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I. 閉鎖性海湾における環境モニタリング調査のあり方
 
1. 海のあるべき姿
 海の環境を保全し、海からさまざまな恩恵を享受していくためには、海を健康な状態に保つことが重要である。そのためには、海の状態を的確に把握し、必要な措置を講じていかなければならない。海の状態を的確に把握する方法としてモニタリング調査が有効であるが、効果的にモニタリング調査を実施し、海の健康状態を把握するためには、健康な海そのものを理解していなければならない。
 そこで、健康な海を理解するため、アジェンダ21行動計画第17章、国連海洋法条約及び環境基本法といった国内外の法規の趣旨、学識経験者等の既往文献及び講演内容、海外事例を参考にして、まず、海のあるべき姿について検討した。
 
1.1 海のあるべき姿
 
1.1.1 国内外の法規等における海の位置付け
 国内外において、海はどのように捉えられているのかを把握するため、海洋環境についての代表的な法規として、国際的には「アジェンダ21行動計画」の第17章及び国連海洋法条約を、国内的には「環境基本法」の目的(第1条)及び基本理念(第3条)を整理した。
 
第17章 海洋、閉鎖性及び準閉鎖性海域を含む全ての海域及び沿岸域の保護及びこれらの生物資源の保護、合理的利用及び開発
A. 沿岸域及び排他的経済水域を含む海域の統合的管理及び持続可能な開発
B. 海洋環境保護
 我が国は、「環境基本法」により、水質の汚濁について、人の健康を保護し、生活環境を保全する上で維持することが望ましい基準を定めている。これを達成するために「水質汚濁防止法」により、工場、事業場から河川、湖沼、沿岸海域等の公共用水域へ排出される水の水質規制及び生活排水対策の実施を推進している他、特に瀬戸内海においては「瀬戸内海環境保全特別措置法」により、水質に対するより厳しい規制、自然海浜の保全等の措置を講じている。また、「MARPOL73/78条約」を踏まえた「海洋汚染及び海上災害の防止に関する法律」により、船舶、海洋施設等に起因する海洋汚染の防止を図っている。さらに、「下水道法」により公共用水域の水質保全に資することを目的として、下水道整備による環境への負荷削減策を講じている。
 陸上に起因する海洋汚染の防止のために有害物質等の排水規制を順次強化、実施しているほか、下水道をはじめ、地域の実情に応じて合併処理浄化槽等の整備、沿岸海域における汚泥浚渫等の海域浄化対策事業を推進している。
C. 公海の海洋生物資源の持続可能な利用及び保全
 海洋生物資源は、21世紀へ向け今後とも人口増加を続ける人類への安定的な食料確保という観点から、適正な科学的管理の下で持続的利用を前提とした開発が促進されるべきと考える。
D. 領海内の海洋生物資源の持続可能な利用及び保全
 我が国周辺水域は寒・暖流が交錯し、漁場としての好条件に恵まれ、また豊かな海洋生物資源も存在し、世界有数の漁場となっている。この海洋生物資源を適切な保存と持続的生産を図りつつ効率的に活用することは、我が国に課せられた責務である。
E. 海洋環境の管理及び気候変動に関する不確実性への対応
 気候変動の海洋環境に与える影響に関する不確実性に対応するため、海流、水温、塩分、海氷、風、波浪等海洋環境に関する系統的な観測を推進するとともに、得られたデータをユネスコ(UNESCO)、世界気象機関(WMO)、国連環境計画(U NEP)等で国際的に位置づけられている「国際海洋データ交換システム(IOD E)」「全世界海洋情報サービスシステム(IGOSS)」等のネットワークに提供しているところである。
F. 地域協力を含む国際協力及び調整の強化
 海洋生物資源の保全と海洋汚染防止の問題は性質の異なる問題であり異なるアプローチが必要である。海洋生物資源に関しては、これまで、国際的あるいは地域的漁業機関の下で、漁業資源の保全と持続可能な開発を目的とした効果的な管理が行われてきており、他の環境分野に比較してかなりの効果を挙げてきた。我が国としても世界有数の漁業国としてこれら機関の下で積極的に海洋生物資源の保全に貢献してきており、今後これら既存の機関の一層の機能強化が望まれる。また、今後生じることが予想される機関間での調整を要する問題については、国連食糧農業機関(FAO)のように漁業に関する科学的・専門的知見を備えた国際機関が調整機能を果たすべきであり、国連総会に調整を委ねるのは適切ではないと考える。なお、国連高度回遊性魚種類等会議に関しては、漁業資源管理の問題の一環として科学的知見に基づいた対応が必要であり、「国連海洋法条約」の趣旨に合致したレジームの尊重が適当と考える。
 一方、海洋汚染防止の問題については、これまで国際海事機関(IMO)、国連環境計画(UNEP)が中心、となって取り組んできた。大規模海洋汚染問題等新たな対応が必要とされる事項についても、これら機関が引き続き積極的な役割を果すことが期待される。
G. 小規模な島嶼諸国の持続可能な開発
 島嶼諸国は、それぞれが特異な生物相・生物多様性、また、それらと結びついた独自の文化を持っていることが多い一方、その地政学的関係により気候変動の影響や自然災害を被りやすい状況にあり、その持続可能な開発のための国際協力が期待されている。国連では1994年4月に小島嶼諸国の持続可能な開発に関する世界会議が開催される予定である。
 
