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東川町の歴史
明治28年(1895) 四月植民地貸付始まり、香川団体三〇戸、富山団体二〇戸、愛知団体一四戸、徳島団体八戸他数戸入地する。基線道路開さくされる。
明治29年(1896) 富山団体一三戸、愛知団体一三戸、香川団体九戸、その他各府県より個人移住者多数入地する。石井浅吉が初の商店を開店。佐々木定多水稲試作を始める。
明治30年(1897) 旭川村より分割して東川村を新設される。松山多米蔵、松山温泉発見。東本願寺派説教所開設する。富山団体三六戸、その他各県より続々入地する。
明治31年(1898) 大水害、四月、七月、九月を相次ぎ発生、九月が最も甚だしい被害。気候不順にて凶作。
明治32年(1899) 旭川村より分離し東旭川村の管轄となる。東川小学校開設する。村総代人(八名)選挙。
明治33年(1900) 東川村神社設立される。東川村農会、東川村軍人会創立される。東川第一、第二、第三の各小学校、簡易教育所と称し開設する。
明治34年(1901) 北海道会法発布第一回道会議員選挙が行われる。
明治35年(1902) 東川第一簡易教育所、東川第三簡易教育所移転改築する。東川第三簡易教育所火災により全焼する。五月大洪水、霜害、冷害等により凶作。牧竹次郎、水稲「赤毛」より「黒毛」を選出する。
明治36年(1903) 東川村土功組合設立される。
明治37年(1904) 東川郵便局設置される
明治39年(1906) 二級町村制を施行せられ、東旭川村と本村の組合となる。村議会議員選挙される。東川巡査駐在所設置される。
明治40年(1907) 東川小学校に高等科を併置する。
明治41年(1908) 東川第一、第二小学校と校名変更。村議会議員改選される。
明治42年(1909) 四月東旭川村との組合を分離し、独立の二級町村となる。役場庁舎を西四号南二番地に設置する。部長制度を実施する。
明治43年(1910) 私設青年消防組が設立される。東川巡査駐在所を西四号南二番地に移転する。東川第三小学校と校名変更、校舎位置変更新築する。
明治44年(1911) 東川村産業組合設立される。
明治45年・
大正元年(1912)
東川第五小学校、東川第二小学校所属北特別教授場として創立。
大正2年(1913) 東川第三小学校東特別教授場を開設する。東川青年会創立される。忠別川発電所設置される。大冷害、凶作。
大正3年(1914) 冷害区作救済土木工事施工する。大豊作。旭川の阿久津啓吉が勇駒別温泉を発見する。澱粉成金が現れ始める。
大正4年(1915) 北立産業組合創立される。
大正6年(1917) 東川郵便局電話事務開始される。本年より明三才牡馬の去勢実施される。産米検査派出所設置される。七月東川変電所開設、初めて東川に電灯つく。
大正7年(1918) 地方費森林旭川事務所東川監視員駐在所設置される。
大正8年(1919) 一級町村制を施行される。役場庁舎を西四号北二番地に移転する。東川消防組設立される。東川神社村社に昇格される。北海道農産物検査所東川派出所設置される。
大正12年(1923) 松山温泉に駅逓所開設される。東川小学校に家政女学校併置される。東川第三小学校に淑徳女学校併置される。
大正13年(1924) 開村三〇年にあたり開拓功労者、道路敷地の篤志寄附者、優良小作等表彰する。
大正15年・
昭和元年(1926)
各小学校に青年訓練所併置する。旭川の糸屋銀行破綻により付近の農村が莫大な被害を受ける。冷害、凶作。十勝岳大爆発。
昭和2年(1927) 電気軌道開通する。幼駒運動場設置される。
昭和5年(1930) 豊作のため農作物暴落。
昭和6年(1931) 冷害凶作、水害、政府米放出(七一俵、身欠鰊三一俵)。救済工事など起す。凶作につき御下賜金(五六三円)を賜わる。
昭和7年(1932) 大凶作。東川村郷土読本発行される。
昭和8年(1933) 米大豊作。東川村農村経済更生五ヶ年計画樹立する。
昭和9年(1934) 大雪山国立公園指定される。東川第二小学校に実践農業学校を、東川第三小学校に実習農業学校を併置する。冷害凶作。
昭和10年(1935) 東川第一小学校に専修農業学校を併置する。冷害凶作。
昭和11年(1936) 市内電話架設される。
昭和12年(1937) 温冷床育苗技術が導入される。
昭和13年(1938) 大部分の生活必需物資の切符制及び公定価格制実施される。
昭和14年(1939) 物価統制法が制定され、肥料の割当配給、その他のキップ制強化される。
昭和15年(1940) 紀元二千六百年記念式挙行並びに記念造林を行う。七月より米のキップ制実施、その他統制二〇余種にのぼる。稲熱病による凶作、米三四、四三四石。
昭和16年(1941) 冷害凶作。
昭和17年(1942) 東川第一、第三小学校に併置の農業学校を廃し高等科を併置する。
昭和18年(1943) 皇国標準農村に指定され、農村電化五ヶ年計画が立てられる。冷害対策水温上昇施設工事着手される。
昭和19年(1944) 開村五〇周年記念式を挙行する。
