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3 従来の調査研究
 島原市の民家調査、まちづくりに関わる報告など、これまでの実施したもののうち代表的とみられるものをあげる。
 A 長崎県緊急民家調査
 島原市の民家について、昭和49年(1974)刊行の長崎県教育委員会編「長崎県の民家(後編)長崎県緊急民家調査報告書」(以下、報告書と記す)が参考になる。この緊急民家調査は文化庁の助成を受けて長崎県が昭和42年(1967)に実施したものである。この調査は重要文化財に指定する民家の候補を探すことを目的にしておこなわれた。ときの主任調査員は、当時大坂工業大学助教授青山賢信氏である。
 ここで調査対象にあがっている島原市の民家は合計132棟である。このうち予備調査にあがってきたもの108棟、第1次調査にあがってきたもの23棟である。第1次調査のうち5棟が第2次調査の対象となり、最終の第3次調査に残ったのは1棟であった。これらのうち上記報告書に11棟が掲載されている。
 ところで、県全体で調査対象にあがってきた全件数は721棟、予備調査557棟、第1次調査222棟、第2次調査対象64棟、第3次調査に残ったものは38棟、報告書に掲載されたもの79棟である。数字をみると予備調査、第1次調査にあげられた棟数は、島原市が県下市町村のなかでもっとも多い。また、第2次調査対象の5棟も県下でもっとも多く、他の市町村はみな4棟以下である。
 上記した報告書に載る島原市の11棟は次の住宅である。なお、この調査では下級武士住宅を民家に含めて扱っている。
 
No. 氏名 所在 種別 建築年(根拠)
1 山崎重裕家 白土町1091 町家 弘化3年(棟札/普請帳)
2 羽太昌久家 加美町1013 町家 19世紀
3 樋口正規家 加美町1094 町家 19世紀中頃
4 内田又四郎家 東本町 町家 19世紀中頃
5 大岡秀久家 新馬場953 武士住宅 100年前頃
6 島田ヒサ家 下ノ丁1971 武士住宅 105年前(口伝)
7 山本秀武家 下ノ丁1995 武士住宅 文化13年
8 山本トキ家 中ノ丁2056 武士住宅 110年前(口伝)
9 北野晃家 中ノ丁2071 武士住宅 250年前
10 大津嘉納家 中ノ丁2086 武士住宅 120年前頃
11 上田久松家 古丁2322 武士住宅 120年前
1山崎家、3樋口家の2棟は今回調査対象としている
 
 これら11棟の内容は、町家4軒、武士住宅7軒、農家はゼロである。屋根葺き材は、町家はみな瓦葺き、武士住宅はみな茅葺きである。建築年代は250年前とする1棟を除いてどれも19世紀である。なお、上記の何年前の表示は調査時1967年から数えている。予備調査で上がってきた108棟の物件には農家、町家、武家住宅、その他が含まれている。それらはみな家屋台帳を根拠にしたもので、建ててから100年以上前のものを書き上げている。調査当時の昭和42年(1967)はちょうど明治100年にあたるので、書き上げられた物件は江戸時代の建築と判断された家屋である。これらの建築年代の実際を知るには建物にあたるなどの調査を必要とするが、島原市には県下でも古い家が多く、当時の担当者が熱心にリストアップしたことが知られる。
 報告書に載る調査対象物件に農家が1件もあがっていないことから判断すると、調査当時の頃は、島原では武家住宅と町家が特別に注目されていたことがわかる。なお、町家4棟のうち3棟は今回の調査地区に所在する。
 島原市の町家について主任調査員の青山賢信氏は、報告書のなかで次のように記述している。ただ、記述は島原市の町家としてまとまっているのではなく各所に散見しているので、これを拾いだしてみる。
 
 町家の形式
 平入りと妻入りの両方があるが、妻入りは県下では島原市内に数棟が残っているにすぎなかった。
 間取り
 片側に通り庭をとり、それに沿って部屋を表から裏に向って前後に配する。部屋の列は、小規模の家では1列、大規模の家では2列、3列になる。特に島原市の残る大規模な町家では、前後2室左右3列に並べる6間取りで、表側に2間におよぶ下屋をおろして土間を広げると同時にその一部に下店を設ける形式が取られている。
 屋 根
 すべて瓦葺きで、切妻造りが多いが島原では寄棟造りがみられる。
 構 造
 つし二階あるいは二階座敷を設けるので、下階の指鴨居は上へ上げて胴差となり、大引天井を張る。二階を造る部分では登梁を用いる。土間上は二階を造らない時は和小屋組をみせるが、幕末には土間上にも二階を造るようになって登梁を用いる。
 B 島原市地域住宅事業と中心市街地
総合再生計画・街なみ環境整備事業
 地域住宅事業(HOPE計画)は、地域に根ざした住まい・まちづくりを進めるために昭和58年(1983)にスタートしたもので、島原市HOPE計画は昭和59年(1984)に実施された。また、雲仙普賢岳の平成の大噴火の直後、市民の気持ちが沈みがちな平成5年(1993)に中心市街地総合再生計画・街なみ環境整備事業がとりあげられた。これらの事業は島原市のまちづくりに大きな影響を及ぼしている。
 この調査から発展的にいくつかの関連調査がおこなわれ、また、組織ができた。そのなかに今回、調査対象とした島原街道沿いの地区もとりあげられている。 平成7年に「森岳地区街づくり協定研究会」「鯉の泳ぐ町地区協定研究会」などが発足した。その成果として、同8年に「鯉の泳ぐ町地区協定書」、12年に「七万石坂街づくり協定書」、「上の町街づくり協定書」ができ、島原市街なみ環境整備事業補助金交付制度が開始した。
 まちづくりシンポジウム、住宅フェアなど現在も続いている。これらは民家やまちなみを建築史や文化財としての立場から調査研究し、まちづくりに直接活かすものではないが、その活動は今に生きており大変に役立っている。








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