第12部 海洋環境の保護及び保全
・海洋環境の汚染の定義
 生物資源及び海洋生物に対する害、人の健康に対する危惧、海洋活動(漁業その他の適法な海洋の利用を含む)に対する障害、海水の利用による水質の悪化及び快適性の減少というような有害な結果をもたらし又はもたらすおそれのある物質又はエネルギーを、人間が直接又は間接に海洋環境(河口を含む)に持ち込むこと
・海洋汚染の原因
 陸からの汚染、海底資源探査や沿岸域の開発などの活動による生態系の破壊、汚染物質の海への流入、投棄による汚染、船舶からの汚染、大気を通じての汚染
 
(3) 環境基本法
(目的)
第1条
 この法律は、環境の保全について、基本理念を定め、並びに国、地方公共団体、事業者及び国民の責務を明らかにするとともに、環境の保全に関する施策の基本となる事項を定めることにより、環境の保全に関する施策を総合的かつ計画的に推進し、もって現在及び将来の国民の健康で文化的な生活の確保に寄与するとともに人類の福祉に貢献することを目的とする。
 
(環境の恵沢の享受と継承等)
第3条
 環境の保全は、環境を健全で恵み豊かなものとして維持することが人間の健康で文化的な生活に欠くことのできないものであること及び生態系が微妙な均衡を保つことによって成り立っており人類の存続の基盤である限りある環境が、人間の活動による環境への負荷によって損なわれるおそれが生じてきていることにかんがみ、現在及び将来の世代の人間が健全で恵み豊かな環境の恵沢を享受するとともに人類の存続の基盤である環境が将来にわたって維持されるように適切に行われなければならない。
 
1.1.2 既往文献等における海の位置付け
 国内では、海の環境保全について、環境関連の雑誌や講演会等をとおして、学識者から様々な考えが示されている。それらの内容は以下のようにまとめることができる。
・人間は海から多くの恩恵を受けている1,2,3
・海洋環境を保全し、健全なかたちで将来に引き継ぐ責任がある1,2,3
・海運・交通の場である1,3
・人に安らぎを与えてくれる1
・埋立てなど陸地造成の場である1
・持続的に食料を供給してくれる1,2,3
・あらゆる物質を循環させる3
・多種多様な生物が食物連鎖や生態系を構成している2,3
・地球規模で気象・気候に影響を与えている3
・エネルギーを供給してくれる1
 
 
注釈
1 清水 誠 (2000): 海洋環境保全のあり方を考える.かんきょう第25巻4号、6-9
2 中田英昭 (2000): 海洋環境モニタリングの意義と手法.かんきょう第25巻4号、10-13
3 平野敏行 (2000): 海の利用と保全を考える.EMECS NEWSLETTER No.15,4
 
 
 また、海外では「Ocean health」とか「Ecosystem health」といった言葉が使われており、国際的にも、環境に対して、「Human health」という考え方から「Ecosystem health」という考え方に変わってきている。「Ocean health」とか「Ecosystem health」について明確に定義されているものは見あたらず、評価手法についてはいくつかの論文が公表されている。例えば、「What is a health ecosystem?」(Robert Costanza and Michael Mageau(1999)Aquatic Ecology 33:105-115)では、「Healthy ecosystemは継続可能なもの、即ち、外部ストレスに曝されても、その構造(organization:生物体)と機能(vigor:活力)を維持する能力を有している(resilience:復元力)ということ」とし、この3つの生態系属性(organization、vigor、resilience)を定量化するいくつかの手法について論じている。
 「Ocean health」あるいは「Ecosystem health」に関して収集した海外の資料及び書籍は次のとおりである。比較的、陸上の生態系についの内容が多かった。
 
