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◎ワバチは「盛り」のシンボル◎
 四十年間飼っている古根川コカネさん(一九二二年生)は「家の盛衰と関係する」、「不浄の時にいなくなる」、「浄、不浄のもので、ワバチは清浄を好む」と自信をもって断言する。「十津川の兄が五十五才で死んだとたんに七つあったゴーラが一つもいなくなった」という。同様のことは多くの人が指摘するが、それは想像などではなくて知覚として「実感」されているものである。ちなみに著者も転勤になった直後に二つあったゴーラからハチがいなくなった。人間と関係無く生活しているように見えるワバチは実はかなり人に依存しているようである。人が巣の周囲を掃除することや天敵であるスズメバチ類を追い払うことと関係があるのかもしれないが、真の理由は不明である。
 熊野地方の深部では家の盛衰と蜂の増殖が関係あり、家の「盛り」、つまり繁栄、豊穣の印とされ、従って吉兆とみなされる(本宮町、十津川村)。大正時代以前の人は特に浄不浄を気にしたということであり、この点もワバチの民俗を語る上で見逃せない。
 ハチの動態と家の盛衰との関係や神の使いであるとする見方は、南方文献[9]や渡辺文献[26]によると西洋にもあり、それは古代ヨーロッパに遡れるとされる。澤田文献[20]は現代のハチと人の関係を調べ、セイヨウミツバチの近代養蜂やハニーハンティングでは家の盛衰との関連づけのようなヒトとハチの密接な関係が見られず、人工巣箱を準備する伝統的養蜂においてのみ認められるとしている。熊野においても同様の傾向であった。
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[18]サカキをたてた巣箱(愛媛県柳谷村)
◎ワバチは神の使い◎
 「ヤマンバチ(=ワバチ)はお伊勢さんの使い」と言われていたという(本宮町古根川博さんの祖父[明治生])。これは熊野において、ワバチが単に「清浄を好む」という性格を持っているだけでなく神聖な生き物とされてきたことを示している。このことが一般のヨウバチとは大きく異なる点である。「ミツバチは熊野さんの使い」という伝承は長野県伊那谷で報告されている文献[4]。「熊野さんの使い」はカラスとされているので、熊野もうでやお伊勢まいりによって人々が得た伝承が変容していったとも考えられるが、いずれにしても神聖視している点は共通している。
 熊野の中心地では「お伊勢さんの使い」とされているのは伊勢神宮の性格によるところが大きいと思われる。伊勢神宮の外宮の祭神である豊受大神は食べ物の神であり、そのために農業の守護神として崇められたという歴史がある。そこで土地の「盛り(=豊穣)」のシンボルであるワバチがお伊勢さんと結び付けられたと推察される。つまり伊勢の農耕の神が土地に飛来するという観念である。愛媛県柳谷村で巣箱に縄をまいてサカキをはさんでいるワバチの巣箱の例があったが図[18]、これも何らかの神が飛来するという類似した考えが背景にあると推察される。こうした事例から、この習俗は四国から中部日本にかけて分布する可能性が示唆された。
社日に巣箱を設置すること
 社日とは春分や秋分に一番近い「戊」の日で、旧暦の二、八月(現在の暦の三、九月)である註[6]。ワバチに入ってもらうために山や家の周辺に設置する空き丸太巣箱(待ちゴーラ)は、蜂の採蜜活動が本格化する前の三月に掃除して設置することとされた。社は土の神で、「戊」は陰陽五行におけるの土に属し、社日はそれを祀る日で、農作物の豊穣を祈願する節日とされる。明治時代の人は「待ちゴーラ」を置くのは社日と厳格に作業暦を決めていたという(本宮町、十津川村)。このように社日を農事の開始・終了の日と考えた習俗は全国各地に認められるが、熊野の養蜂にも存在した。
◎ゴーラとワバチの性格は土、そして呪物◎
 ワバチの巣であるゴーラは清浄なものであり、古い木のウロを利用するか穴をあけてかなりたった古びた朽木ほど新鮮な材よりも良いとされている(古座川町、田辺市、本宮町、古座町)。実際にワバチはそうした朽木に住み着き易いのは間違いなく、巣箱が持てないほど朽ちたものを使用している場合がある。しかしながら、巣箱が古くて穴だらけなのは外敵から守るためにはむしろ不都合である。朽ちたウロの入った丸太を用いる理由にはさらに別の何らかの要因があるはずである。
 ウロの入った材は朽木で、生命の無いものである。死体、廃物、廃材はすべて死を意味するもので、陰陽五行説によれば「土気」である。古野文献[24]によると、ウロの入った朽木をご神体とする祭りは千葉県東葛飾郡福田村三堀の香取神社の「泥まつり」で行われており、その土気により洪水を抑圧する呪物として特に用いられ、大河に臨む御神体のように祀られたという。
