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大阪の芸能とアジア文化と町づくり・・・田中 宏幸
 吉本興業といいますと我々は新喜劇や花月ばかりを思うわけですが、実は最近お笑いだけではなく、お笑いと近いところで人を集めるようなビジネスを様々に展開されていたり、荷づくりのコンサルティング業も展開されています。東京では豪華客船を所有してクルージングの観光業も行っています。人を集めるビジネスというものを吉本典業が多面的に展開していく中で、ユニークな役割を果たされているのが田中さんだと私は思っています。経歴を少し申し上げると、一九五四年に京都市でお生まれになり、京都大学を卒業された後、吉本興業に入られております。
 桂三枝さんや明石家さんまさんのマネージャーを経て、様々な番組やイベントのプロデュースをされたあと東京支社長になられています。
 少し変わったところでは字幕のついたお笑いのビデオも製作されています。聴覚、耳の不自由な方に、お笑いを提供したいという福祉の観点で、字幕のついた笑いを提供しています。社会的に大事な仕事もされています。あと二〇〇〇年の四月に大阪球場の跡に、なんばクリエイターファクトリーという、次の世代の大阪の芸能の担い手を養成する学校を立ち上げられました。それと今日の出題でもあるアジアということで絡めていいますと、国内の博覧会なのですが、北九州の博覧祭に、カザフスタンの国立サーカス団を呼び、興行もしています。
 現在は総務部長という肩書きで、現場とはちょっと離れています。面白いご経験をうかがうことができると思います。では田中さんを紹介いたします。〈橋爪紳也〉
◎国立カザフスタンサーカスの「オアシスの妖精たち」◎
 吉本興業の田中です。今、総務の仕事をしておりまして、林幸治郎さんの話し安心して聞いておりました。なぜこんなに林さんの話が面白いかと申しますと、そんなん解説してもしゃあないですが、うちの子供もどこの大学に行かそうかな、どこの高校行かそうかなみんな迷うてはると思うんですね。今東大とか京大とか行ってもどうしょうもないし、行った会社はつぶれるとか、どうしたらいいだろうかと皆思っています。だから自分の好きなこと見つけて、やってはるかたは根本的に素敵やなあというふうに思うんです。
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二〇〇一年に来日した国立カザフスタンサーカス「オアシスの妖精たち」
 今先ほど橋爪さんのほうから紹介ありました、カザフスタンの国立サーカスをこの(二〇〇一年)九月北九州に呼んできたんです。みなさんご存知ないかもしれませんけどインドと同じ広さがあるんですね。むちゃんこでかい国です。人口が二千万人くらいです。
 カザフスタンには去年(二〇〇〇)の九月に初めて行ったんですけど、カザフスタンという国は、実は十一年前にソビエト連邦から別に独立したい言うてへんのに独立させられた。あのへんの国みんなそうです。キルギスタン、トルクメニスタン、カザフスタン、それからタジキスタン、ウズベキスタン、そういう国は、ソビエトつまりロシア人政府から圧政を受けてたわけですね。そのなかで芸能もそうです。
 さあ独立せえ言われても、国全体のアイデンティティーがない。博物館に行くと、今から十年前に独立しました、ということでぶつっと終わってるんです。そっからどうやってアイデンティティーいうのを見つけようと、みんな考えあぐねている。
 そういったときに国立カザフスタンサーカスを北九州博覧祭に呼んでみましょうということになりました。なぜかというと珍しいし、総勢二十人の団員で来るのも初めてだという事でしたから。
 僕自身も一緒に取材に行ったんですが、なんと国立カザフスタンサーカスと言いながらそのサーカス場をロシアの資本家に取られてるんです。彼らは国立といいながらほとんど援助を受けられずに、小学生相手に体育館を改装したようなところで興行している状況やったんです。それでだんだん僕らがエキスポに国立カザフスタンサーカスを買いに来ましたよということが明らかになってくると、扱いが全く違って文化庁の長官とかに会わざるを得なくなってきた。会って頼んだら向こうもですねサーカス団が売り物になんねやということが解り始めて、だんだんサーカス団に対する見方が変わってきた。