 
―収集した資料および書籍等―
<資 料>
● 生態系の健全国際協会 (International Society for Ecosystem Health (ISEH))に関する資料
● GOOS (Global Ocean Observing System)に関する資料
● The Danish Marine Environment : Has Action Improved its State? 1998、Danish Environmental Protection Agency
● Quality Status Report2000 2000、OSPAR COMMISSION
<書 籍>
● ECOSYSTEM HEALTH
 Edited by : David Rapport、Robert Costanza、Paul R. Epstein、Connie Gaudet、Richard Levins
 1998、Blackwell Science, Inc.(ISBN 0-632-04368-7)
● Integrated Assessment of Ecosystem Health
 Edited by : Kate M. Scow、Graham、E. Fogg、David E. Hinton、Michael L. Johnson
 1999、LEWIS PUBLISHERS(ISBN 1-56670-453-7)
● Ecosystem Health. New Goals for Environmental Management
Edited by : Robert Costanza、Bryan G. Norton、Benjamin D. Haskell
1992、ISLAND PRESS(ISBN:1-55963-140-6)
● Evaluating and Monitoring the Health of Large-Scale Ecosystem
Edited by : David J. Rapport、Connie L. Gaudet、Peter Calow
1993、Springer-Verlag(ISBN:3-540-58805-1)
 
1.1.3 海のあるべき姿の定義
 国内外の法規と学識者の考え方には、“人間は海から多くの恩恵を受けていること”、“海洋環境を保全し継続的に恩恵を受けること”が趣旨として伺える。
 海は地球表面の約7割を占める圧倒的な規模と容量を持った水の貯蔵庫であり、“気候調節”、“生物生産”、“物質循環”及び“アメニティー”等の地球上の生物にとって重要な機能を担っている。これらの機能が正常に働くことにより、人間を含むすべての生物は、“生息環境(地球環境)の維持”、“食糧資源の供給”、“海運”及び“アメニティー”等の自然の営みによって生じる多くの恩恵を享受し、生活している(図I-1)
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図I-1 海の機能と恩恵の概念
 
 海を含む地球環境保全の必要性は、国際的には「アジェンダ21行動計画」、「国連海洋法条約」及び「生物多様性条約」等、国内では「環境基本法」等の条約及び法規、学識経験者の意見として、国内外を通じて共通の認識である。
 私たちは、海を保全し、海の自然の営みによる恩恵を継続的に受けることができるように海を大切にする必要がある。
 以上のことから、海のあるべき姿は“自然の営みによる海からの恩恵を継続的に享受できる状態”と定義した。
 
 
“海のあるべき姿”とは、“自然の営みによる海からの恩恵を継続的に享受できる状態”である。
 
 
1.2 健康な海
 地球上の生物が海から受けている多くの恩恵のうち、食糧資源供給に関係深い生物生産機能の海域(外海、湧昇域、沿岸域)による違いを植物プランクトンの平均生産力でみると、広大な面積を持つ外洋よりも面積的には狭いが我々に身近な沿岸域で多い(図I-2)。
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図I-2 海域別面積割合及び植物プランクトンの平均生産力の割合(Ryther, 1969)
 沿岸域は、食糧資源供給という恩恵にとって重要な海域であるといえる。一方で、沿岸域、特に閉鎖性海湾は、比較的静穏な海域であること等から港湾が発達する等の人間の利用度が高く身近な海域であり、環境保全を必要としている海域である。
 そこで、人間活動の影響を最も受ける沿岸域を対象に、健康な海について検討することとした。
 
1.2.1 沿岸域の特徴
 沿岸域を開放性で区分したときの閉鎖海域を閉鎖性海湾、開放海域を開放性沿岸域とし、閉鎖性海湾が有する特徴を開放性沿岸域の特徴と比較した(表I-1)。
 閉鎖性海湾も開放性沿岸域も沿岸域の一部であることから共通する特性も多いが、閉鎖性海湾は、地形的に奥まっており、比較的波が穏やかであることから、古くから港湾を中心とする都市が発達し、その結果、負荷が多くなった。閉鎖性海湾は、地形的に海水交換が悪く、陸域からの負荷などの物質が滞留する特性を持っている。また、都市化の影響で藻場や干潟が消滅する場所が多い。
表I-1(1) 開放性沿岸域及び閉鎖性海湾の特徴
開放性沿岸域の特徴 閉鎖性海湾の特徴
・外海の影響を受けやすい
→比較的波が荒い、鉛直循環が起こりやすい
・外海の影響を受けにくい
→比較的波が穏やか、鉛直循環が起こりにくい
・海水交換が良い→移流・拡散が活発 ・海水交換が悪い→物質が滞留する
 
