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◎意味不明なアジア都市の音◎
橋爪………大阪という街の音はどうなんですか。
中川………大阪の音のフィールドワークはまだ端緒についたばかりですが、サウンドスケープの一番大きな違いは人の声に現れるというのが、僕の持論です。たとえば大阪らしい音、京都らしい音を比較する時に、京都の園祭りと大阪の天神祭りを比較しても無意味なんです。あまりにもそれぞれ固有のものを持っていて、比較できません。では、京都の雑踏と大阪の雑踏を比較するとどうか?これが面白い。大阪はホワイトノイズ系なんです。つまり意味不明。京都のほうは一人一人の会話が交わされているという感じ、意味が取れる。
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大阪通天閣の通り(撮影−橋爪紳也)
橋爪………大阪ではそもそも会話が成り立っていないということでしょうか。会話をしていない、言いたいことをそれぞれが言っているだけなのでしょうか。
中川………もちろんアーケードのスケールなど、都市空間的な違いもあるでしょうが、基本的に京都と大阪の若者たちのコミュニケーションの違いというのがある。両方を根城としている若い人は少ないんじゃないか。大阪の若者、京都の若者に分かれると思います。京都の女の子は大阪に行きたくない。大阪を怖がっていますね。大阪の子は大阪で……。とにかく、あの大阪の意味不明さは興味深いです。
橋爪………意味不明な音で充たされた場所は、他にもありそうですか。
中川………ヨーロッパではあんまり出会わなかったな。東南アジアにありますよ。たとえばバンコックの中央駅あたりやサイアムスクエアーなどはかなり意味不明です。カオスのように声の粒子が浮かんでいるという感じです。逆に、バリ島の祭りの雑踏はけっこう明快なんですよ。なぜかというと人々が発している言葉は明らかに方向性があって、神様に向かって言っている。いくらたくさんいても意味が分かります。闘鶏もそうですね。タイでも、キックボクシング(ムエタイ)のざわめきは意味明瞭なのです。さっき指摘したのは、それとは違うカオスのように霧みたいに漂っている音の状態です。大阪では南の戎橋から南のほう、ジュンク堂の至るまでの空間がそうなっていますね。
橋爪………大勢が歩きながら延々と話をしているのでしょうが、会話になっていないのですね。
中川………しゃべらずにはおれない。それが集積となってウワーッと大阪のミナミの町を覆っているのにはびっくりしました。それも一つのコミュニケーションだと思います。そうそう、音の調査といえば、いま研究室で、サウンドのデジタルアーカイブ構築しているんですよ。これまで行ってきたサウンドスケープ調査の音をデータベース化するとともに、音響学的な分析も推進しています。さきほどのカオスのような雑踏音の場合、意味の分析よりも、周波数や音量、音質などの精密な分析の方が効果的ですね。実際に雑踏といっても、京都、大阪、ジャカルタ、上海と、みな違う。その特質をサウンドアーカイブとして蓄積し、また明らかにしていきます。ただそれを単なる現象として、たとえば周波数はいくつという結果だけでは面白くない。そこに現れてくるよく分からないコミュニケーションはなんだろうかということまで明らかにしたいと思っています。お医者さんと一緒に研究すると、ある周波数が高いとすると、人間のどんなエモーション[感情]と関係するのか、推測できます。たとえば野球場で興奮した時は、普段より明らかに周波数が高いですからね。
橋爪………音が他の感覚にも当然影響を及ぼしているでしょうね。「視覚」で近代の文化は語られがちだったけど、それに他の感覚がどう関わっているのかを考えることも面白いと思っています。今、私が調べているのがイルミネーションの歴史です。人工的な照明がいかに作られていて、どのように普及していったのかを感性の文化史として再確認しています。われわれ日木人は夜景という言い方をします。夜の景色です。それでアメリカのある人に聞くと、夜景、つまりナイトスケイプという言い方は英語としてはこなれていない。美しい夜の風景を見るとアメリカの人はどういう表現をしがちかというと、イルミネーションというのだそうです。光の部分だけを指して語る。対して日本人は昼間の景観に対して、夜には別種の美観があるとそもそも思っていた。それを夜景と称してきたわけです。感覚が違うなと思いました。