 カザフスタンの人は実はあんな格好(アラビアンナイトに出現するアラブ人−公演した時)してるわけやないんです。全くつくりもんです。あれはオアシスの妖精たちという、コンセプトを僕らが考えたんです。日本の中年の人がシルクロードとしてかなりロマンティシズムをもっている地域はみんなウズベキスタンですから、カザフスタンはシルクロードの国でないと思うてはる。サマルカンドはウズベキスタンの都市です。カザフスタンのアルマトゥイというところは、都市自体リンゴの都言うて別にオアシス都市でも何でもない。今まではボリショイサーカスがトップにあったわけですね。中国で言うたら北京や上海の雑技団が一番なようにです。ところが、ソビエトという国が崩壊して、独立せえて言われて、国立カザフスタンサーカスは存在しているのだけど、お金儲けしようがあらへん、彼らは彼らでどういう風にサーカスをつくってどういうコンセプトでやっていったらいいかわからへん。出世街道がないんです。
 カザフスタンをシルクロードの国って言うてしまおうや、日本から見たらわかれへんやん。日本からゴビ砂漠を超えて、テンシャン山脈を越えて降りたところがアルマトゥイです。ここもシルクロードて言うてしまおうということで「オアシスの妖精」たちっていうタイトルを付けたわけです。
 まあ言えばここはフェイクですね。そういう風につくらないと売りようがなかったのです。だって技術的には中国の雑技団には勝てっこないですもん。ところがエキソチシズムに満ちた女の人ばっかりのサーカスにしましようと、女の人の顔を見てもペルシャ系から中国系からアラビア系から魅力ある民族でいっぱいです。要するに昔の胡姫ですね、舞で旅人をもてなすというコンセプトでショーをつくったわけです。そうやってアイデンティティーをつくらないと実際問題売れなかったわけです。
 おかげさまで、北九州の博覧会に出演してカザフスタンサーカスの人もものすごい儲かった。カザフスタンサーカスの人は一ヵ月で国の体制を変えたんですね。音楽も何もかも自分たち独自の文化が外で売れるんだと。だから今からずいぶん前の中国のように、雑技団が売り物になるとわかると、雑技団に入ったら外国にも行けるし、給料も普通の人の三倍や四倍も得られる。だから雑技団の人はプライドも高くなった。サーカスをやる人にとっても売りもんになるいうことが必要だった。でっちあげたもん、なんと中国にも売れるということになって中国公演も決まったらしい。お金儲けできない音楽やサーカスはどんどん切られていくつていうのが中央アジアの現状ですね。
◎サーカスを商品化する発展史◎
 今日サーカスの流れの話をして、そのあとさっき紹介ありましたなんばクリエーターファクトリーについてお話したいと思います。カザフスタンなんかは、政府が一生懸命シルクロード外交なんかやってて、石油業で外貨を得て道を作ったりしている。ともかくモノはあるけど、非常に苦労をしてはる人が多い。僕らはコンセプトを作って、その人たちの努力を形にしてビジネスに結びつけようとしました。だから芸能の世界って言うのは、故事来歴で正しいって言うか、誰か思いついて作ったとかですね、そういう風なものがけっこうある。
 たとえばエンタツ・アチャコでも、スリーピース着せて漫才やらそ、モダンな漫才や。早慶戦なんてやらそ言うたかってエンタツ・アチャコが早稲田大・慶応大へ行ってたわけでもなんでもないんです。ただラジオ聞いていただけです。あのプロデュースの力のように、作るっていうことで商品化していくことは、よくある。
 ちょっとサーカスのマニアックな話をしますが、もともと江戸時代は、見世物というか軽業に関しては、日本は先進国でした。
 実は幕末に江戸幕府が与えた最初のパスポートはサーカス芸人で高野広八一座って言われています。彼らは実は一八六五年パリ万博にイギリス人のプロモーターが連れて行ってるんです。ぼくらもNGKという劇場に十何年前サーカス芸人を呼んでるんですけど、彼らは足芸のことをリズリーっていっていました。