昭和20年(1945) 八月一五日太平洋戦争が終結する。異常低温により農作物大凶作。江却発電所使用開始。
昭和21年(1946) 東川村選挙管理委員会発足する。
昭和22年(1947) 東川中学校開校、第一、第二、第三かく小学校に分校を併置する。八月大洪水。
昭和23年(1948) 東川農業共同組合発足する。民生委員発足する。
昭和24年(1949) 東川村役場庁舎西四号北四番地に新築十一月移庁する。
昭和25年(1950) 国民健康保険東川村立診療所開設される。
昭和26年(1951) 「羽衣の滝」名勝天然記念物として指定される。
昭和28年(1953) 二十八年度道路愛護共励会全道一位、上川管内一等一席の表彰を受けると共に、三ヶ年連続優勝につき道の優勝旗を獲得する。
昭和29年(1954) 第九回国民体育大会山岳競技会旭岳にて開催される。開基六〇周年記念式典を挙行する。
昭和30年(1955) 高松宮殿下勇駒別へ御成り。
昭和31年(1956) 公営住宅東川村に初めて建設(二棟一〇戸)される。大凶作。
昭和32年(1957) 新農村振興計画五ヶ年基本計画樹立する。勇駒別に天雲荘完成する。
昭和33年(1958) 公設季節保育所(リリー)東川ではじめて開設する。倉沼大橋完成(延長四六・八m)。勇駒別に青年研修所完成する。青年辯論大会に上川管内四ヵ年連続優勝する。乳牛一〇〇頭を突破(十二月末牛一七〇頭、馬九七九頭)。
昭和34年(1959) 八月一五日東川の町制施行される。戦没者八柱の町葬執行する。名誉町民条例制定される。
昭和35年(1960) 道営住居はじめて建設される(二棟、八戸)
昭和37年(1962) 農業構造改善事業の指定を受ける。第一回交通安全全町民大会開催、「交通安全の町」の碑建立。町道除雪実施する。
昭和39年(1964) 三笠宮殿下御一家大雪山御登山。町民憲章制定する。開基七〇周年記念式典を挙行する。農業構造改善事業開始する(北忠別地区)。冷害。公民館完成する。
昭和41年(1966) 八月一九、二〇日集中豪雨により倉沼川各地に被害続出する。大型コンバイン導入する。児童館建設する。
昭和42年(1967) 全自動式有線放送電話開始する。旭岳ロープウェイ天女ヶ原駅まで営業開始する。老人憩の家建設する。
昭和43年(1968) 勇駒別にユースホステル白樺荘できる。旭岳ロープウェイ全線開通する。郷土館が出来る。リリー保育所建設、常設保育所開始する。母と子の家建設。
昭和44年(1969) 大雪山国立公園保護協会設立する。東川町企業誘致促進期成会結成する。木工団地造成に着手する。東川町営岐登牛スキー場開設する。羽衣太鼓クラブ結成される。
昭和45年(1970) 第一回町民健康まつり開催する。東川氷土会が「聖観音像」を制作する。
昭和46年(1971) 勇駒別に開拓記念厚生会館「えぞ松荘」完成する。堂垣内知事冷害地視察に来町する。日赤救急車が配置される。
昭和47年(1972) 大雪山国立公園管理事務所設置される。旭川電気軌道株式会社の電車廃止、バス運行となる。
昭和48年(1973) 町民プール建設される。中国代表農業事情視察に来町する。「道民の船」に男女二名が参加する。松山美瑛線清流橋架換完成する。キトウシ国際スキー場リフト完成する。
昭和49年(1974) 開基八○周年記念式典挙行する。町花(エゾムラサキツツジ)、町木(カツラ)決まる。老人保健センター新築する。岐登牛展望閣建設する。全町ほ場整備完了する。農村総合整備モデル事業実施計画地区指定される。
昭和53年(1978) 公社電話全町に普及。
昭和54年(1979) 町制施行二〇年記念式を挙行浩宮徳仁殿下旭岳登山。
昭和56年(1981) 役場庁舎改築完成。
昭和57年(1982) 特別養護老人ホーム「東川町羽衣園」オープン。開拓記念「羽衣公園」開園。郷土館オープン。
昭和58年(1983) 開発道路白川美唄線東川道路一七・六km開発道路として指定される。冷害災害を受ける。
昭和59年(1984) 忠別ダム建設着工。道道松山美瑛線、天人峡トンネル開通。開基九〇年記念式を挙行。
昭和60年(1985) 「写真の町」宣言、第一回東川町国際写真フェスティバル開催。物産センターオープン。
昭和62年(1987) 一等米出荷率九三%で全道一位となる。
昭和63年(1988) 北海道情報処理専門学校開校。第一回どんとこい祭り開催。市街地住居表示実施。
平成元年(1989) キトウシ家族旅行村オープン。カナダ・アルバータ州カンモア町と姉妹都市提携。文化ギャラリーオープン。
平成2年(1990) 羽衣の滝が日本の滝一〇〇選に選ばれる。国際交流派遣事業として町民ら18名がカンモア町を訪問。
平成3年(1991) デイ・サービスセンター開所。B&G財団東川海洋センター完成。
平成4年(1992) 西部地区コミュニティーセンターオープン。国際交流派遣事業として中高生がカンモア町を訪問。
平成5年(1993) 戦後最悪の大凶作。水稲作況指数上川52。
◎キャプション制作−小浜美恵子
写真の町文化ギャラリー東町一丁目。平成7
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