ 他者への侵略、略奪、殺戮あるいは破壊を企図した戦争
・ 上記に対する自衛のための戦争
・ 平和回復のための制度に基づく強制措置としての戦争
 (国連安全保障理事会(以降、「国連安保理」と呼称)によって平和への脅威と決定されたものに対する国連の集団安全保障制度あるいは国連決議に基づく武力行使)
 
 1991年のイラクによるクエート侵攻は「侵略等を意図した戦争」であり、国際連合憲章(以後、「憲章」と呼称)の下において違法である。違法な侵略行為を被った場合、すべての主権国家は、国連安保理が必要な措置を講じるまでの間、憲章第51条に基づき個別的あるいは集団的に自衛のための武力を行使する権限を有している。これが「自衛のための戦争」である。侵略など平和を脅かす違法行為が生じた場合、国連安保理は憲章第39条に従って当該脅威を平和に対する脅威・破壊行為と決定し、憲章第41条に基づく非軍事的措置あるいは憲章第42条による軍事的措置を決定することになる。軍事的措置が決定された場合は、憲章第45条により編成された国連軍が平和回復のために武力を行使する。これが国連による集団安全保障制度であるが、未だ国連軍は編成されておらず、イラクのクウエート侵略の際には国連安保理の決議に基づき多国籍軍が要請され、侵略行為の排除にあたった。このような、国連集団安全保障制度あるいは国連安保理決議に基づく軍事的措置を、「平和回復のための制度に基づく強制措置としての戦争」と区分することができる。1999年のNATO軍によるユーゴ空爆については、その法的根拠を見出すことは難しい。しかし、国家が国内で生じる悲惨な殺戮や非人道的行為を阻止できない場合、人類に対する侵略行為として、地域的な防衛体制などによってそれを排除することの正当性が人道的見地からして認められる場合、超法規的な強制措置もまた「平和回復のための強制措置」と見なすべき事態もあるだろう。
 
 国連決議等に基づく平和行動(Peace Operations)については、図4のように纏めることができる。
図4 「平和行動(Peace Operation)」
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b 海上犯罪等の新たな脅威と軍事力の役割
 生物の持つ闘争本能か、はたまた理性ある政治的一手段であるか、「戦争の本質」はさておき、「軍事力」の本質的な意義、それは「戦争の道具」であることに間違いはないだろう。
 
 侵略のための戦争を違法とする現代において、国家の持つ軍事力は、国家防衛のための道具である。それと同時に、上述したように、集団的自衛権や国連の集団安全保障措置として国境を超えて平和回復のための措置がなされるまでに成長した世界においては、国家の軍事力は個別的自衛に留まらず、人類の平和のための公共財として必要に応じて提供されるべきであろう。国際社会の成長の過程の中で、武力行使、軍事力といったものの概念もまた変化するとの認識が必要である。
 
 近代主権国家による軍事力と安全保障政策を系列化すると、図5のようになるだろう。
 
図5 国家の安全保障政策系列
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 今後は、国家の枠組みを超えた安全保障、グローバルセキュリティーにおける軍事力の意義について合意を得ると共に、国際政治の中における安全保障措置の決定方法の系列が模索されなければならない。
 
c 海軍の任務 −伝統的任務と犯罪取締任務−
 アメリカは1995年の「国家軍事戦略」で、ポスト冷戦時代における軍事力の役割として、抑止や戦闘能力による「侵略の阻止」(Thwart Aggression)に加え、平時の関与や紛争予防措置による「安定の促進」(Promote Stability)を上げその重要性を強調している。地域の潜在的紛争要因を武力紛争にエスカレートさせないような予防的な措置が必要であって、軍事力にもそのような役割を求めているものである。
 
 また、イギリスの「海軍ドクトリン」では、海軍の任務を「Military」(軍事的行動)、「Constabulary」(秩序維持や取極の執行といった警察的行動)、「Benign」(救難救済等の民生協力活動)の三つに区分している。「Military」には、抑止や海上交通保護等の本来的な任務を、「Constabulary」には、禁輸執行、海上隔離、平和維持活動、海賊対処、海底油田パトロール、漁業監視、テロ対処等の行動を、また、「Benign」には、災害救助、難民救済、捜索・救難、海洋汚染取締、平和構築活動といったものを含ませており、「Constabulary」と「Benign」の任務を安定化への貢献と位置付けている。アメリカの「国家軍事戦略」とイギリスの「海軍ドクトリン」を参考として、軍事力の役割(Role)と海軍力の任務(Mission)を関連付けると図6のようになる。
 
図6「軍事力の役割と海軍力の任務」
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ポスト冷戦時代における米国の軍事力の役割
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John M. Shalikashvill,Chairman of the Joint Chiefs of Staff, 1995 National Military Strategy,Washington D.C.
 海賊やテロ行動、資源紛争など、冷戦時代には安全保障として捉えられなかったような様々な脅威が海洋の安全を脅かす時代において、警察的任務領域と軍事的任務領域の境界は極めて曖昧なものとなっている。裾野の広い役割と任務が、軍事力と海軍力に与えられなければならない。このことは、沿岸警備も含む警察力についてもいえるだろう。
 
