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◎山地型と低地型◎
 伊那谷では、最高所の蜂場と最低所の蜂場との標高差が九〇〇メートル以上に達する。このことは、働き蜂の巣外活動期間の長短となってあらわれる。
 縦置き型文化圏に属する天龍村鴬巣地区(標高三〇〇メートル)では、二月の訪れとともに咲くウメの花から、十一月に咲くチャの花まで利用することができる。巣外活動期間は九ヵ月半に及ぶ。それに対して、横置き型文化圏に属する大鹿村釜沢地区(標高一〇七〇メートル)では、アブラチャンの花が咲く三月中旬より、霜が降りる十月中旬までの、七ヵ月間しかない。この巣外活動期間の長短は、蜂たちの分蜂期間の長短や、人々が蜜を搾る時期や方法の違いとなってあらわれてくる。このような標高による違いに着目して、養蜂形態を、縦置き型文化圏にみられる低地型と横置き型文化圏にみられる山地型に区分することができる。
 天龍村の照葉樹林帯で行われている低地型の養蜂では、群の勢いが良いと、四月下旬から五月下旬にかけて分蜂がおこる。分蜂後、蜂たちは五月下旬から咲き出すトチ、梅雨時のクリやケンポナシの花を利用して群を拡大していく。さらに、お盆を過ぎる頃から咲き出すクズやハギ、九月にはソバや野菊、十月中旬から十一月中旬にはチャの花を利用する。採蜜量を左右しているのが、ケンポナシである。「この花の咲き年には蜜がたまる」と、多くの養蜂家が口を揃える。ケンポナシは野山に花が少なくなる七月にちょうど開花期を迎え、七月末から八月にかけて行われる蜜の採取の直前に、この花の蜜が巣に蓄えられるからである。
 養蜂家は、分蜂した群に水をかけていったん止まらせたり、分蜂群がぶら下がるための場所をあらかじめ準備している。しかし、つきっきりで分蜂を見張っているわけにはいかないので、かなりの群がそのまま飛び去っていく。そのため、岩棚や大木の根元には、これらの群を収容するための巣箱がしかけられている。このような方法を「ツケミツ」とか「蜂をひろう」と称する。天龍村ではお茶摘みが始まり、蜂の世話まで手が回らなくなると、これらの巣箱に分蜂群が良く入るようになる。
 巣箱にたまった蜜は、おもに八月に「たたき上げ」と呼ばれる方法で採取される([12])。蜂場から巣箱を運び出し、箱の下面の板を抜いてから、逆さまに置く。その上に、下板を抜いた空の巣箱をかぶせ、棒で下側の巣箱をたたく。蜂は音や振動をきらうため、下側の巣箱の群は上側の巣箱へと移動していく。女王蜂が移動すると、働き蜂も次々と追従する。
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[12]たたき上げ(天龍村熊ノ平 熊谷勝男氏)
 群を収容した巣箱は元の位置に戻される。この時、巣箱の巣門に「おさえ板」が取り付けられる。この板の隙間は、働き蜂は出入りできるが、体の大きな女王蜂は通り抜けることができないように調整され、女王蜂の逃去を防ぐ目的で用いられる。この板はオオスズメバチが来襲する秋口になると、再びオオスズメバチよけとして活躍する。おさえ板は、オオスズメバチが生息する標高の低い地域で利用されている。
 このような低地型では、巣外活動期間が十一月中旬まで続けられるので、夏に巣箱の蜜をすべて採取しても、群は秋の花の蜜を集めて、越冬に必要な量の蜜を蓄えることができる。たたき上げた群には、五キロくらいの砂糖を煮溶かして徐々に与え、夏場の餌不足の時期を乗り越えさせる。
 一方、釜沢では、群は春に一斉に咲く花を利用して規模を拡大し、五月中旬頃、次々に分蜂する。飼育地の標高が高い場合、分蜂は短期間に集中する。標高が千メートル近くになると、夏が涼しく、巣内の温度もそれほど上昇しないため、働き蜂は夏でも盛んに蜜を集める。そのため、巣外活動期間が二カ月半も短い山地型の方が、概して多くの蜜がたまる。
 採蜜は、霜が降りる直前の十月中旬、巣内に幼虫がいなくなった時期に行われる。内倉氏は、働き蜂がすべて巣に戻った夕刻、蜜桶に煙幕を入れて蜂を殺し、単板を取り出す([13])。金たらいの中に巣板を入れ、棒で巣板を突き崩してから、目の大きさの異なる網で蜜をこし集める。かつては成虫も食材として利用されていた。
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[13]高地型の採蜜(大鹿村釜沢 内倉与一郎氏)
 釜沢などの高地では、巣外活動期間が短いため、採蜜は年一回、秋の蜜で巣が一杯になった時に行われる。この時、体が大きくて黄色く、性格がおとなしくて良く働く群が、翌年の「親巣」として選別され、この群が越冬する。
 伊那谷では、このように、土地の自然環境を巧みに活かした、多彩な養蜂技術が伝承されてきた。しかし、飼育者の高齢化と山村の過疎化によって、伝統的なニホンミツバチ文化を引き継ぐことが、年ごとに難しくなっている。
<長野県総合教育センター専門主事>








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