 これは何故かというと、その当時日本では足芸が得意やったんですね。たとえばお父さんが、おっきい樽があって、その樽をポンっとやって、樽が割れると中からちっちゃい樽が出てくる、そっから子供が出てくる。児童福祉法もない頃ですから、そういう足芸があったわけです。足芸を中心とする一座のプロモーターに、リズリーという人がいたんです。これは本にも出ている。だから未だに足芸のことをリズリーっていうんです。ボリショイサーカスが来て人間大砲という足芸があるのですが、ボリショイの舞台監督に聞くと、これは実は日本がオリジナルと言わはるんですね。そういう風に幕末の時、日本の芸能は、各ヨーロッパに行ったり、アメリカにも行ってます。
 また余談ですが、その人たちが日記を残したりしてるんですが、これは芸人さんたちのしぶとさが書かれている。いま、国際人になれとか、グローバルに通用する人間になれとか言いますが、この時のサーカス芸人さんの日記なんか読むと、全然へこたれてないんですね。
 極端な話、パリで女買いに行って高かったって言うて文句言いに行ってる人なんかいるんですよ。ちゃんと喧嘩しに行って扱いが悪いやないか、と言うてるわけです。
 それはもう、人種差別も何も知らんかったということがあるんでしょうけど、言葉もできへんのにその芸一つだけで、ものすごく渡り合ってるんですね。向こう行って亡くなる方がおったら、ちゃんと野辺送りしたりしている。
 ちゃんとした教育なんか受けてるとか、英語、フランス語ができるとか、そういう次元じゃなくって、ちゃんと渡り合えるスピリットっていうか精神を持っている。
 サーカスがどういう風に発展してきて、どういう風な商品になっていったかという話をちょっとしたいんです。
 サーカスはもともと王様を楽しませるものであったり、もう一つは、植民地を紹介する、珍しい人間や動物なんかを見せながら芸を披露していたのです。極端なことを言うとイギリスはインド人の暮らしという展覧会を開催していた。だからリングリングサーカスっていうのは、テントの外側に小人を並べたり、身体障害者の人を並べたり、動物をならべたりしたサイドショーっていうのがあって、そういう見世物で人を呼ぶ。
 サーカスの大発展というのは鉄道とともにあるって言われてますね。鉄道がひかれるとそこからパレードしてサーカス興行をする。とりあえず珍しい動物・人間というのを借りて、それを含みでやってきたというわけです。
 ところがですね、えらいすっとばした話ですが、最近ここ一五年から二〇年ぐらいに動物愛護っていうことが出てきたわけです。ワシントン条約があって、子供は喜ぶかもしれんけど、見てる人の意識が、例えば今ね、僕らが、十匹ぐらいのゾウが前のゾウの尻尾つかんで輪になって、ぐるぐるぐるぐる回るの見てホンマに楽しいんやろうか。(笑)それよりもこのゾウたちを、どっか帰したった方がエエんちゃうかとか、象牙の問題とか、いらんこと思うじゃないですか。(笑)トラにしたって、最近トラいないらしいで、とか言う話あって、そんなん思ってる限りなかなか楽しめないわけですね。そうするとやっぱり動物を使うというのは、その本音から受けへん、そういうことになって来たという趨勢があるんですね。
 それともう一つ、アメリカでは動物愛護の観点から、訴えられる事件が相次いでいるわけです。ラスベガスで、見た人もいるかもしれませんけど、たとえばベルジーニという人が、オランウータンを使った芸をしていた。むっちゃくちゃ面白い、大入りなんですね。一つのオランウータンがつっこんでると、もう一人のオランウータンがお尻掻いたりしてる。そういうオランウータンの大喜利です。ベルジーニの家政婦さんが、ベルジーニが家でオランウータン叩いてるっていう証言をしたのです、動物愛護協会とベルジーニの訴訟になって、結局はベルジーニ勝ったんですが、それでもう続けていけへんです。








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