(2) 海洋の法制度−海洋安定化のための制度構築の可能性
a 国連海洋法条約、海戦法規、沿岸国の法令等の現状
 法を平時の法と戦時の法に分けるとすれば、国連海洋法条約は平時における法といえるだろう。国連海洋法条約は、1958年の第1次国連海洋法会議、1960年の第2次国連海洋法会議、そして1973年からの第3次国連海洋法会議と、足掛け24年の歳月を経て1982年に採択された。国連海洋法会議が審議された時代は冷戦の時代であった。審議の対象が航行や領海といった伝統的な項目から、資源や環境の問題にまで拡大されていく過程において、海軍関係者は、資源・環境の保護などによって海軍艦艇の行動自由に規制が加えられる事態を懸念するようになり、軍事・安全保障の問題がしだいに国連海洋法条約から遊離していくようになった。1967年の国連総会におけるマルタの国連大使アービト・パルドーによる「海洋は人類の共同財産」演説注77などもあり、「海洋管理」は経済発展と安全保障の基本的原則としての「海洋自由」を損ねるとの危惧が増していくようにもなった。海洋管理を通じての安全の保障といった概念は、冷戦の時代において理解の範疇を超えていたのである。一方、資源開発や環境保護に関係する代表は、海軍活動に規制を加えるような提案がでると超大国の反対があって審議が滞ることを十分承知していた。国連海洋法会議では、海軍艦艇の航行など軍事・安全保障に関わる審議は避けて通られた面がある。国際海洋研究所(IOI)のエリザベス・マン・ボルゲーゼ名誉議長はこれを「海洋法と海軍の離婚」と称している。
 
 超大国と伝統的海洋利用国は、海洋利用に関わる全てのことについて軍事を最優先して考慮し、開発途上の沿岸国は海洋資源に対する自国の管轄権の外洋への延伸のみを図った。軍事上の要求と資源獲得の要求を切り離してしまう超大国・海洋利用国と沿岸国の思惑は、国家管轄水域における航行の自由と主権的権利とを並列して規定する方法を生み出した。沿岸国の主権と軍艦の無害通航権、国家管轄水域に及ぶ沿岸国の具体的な管轄権、などの問題は伏せられたままとなり、それらが今日に到って、“Creeping Jurisdiction”(沿岸国による主権の国家管轄水域への延伸)、領海外側の防衛水域設定、国家管轄水域内での海軍行動の是非等の論争を生み出しているのである。注78
 軍事に関わる国際海洋法はどうなっていて、それは国連海洋法条約とどのような関係を持つのだろうか?
 
 第2次大戦後、戦時国際法や戦争法あるいは人道法に関わる審議は国連海洋法会議より以前になされていた。1949年には傷病者や捕虜の保護などのジュネーブ4条約が採択されるなどしたが、ほとんどが陸戦に関するものであり、海戦については難破船や病院船の保護などにとどまった。そのため海戦法規については、1856年の「パリ宣言」(「海上法の要義を確定する宣言」)、1907年の「海戦に関するハーグ条約」と1909年の「ロンドン宣言」(「海戦法規に関する宣言」)、及びその他19世紀以前の慣習国際法といった遺物的なものしか存在していない状況にある。それ等とて、現代の海上戦闘には適用できないものが多い。そのような状況に鑑みて、人道法国際研究所が、1987年から1994年まで7年間を掛けて海戦法規を包括的に検討し、現代の海上戦闘に適用すべきものを抽出する作業を実施して、その成果を「サンレモ・マニュアル」として纏めているが、これは、あくまでマニュアルに過ぎない。
 
 軍事に関わる国際海洋法を審議するための第4次国連海洋法会議の開催を提言する向きもあるが、その多くは沿岸国家であり、海洋利用国側はこれに同調する姿勢を示さない。
 
b オーシャニック・トライレンマを克服しての海洋の安全保障
 海洋にある資源を求めてあらゆる主体が海洋へのアクセスを深めている。「開発の問題」は確実に海洋に広がり、そこにおいて「環境の問題」や「平和の問題」が生じ、それが巡り巡って「開発の問題」を更に深刻なものとする構図が海洋を舞台として形作られている。「開発−環境−平和」を巡るオーシャニック・トライレンマ注79が、「管理の海洋世界」における安全保障上最大の問題としてクローズアップされてくるだろう。
 
 国連海洋法条約には、「持続可能な海洋利用」と「海洋利用を巡る紛争の平和的解決」という二つの基本理念、そして「国際協力」と「予防的アプローチ」の適用という基本原則が謳われている注80。海洋の総合的管理は、この二つの理念と原則に行き着く。第3章において述べたように、「管理の海洋世界」を特徴づけるものとして「海洋レジームの地域化」傾向がある。排他的経済水域の区割りと無関係に回遊する魚種や国家管轄水域の境界を超えて拡散する汚染など、海洋管理は沿岸国一国だけで完遂できるものではない。海洋管理には地域国際協力が必要との認識から、地中海・黒海、バルト海などにおいて、資源・環境に加えて、海運、航行、安全保障などを含めた総合的な海洋管理のレジーム化が図られつつある。この取り組みはやがて地球的な広がりを見せるようになるだろう。第4章で触れたように、ユーラシア海洋世界には、海洋資源に対する主権的権利を巡る対立、無統制のシーレーン、「海洋管理」と「海洋自由」を巡る対立、乱獲と環境破壊などの新たな安全保障上の不安定要因が生まれてきている。アンダマン海、マラッカ海峡・インドネシア群島水域、南シナ海、東シナ海、日本海にも、地中海・黒海やバルト海のような地域海総合管理のレジームが求められる。
 
 旧世紀の遺物のような慣習法の法典化やマニュアル化では「管理の海洋世界」における海戦に関わる法的枠組みとはなり得ない。オーシャニック・トライレンマの克服に海軍力や海上警察力を巧みに取り入れ、それを立法化し、国連海洋法条約の延長線上に位置付ける努力と叡智が求められる。








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