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座談会
長野重一+筑紫哲也+平木収+山岸享子+岡部あおみ+佐藤時啓+勇崎哲史
◎被写体に寄せる愛情◎
平木………北海道の東川町では、17年前に「写真の町宣言」をしました。毎年「東川賞」を設けまして、今年は国内作家賞、国外作家賞、新人作家賞にそれぞれラトビアのアンドリュース・グランツ氏、細江英公氏、オノデラ・ユキ氏が受賞しました。また、特別賞として東川町在住の飛弾野数右衛門氏に送られることになりました。飛弾野さんは、大正3年(1914)に東川町で生まれ、戦時中に三度の徴兵を除けば、87年間ずっと東川町で暮らしています。
 そして14歳に初めてカメラを手にしてから今日まで、東川町の移り変わりと共にシャッターを押し続けてきました。今回受賞された飛弾野さんの写真をもう一度振り返り、東川賞審査会の委員にその魅力を語っていただこうと思います。長野重一さんからご発言をお願いします。
長野………飛弾野さんの写真の面白いところは、言葉として的確かどうか分かりませんが、純アマチュアの面白さですね。いわゆるアマチュア写真家と言われている人たちは、表現として芸術意識や作画意識をとっても考えるのですが、飛弾野さんは、全くそういうことに無頓着で、ただカメラと遊んでいるっていう感じです。自分の身の回り、自分の興味あるものだけを撮る。コンタクト(密着)を拝見すると、時々花が出てきたり、景色が出てきたりするんだけど、これはごく異例で、ほんとに自分の身の回りの方、身の回りで起こったこと、それをともかく写真で撮るということをずっと続けている。
 飛弾野さんと同時代というと、写真の流れからいうと、日本写真会の福原信三さんだとか、野島康三さんたちの「光画」の時代と重なってきます。飛弾野さんは写真雑誌を見て写真の撮り方を研究したのかもしれないけど、芸術的な表現の写真はご覧にはなっても、あまり興味がなかったんじゃないかという気がする。
 今の言葉で言えば、記録ということなのです。それが逆に今になってとても貴重だという印象を受けました。
平木………確かにアマチュア写真は芸術、芸術というプレッシャーを感じてやっていたような時代に、淡々と撮り続けていた。
勇崎………年齢で言うと植田正治さんと同じくらいですね。
平木………大正3年ですから、植田さんの一歳年下。今年で87歳ですか。
長野………あの時代って、アマチュア写真運動は、今以上にけっこう盛んだった時代です。ただ、その運動が北海道まで伝わっていたのかどうかわかりません。
筑紫………東川町が「写真の町」を名乗るのと、彼の仕事は何の関係もないんですよ。偶然とは面白いなと思いました。つまり逆に言えば、東川町が「写真の町」を名乗らなければ、この人はどこかの町にいる物好きということで、埋もれたかもしれません。今回、偶然が脚光を当てるような結果になりました。僕は、最初見たときにいいなと思いました。それは絵の世界でナイーブというのがありますが、それに通ずるものを感じました。つまり普通のプロの画家とナイーブに何が違うかというと、いろんな定義する人がいて当てはまらないのですが、専門の勉強を全然していないということと、それから心で描いている画家をそんな言い方をするのですね。
 ひとつ非常にはっきりしているのは、写す対象に対して非常に愛着を込めている。うちの村の中でこういうおばあちゃんがいて、こういう景色があって、それをちゃんと絵にしておこうという動機が主としてある。同じようにこの人の撮る対象というのは、自分の気持ちがこもっているんですね。要するに、ここは撮っておかなくてはいけないと。結婚式の時はここは撮らなければいけないとか、自分の出征するときは幟を撮るとか。写されている対象と写す人間との距離みたいなものが非常に近いし、そこに自分の愛着、愛情というのが非常にこもっている。それの面白さじゃないかなと思って見たのですね。
 一方で、「日記はカメラだった」というタイトルですが、私はノンフィクションの書いているほうの審査というのを随分いろんなところでやり続けてきたんですが、だいたい日記ってつまんないですよ(笑)。自分では一生懸命書いているんだけど、何にも他人に訴えるものがない。写真というのはそういう意味で、すごいツールとして、すごいなと改めて思いました。ほんとの日記だったら、多分こんなには感動しません(笑)。だから、そこを僕はすごく感心したんです。
平木………ありがとうございました。では山岸さん、どうぞ。
山岸………いまナイーブっておっしゃいましたけど、「カメラ毎日」が70年代半ばに「ナイーブ・フォトグラフィー・アメリカーナ」という大特集をやっているのです。それは、「アマチュアこそ創造の王様」というサブタイトルが付いていて、アメリカ一般家庭のスナップショットのコレクションが、現代美術のアーチストの作品として提示されたものだったのです。当時の写真表現がハイ・アートに向かいはじめたことへの批評が込められていたのですが、何の作為もなく、楽しそうに撮られたアマチュア写真の活力に、当時写真家たちが大いにショック受けたといういきさつがありました。