中川………夜景を楽しむのは昔からあるのかな。
橋爪………それは調べなくてはいけません。たとえば「百万ドル」の夜景という言い方は、日本人が「ドル」という単位を知ってからやから比較的新しいと思います。(笑)古くには電火がありますから。光と影への意識がどのようにできたのかあらためて考えたいと思っています。二十世紀初頭に電気照明が普及して、今私たちが理解しているような光と影からなる空間ができてきている。日本の照明の歴史をみると、屋内の場合だとかつては明かりは下のほうにあった。また油のあかりでもしばしば個人が持って歩くタイプの照明があった。明かりが上から全体を照らすというのは電気照明が普及してからなんです。ヨーロッパでは街全体が、どことなく暗いでしょう。闇に対する独特の感受性があるのですね。もちろんアジアにも、また日本にも暗さへの感性がある。明暗や色彩も含めたこの視覚に頼る感性と、聴覚や嗅覚など他の感性がどうオーバーラップしたのかを考えてみたい。
中川………この夏に、ドイツのデュッセルドルフのバレー団から連絡が来て、大阪の音で踊りたいというので、音の採取を引き受けました。学生にこれぞ大阪の音と思う音を録音するよう頼みました。一人五つくらいの録音がノルマで。天神祭りとか黒門の市場とかパチンコや雑踏、それから東大阪の機械工場の音など約二十個のサンプルを送りました。今そのバレー作品ができている頃でしょう。上演のプログラムを見ると、世界のいくつかの都市を取り上げていますから、大阪はその一つに選ばれたのです。大阪の人は大阪のイメージを持っていて、こてこてだとかいろいろありますが、音にしても、大阪というのはこんなものだろうという先入観がある。それをどうやって崩していくかが大切なんです。京都の音のことを調べていて、京都に住んでいる人からアンケートを取ったのですが、梵鐘の音、舞妓さんのこっぽり、園嚥子がベストスリーだったので、びっくりしました。他者が京都に抱くイメージとオーバーラップしているのです。そんなありきたりなイメ−ジを反復しなくてもいいのにね。だから、大阪だったら大阪の音の自分なりのイメージをもってほしいと思って、学生には録音の課題を出しました。音を通じて大阪を捉えなおすことだってできるのですから。
橋爪………私の演習では、従来の「大阪らしさ」からはずれた活動を、大阪の各地域で実践している知人友人たちをゲスト講師として招いています。たとえば大阪は日本で第三位に入るくらい多くの寺院がある町で、宗教都市としての側面がある。京都、奈良などと同様に大阪にも宗教的な場所は多い。しかし多くの人はそれを意識していない。そこでお寺の本堂を「気づきの場所」「関係性を考える場所」として、都市に開こうと、劇場化しようと試みが生まれた。私もこのシアター兼本堂のアドバイザーとして、立ち上げからかかわっているのですが、その中心となった御住職にゲストとして来てもらって、学生に経験を話してもらいました。これまでの大阪らしさから脱した活動を志している人は、実はたくさんおられます。その人たちの語りを聞き、学生にも刺激になればと思っています。大阪らしい音で予想外の音は無かったですか。
中川………予想外はないですね。大阪弁のやり取りはやはり売買のシチュエーションがいいですね。ただ僕は難波のど真中で蝉の鳴き声をとったり、意表をつくような音をとりたいと思っているのです。
橋爪………まったく違う意味性のある音を重ねて、新たな意味がでるという現象に興味を持っています。以前、仮設興行の「お化け屋敷」を調べていた時、呼びこみの太夫が「お化けだ、お化けだ、お化けだよ、怖くないお笑いお化け屋敷」と客を寄せている。ところがまったく同時に館内の女の子の悲鳴がマイクにひろわれて「キャー、怖い」スピーカから流れてくる。怖いのか怖くないのか判らなくなる。全く相反する音を重ねあわすことで、すごく惹かれる。面白い演出だと前々から思っていました。本来の意味性そのものではなくて、偶然生まれる面白さや、人を惹きつけるべく工夫された語り方に注目して、新たな音のありようをひろってくれる学生がいればよいのですが。
中川………子供を手懐けるときに、優しくしながら同時に怒るという、ベイトソンがバリの子育てに発見したダブルバインドっていう方法でしょうか。それって、大学の教育にも使えるかもしれませんね。
中川 真[大阪市立大学文学部教授]








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