 著者は江戸時代(天保十四年)の熊野地方の洪水に関する古文書の一部を紀伊大島須江の民家の襖の下貼りから見い出したことがある。乱伐が無かった江戸時代にも大きな洪水災害があったことが推察される。今年(二〇〇一年)も台風によって古座川町が水害にみまわれたことは記憶に新しい。雨量の多い熊野の大塔山系の年間雨量は三〇〇〇ミリを超えており文献[7]、そこでは「水」は無視できない自然環境要因であったことは間違いない。
 古座川町松根地区の奥は古くから「熊野蜜」(ワバチの蜜の最も品質が良く、たくさんとれた産地といわれる)の代表的な産地と言われてきた文献[2][15]。そこは熊野山系で最も標高の高い大塔山に近い最も山深いところであり、大河(たいこう、たいこ)と呼ばれている。奥地の原生林に大伐採が入ったのは明治時代以後であるが文[7]、この地名からは洪水などの自然の脅威が十分伝わってくる。
 朽ちた巣にはワバチが住み着き易いという生物学的合理性と同時に水に対する防災呪術的な意味もあったと推察される。
 またもう一方で、木の「キ」は生命の根源で力となる「勢」を意味する文献[8]。たとえばお神酒の「キ」も酒にある生命の勢いを示す語で文献[19]、キノクニのキなども生命の勢いを示すとする説もある。ワバチが「勢い」を示すことは先に示したとおりだが、巣箱もこうした「勢」のシンボルとして認識されたことが示唆される。
 
 ワバチはその家の「盛り=(繁栄)」と同一のものだという考えがあることはさきに述べた。このことはワバチが家やその土地の性質を持つ「土気」の性格を持っていると考えられていることを示している。
 「ワバチは水生の人とは相性が悪い」(本宮町)という伝承がある。陰陽五行では土剋水と言い、土は水に勝つこととされている文献[24]。ワバチの分封群(巣分かれした蜂の一団)を動かないようにするために水を撒くことがあるが、そうすると群れの活動はにぶる。これは西洋でも同じであり文献[26]、ミツバチに共通した生態的特性と考えられる。このような水に対する反応についての観察からもワバチは「土」の性格を持つ特別のものという観念が生まれたと考えられる。単なる想像の産物ではなく、土と水に対する実感と言える。
 陰陽五行説によると土気の本性は五穀をはじめとするさまざまな収穫物を養い育てる意味を持ち、この哲学が生まれた中国の自然環境においては土が無限の拡がりを持ち天に匹敵するものとされ、「天に対する地」として意識された。従って土気の方位は中央、その季は季節と季節を結ぶ中央の「土用」とされた文献[24]。この考えからすれば「土気」の性格を持つワバチがとりわけ熊野の人々に大切にされる理由の一端が理解できる。
◎地神としてのワバチ◎
 現在、特定の蜂群を家の近くに飼い、蜜を収奪しすぎないように注意し、まるで祠のようにそうじや手入れをして大切にしている場面がよく見られるが、そうした宗教的な雰囲気はワバチと巣に対する観念がかかわっているのであろう。
 ここでワバチとその巣箱であるゴーラが土地の神、と見られている可能性が示唆されてくる。上地の神は一般的には「地神」と呼ばれるが、この地では特にそのような命名はされていない。土の神は中国で「社」と言い、それを祭る日を社日と言い、中国文化の影響を受けてわが国では社日信仰として知られている註[6]。特に淡路島では盛んなことが田村(一九八九)により報告されている。その碑は土と石で作られ、屋根を設けず、全体の形はワバチの巣に良く似ている文献[22]。このような農民による地神の祭りは一七〇〇年代後半に「神仙霊草春秋社日儀」のような手引書が発行され、全国各地で行われたという。
 ワバチの祭り自体は熊野では見い出せないものの、巣箱を屋敷の敷地内においたり図[10]参照、「待ちゴーラ」を社日に設置し、清浄にするという習俗は現在も存在する。今でも、新しい巣(ウトー、ゴーラ)を置く時に塩をふる人や酒をふる村人がいるとのことである(本宮町、古座川町)。熊野ではワバチとその巣に対して神という名は付けられていないし、社日信仰のような中国の宗教との習合による盛大な祭りは見られないものの、社日の碑と類似した形態を示しており、土地の繁栄を司る地神として神聖視される場合が多かったと考えている。
 ヨウバチの飼養においては多くの蜂を殺してしまったという理由で蜂供養が行われている例がある(海草郡下津町)。しかしながらワバチの供養の例は熊野地方で著者が調査した範囲では全く見い出せなかった。ワバチはほとんど殺されることが無く、人と共生していることが主な理由と考えられた。殺生が無いところでは霊を弔う儀礼である動物供養は必要無いということなのであろう。もちろん全滅させて採集・利用することも実行しようと思えば可能なわけであるが、それをする伝統が無い理由は(1)険しい山岳地帯における採蜜活動の労働の効率化という側面に加えて、(2)農耕神(作神)が飛来する地神と見る古くからの観念が影響していると推察された。
 ワバチとその巣にかかわる信仰はまだまだ不明な点が多いため、今後の研究の集積が必要である。








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