平木………面白かったですね。みんなすごいなという中、ある知人が、「アマチュアの写真の面白いのは当たり前じゃないか」と。「これを言ったら俺たちは、これからどうするのか」と。写真家を目指す連中は「ここで面白がっていてはどうするんだ」と言って、考えこんでましたよ。植田さんも飛弾野さんも筋金入りのモダニズムをどこであんなに、効率よく吸収されたのでしょうかね。やっぱり伝統とか因習に縛られない土地での、新しさがあったんですかね。
山岸………あったと思いますね。戦後のドキュメント、いわゆる記録などは一般的にもっと深刻で暗かったりしていますよね。でも飛弾野さんのはそうじゃなくて、写真の質から言うと、フランスのラルティーグを思いだしましたね。生きることを楽しんでいる。ラルティーグは20世紀初頭くらいから写真を撮り始めてますね。
平木………そうですね。19世紀の生まれですね。佐藤さん、どうですか。
佐藤………この写真を見た時に、写真を見るというよりは、その写っている時代を、僕自身の生まれた時とか、それから父親とか、そういう写真帳に載っていたのをそのまま見ているようにすっと入っていけました。何でかなと思ったのですが、僕自身が生まれたところは、鳥海山の麓です。飛弾野さんの場合は朝日岳のわきですから、山のわきということで共通点があります。飛弾野さんの写真には、特別な歴史というよりも、割と日本人の普遍の歴史がそのまま見えてくる、感じられる。僕自身がその歴史の中にそのまま自分に取り入れてしまえるような、情景がよく見えると思ったのです。
 特に、中国に従軍されるというのも、何となく親父からこうなってこうなったのだよというふうに聞いていたようなことが、そのまま写真として見せていただけた、そんなところがあります。
平木………よそ様のアルバムというのは、とっつきにくいものなのですが、これはそうじゃないですね。
岡部………まず、これだけ写真歴が長い方ってわりと珍しいのではないでしょうか。それとやはり、大正生まれだから、モダニズムを自分の中に獲得していった世代ですね。大正時代ですから、いろんな意味で場所性に関わらず、そのモダニズムがかなり浸透した時期ではないか。北海道に居ようが、東京に居ようが、ある意味で同じような質のものを吸収できた時代ではないかと思うんです。
 私はヨーロッパにいた時間が長いから、ラルティーグなど、初期の写真家たちのドキュメンタリーをずいぶん見ているのですが、新鮮だったのは、写真家の中には飛弾野さんと同じような質を持っている人がいて、日本ではあまりこうした種類の記録写真をあまり見たことがなかったので、視覚や意識のありかたが似ていてとても面白いと思ったのです。
 飛弾野さんの初期からの写真を見ると、時代とともに変わってきている。最初は記念写真のような証明性が強い写真が多い。しかも顔とかがきちっと写されている。それが次第に自分自身の写真を意識するようになってくると同時に変わってきた。やはり戦争体験をなさっているので、私はそこでかなり変わったのではないかと思います。多分、彼自身の個人的な経験と同時に日本の変化でしょう。写真家のまなざしを通してそれがある部分で交差していて、それがすごく面白いと思いました。私は戦後生まれなので、戦前のイメージは写真でしか見ることができません。戦前のイメージは、日の丸のイメージなのです。日の丸の旗を振ってみんなが幸せそうにしているイメージは、私は自分自身では知りません。これはすごくショックですよ。
 その中にある幸せ、国を愛するという意味には、自分の郷土、自分のすべて、自分を包むすべての世界に通じる、大きなバランスのとれた愛の表出が出ていると思うんですね。それが戦後、バシッとなくなる。それがすごくショックでした。
平木………司会ですけど私も少し発言させてください。やっぱり写真ってすごいなと思うのですよ。飛弾野さんという、北海道の東川にたまたまいらした方が、僕のささやかな生と、こんなに重なり合っていいものかと思うぐらい、僕が今生きている要素の中に入ってきています。さっき、佐藤さんが違和感がないと発言されましたが、僕もほんとに違和感がありません。いわばよそ様の家族アルバムだし、他人のまなざしなんて経験も全然違うのですけど、自分で自分の生の痕跡をその中に探すような見方をしてしまいます。
 おじいちゃんが同じ名前だとか、いろんなこと見付けて喜んだりするのですが、写真はやはり、人と人との生の継ぎ目にびっしり入ってくるものなんだなという感動があります。








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