 
表I-1(2) 開放性沿岸域及び閉鎖性海湾の特徴
開放性沿岸域と閉鎖性海湾とが共通して持つ特徴(沿岸域の特徴)
・比較的浅い
→底層まで光が届く、藻場が発達しやすい、基礎生産が活発、溶存酸素量の増加
・淡水流入がある
→土砂が供給される、干潟が発達しやすい
・陸域からの負荷を直接受ける
→流入負荷(栄養塩類、重金属、環境ホルモン等)の流入
・潮汐がある
・表層から底層まで魚介類が分布している
→生物の多様性が高い、多様性の高い生態系・食物連鎖の形成
・漁業活動が盛ん
→系外への物質移動
※カッコ内は、特徴に起因する海湾の現象を示す。
 
 
1.2.2 健康な海
 1.2.1で整理した特徴を踏まえ、沿岸域では、図I-3に示すような基本構造が成立していると考えられる。ここで、藻場及び干潟は、条件の揃った特定の沿岸域に形成されるものであり、沿岸域の特徴的な構造である。そこで、藻場及び干潟の基本構造についても別途、図に示した。
 陸域から流入する栄養塩を藻場や干潟に代表される浅海域で受け止め(緩衝機能)、そこで生物による浄化−生産が起こり、海水中では、光合成による基礎生産に始まる、食う、食われるの食物連鎖によって生物資源が生産され(生物生産機能)、鳥や漁業によって系外への除去が行われている(除去機能)。底層に入った栄養物質は、固着性の強い底生魚介類の餌となるとともにバクテリアなどの微生物によって分解され、底泥からの溶出により再び海水中に循環している(分解機能)。この時、酸素が消費される。このような内部循環の一方で、潮汐などの物理的な作用で外海へ移流・拡散している(海水交換機能)。
 この構造の中で、物質の循環を補助している生物群集や生物の生息空間、生息環境が「生態系」である。本来、生態系を構成する生物の種構成及び生物量は、季節の変化や、大雨等による突発的な気象条件等、自然条件下での生息環境の変動に左右され、ある一定の幅で変動する。そのように、一定の幅で変動している状態が生態系が安定している状態である。人の活動等によって海域環境が悪化してくると、この変動幅は崩れてくる。この状態が不安定な状態である。生態系が安定していることが海洋の営みにとって重要なことであると考えられる。
 一方、負荷、海水交換、基礎生産、沈降、分解、除去といった物質の動きが「物質循環」である。物質循環が滞ることなく円滑であることが海の営みにとって重要であると考えられる。
 以上のことから、健康な海は“生態系の安定性が大きく、物質循環が円滑であること”と定義できる。
 
“健康な海”とは、“生態系の安定性が大きく、物質循環が円滑な海”である。
 
 
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図I-3 沿岸域の基本構造
 
1.3 海の健康状態を把握するための視点
 前章で、健康な海とは、“生態系の安定性が大きく、物質循環が円滑な海”と定義した。この定義を受けて、海の状態を的確に把握するためのモニタリング調査は、“生態系が安定しているかどうか(生態系の安定性)”、“物質循環が円滑に行われているかどうか(物質循環の円滑さ)”が把握できるものである必要がある。
 海の健康状態を把握するに当たっては、まず、地理的情報、気象的条件、社会的情報、歴史的情報及び管理的情報といった海湾の基本情報を十分に把握し、図I-4に示した2つの視点で調査を構成する必要がある。すなわち、図I-3に示した沿岸域の基本構造に基づき、生態系の安定性については、「生態系」を表す“生物群集(組成)”、“生息空間”及び“生息環境”の3つの視点、物質循環の円滑さについては、「物質循環」を表す“負荷”、“海水交換”、“基礎生産”、“堆積・分解”及び“除去”の5つの視点でそれぞれの調査を行うこととする。
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図I-4 海の健康状態を把握するための視点








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