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5 島原町家の特徴―調査でわかってきたことと課題
 今回の調査によって島原町家の特徴がしだいにわかってきた。このいくつかを説明したい。
 A多くある伝統的な町なみ・建造物
 市内を巡ってみてまず感じたことは、規模の大きな町なみとともに、規模が小さくミニ町なみといった伝統的な集落町なみが多くあることである。すでによく知られている武家屋敷の町なみ、今回調査対象とした街道筋の町なみ、浜の川湧水とその周辺などなど。そしてまた、市内のあちこちに古い民家が数多く点在していることである。また、寺院が集中している町がある。これらを伝統的な町なみ、建造物の視点から分布調査をして地図上に落とすことが取りあえず必要であり、そして伝統的な町なみや建物が多くあることを、武家屋敷や湧水に加えて、市民に広く知ってもらうことが大切であると感じた。
B 町家の間取り
 調査対象になった家は、部屋数が多く、どの家も床・棚・書院などの座敷飾りを備えた書院座敷をもっていた。書院座敷が間取りのなかで重要な位置を占めており、民家の間取りとしてすでに発達した段階に達している。これは建築年代が江戸末期以降、明治・大正期であるという時代、建物の規模が大きく上層の家であり、経済力のある家であることを大きく反映している。
 全国各地にみられる町家の敷地は、ウナギの寝床といわれるように、一般的に間口が狭く奥行が長い。この敷地にしたがって間口いっぱいに建物を建てる。間取りは片方に表から裏に通じる幅の狭い「通り庭」を配し、この通り庭に沿って、ミセを道路に面して置き、部屋を1列ないし2列に並べている。
 これに対して今回、調査対象となった島原の町家は、敷地の間口が広く、ここに平入の主屋を建て、比較的広い土間をとり、土間の上手に部屋を2列ないし3列配するものが大多数を占めていた。この間取りは、町家の典型というよりは、むしろ大規模な農家の間取りをおもわせる。また、多くの家では接客座敷に面して庭園を築いている。このように敷地にも余裕があったので、前に記したように、仏間を接客座敷の前に張りだして建てることが可能になった。
C 二階の発達
 調査対象になった主屋の多くは二階建てであった。ただ、江戸時代の建築とみられる一部に平屋建てがあった。二階建てといっても、江戸時代から明治・大正期のものの二階は小屋裏をそのままあらわした一空間で、家財道具などの収納の場として使われていた。居室として間仕切りなどをしているものは、古くはないようである。これが建築した当初の二階の姿であるが、これらの家も現在は二階の一部に座敷を作ったり、個室を作るなど変化がみられる。これらは最初から軒高を高くして二階に居室を作るものへと変わっていく。上記のどの家も、階段が建物の中央部に位置するという共通点をもっている。天井は張ってなくとも二階を収納の場として使うために、最初から二階建てとして建てたことがわかる。
D 梁組と小屋構造
 多くの主屋の梁組と小屋構造の形式は、大きく2種に分類できる。
 [1]棟通りに断面の大きな地棟木を通し、その上に両側の軒桁から曲がりがある大梁を登り梁状に架けわたし、登り梁状の大梁の登りが低い場合にはその上に和小屋を組む。ただし、大梁の登りが高く母屋桁との間が狭い場合は小屋束のみを立てる。
 [2]土蔵などに多くみられる形式で、直材またはやや曲がりがある登り梁を地棟木上で交差して組み、母屋桁を直接登り梁でうけるか、間がある場合には小屋束を立てて母屋桁をうける。この他、登り梁を軒桁から架けずに中間の母屋桁を台にして架けるものがある。
 上の[1]、[2]の梁組と小屋構造は江戸時代末期にはすでにあらわれており、これらの形式によって時代の新旧は決めがたいが、二階の利用を考えると、登り梁が高く架かっている方が新しい傾向をしめしていると考えられる。
 島原町家の編年の難しさは、江戸時代後期以前にさかのぼるような古い遺構がなく、対象とした古い町家と新しい町家の建築年代の差は100年ほどにすぎず、その差が小さいことにある。今回の調査で、いくつかのことがわかってきたが、今後さらに研究を進めることによって成果は増え、編年の物差は精度を高めることができるであろう。小屋構造では、その形式だけでなく、部材の使い方、仕上げなど微妙な点にも注意する必要がある。
E 畳の大きさ
 これまでに調査対象になった家々の畳を測ってみると、その大きさは、どれも6尺3寸×3尺1寸5分を基準としている。この大きさの畳は京間畳と呼ばれているものである。民家の畳の大きさの種類は、京間・中京間・江戸間などと呼ばれているものがあり地域性が顕著である。京間畳がもっとも大きく、中京間畳がこれに次ぎ、江戸間畳がもっとも小さい。江戸間の場合は、平面は心々制であるので部屋の大きさにしたがって畳の大きさは若干異なるが、ほぼ5尺8寸×2尺9寸である。江戸間畳と京間畳の面積の比は1: 1.18であって、京間畳は江戸間畳より約18パーセントも大きいのである。
 どの畳を用いるかは、その地域の文化の系統や建築設計計画に直接関わっている。今回調査したうち、小松屋は京都の大工が建てたと伝えている。そうであれば京都の建築技術が島原に直接持ち込まれたことも考えられる。








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