日本財団 図書館


ウエルカムセンター
阿部 恵理香 (運営班)
「人生を変えるきっかけになったかも…」
 語学を希望し、その通りに配置していただいたのですが、ウエルカムセンターは、私にとっては仕事の内容がなかなかイメージの出来ないところでした。
 お客様や選手団への総合案内。そう言われてもなかなかピンとこないものでした。
 それでも、やはり大会運営の一員としてやらなくては意味がありません。
 最初は、ただ言われるがままに動くしかありませんでした。でも、人ってスゴイです。
 2日目になると少しずつ要領も分かり、自分から動くこともでき、やりがいを感じてきました。現場の感想としては「やってみなくては分からない」「人に接してみなくては分からない」ということでした。
 日常では日本語以外は縁のない私ですが、宿泊先や競技会場について、交通手段、お店、いろいろ聞かれてその度に緊張して、でも懸命に案内をしました。その中で一度だけ「お手洗いはどこ?」と聞かれたときには、別の言葉に聞こえてしまい、競技会場かと思って「調べるので少々お待ち下さい」などど、訳の分からないことを言ってしまったこともありました。アトリオン内のお手洗いの場所を伝えるだけだったのをとんだ早とちりでした。その後、それまで以上に注意して話を聞くようになったのは言うまでもありません。
 事前に受けた研修も必要なものでしたが、実際に自分がやってみて分かった事の方が役に立つものです。時には失敗もありました。それでも沢山の人の笑顔と「ありがとう」に会えるうれしさを感じたときは「このボランティアをやって本当に良かったんだな」と強く思いました。
 もしかすると、私の今後の人生を変えるきっかけになったのかも知れません。
 たった7日間でしたが、お手伝いできて本当に良かったです。
 ありがとうございました。
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佐藤 恵子 (総務班)
「WG成功を祝う」
 ある日、研修会に行った娘が帰宅するなり「お母さん、まだボランティア不足のようだから申し込みして!」と背中を押され不安を抱えながら申し込んだ。
 「配置決定!ウエルカムセンター」。なぜか少しほっとした。
 外国人選手が近づくだけで逃げ出したくなる心境だが体験させる各分野の先生、担当者の怖じけず、選手達に笑顔で対応されている姿を見て、いつしか私も自然に溶け込んでしまいました。
 何度か小声で英語を使ってはみたものの、口ごもってしまった。研修資料も幾度か目を通すが目だけが疲れ「年のせいか」、それ以来やめた。雑役に徹しようとウエルカムセンターへ。ただし、IDカードが恥ずかしかった。センター内のボランティアの皆さんのTシャツ、I Dカードをさげた姿は、自信と誇りに光り輝いている。茶道・折り紙・着付け・生け花と選手達は日本の文化を存分に楽しんでいた。着付けでは「せっかく着た着物を直ぐ脱ぐのは悲しい」と語った選手もいた。
 外に出てみると、プラザ周辺や広小路駅前辺りには、県人に交わり外国人が行き来しており、秋田の街をゆっくり眺め異国を確かめているようだった。日が進む中、何の競技も見ていないのに気が付き慌てて当日券を買いに走り廻り、ダンススポーツ、ライフセービング、フィンスイミングを観戦に行った。
 ダンススポーツの華麗なステップに魅了され、フィンスイミングの水中でのスーと抜けるようなスピードに驚き、ライフセービングの60kgの人形を脇に抱え泳ぐ体力にうなった。
 そして、別れの日、雄和町スカイドームでの閉会式、次の開催地ドイツに旗が渡され、成功を誓い合い、ナミー・ハギーを交えエレクトーン奏者「加曽利康之さん」のメロディー流れる中各国選手達のリラックスしたパフォーマンスにみんな酔いしれた。フィナーレで流した涙。
 「See you again」この時初めてはっきり叫んでいた。
 IDカードは私の数少ない宝物となりました。
秋田ワールドゲームズ入場者298,680人。おめでとうございました。
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秋田ゾンタクラブ代表 井上 房子 (フロア担当)
「小さなイーグルの折り紙」
 WGは正直のところ馴染み薄い大会であり、スポーツ競技であったので、開会するまでその成り行きについては懸念する気持ちが私には強かった。
ウエルカムセンター開会初日の8月14日は、私はアトリオン3階フロアを担当。日本文化体験コーナーに立ち寄ったベルギーの青年の指先は、四角い紙を器用に丁寧に折りたたみ「イーグル(鷲)」を折あげた。
 紙の小さな鳥は、鋭いくちばしの紛れもないイーグルで、彼を取り囲んでいるボランティアたちの驚きの声に青年はちょっとはにかんだ。折り紙の好きな母親に習ったとのこと。
 小さな作品にサインを留めて去っていった青年は、どの競技に参加したアスリートだったのか?さわやかな笑顔に、はにかみをのぞかせた青年との一時の交流も、WGのもたらした出会いだった。
 開会式の盛り上がりと一体感、会場に湧き上がった熱いエネルギーが、すべてのくもりをぬぐい去ってくれた。
秋田ゾンタクラブ 伊藤 干鶴子
「秋田県人であることを誇りに思った」
 夏の1日、アトリオン3階のウエルカムセンターに勤務しました。
 3人のグループでしたが、2人とも何日かの経験者で、積極的に外人選手を1階から連れて来て、ゆかたの着付けを体験させたり、楽しんでいただこうとする姿勢に感心させられました。つられて私も1階まるごとプラザや地下おみやげプラザにお客様をゲットしに行って成功してうれしくなりました。
 ゆかたに、団扇をもって満面笑みを浮かべてポーズをとる雲つくような男性選手、ポラロイドカメラで撮ったスナップを見て「アリガトゴザイマス」の連発。
 着付けの先生がた、折り紙教室の皆さん、周到な準備をなさって毎日献身的な活動…。
 開会式でも痛感したボランティアの偉大な力、一人一人のひたむきな努力が結集して、大きな実を結ぶのだと思いました。秋田県人であることを誇りに思ったことでした。
 組織委員会の一員ではありましたが、自分の属する国際奉仕団体秋田ゾンタクラブのメンバーとして微々たるものですが、ボランティアをさせて頂いたことに感謝しています。
 同じグループのお2人が、とても表情豊かに楽しそうに、いかにも自然に英語でやりとりしていらっしゃるので、聞きましたら、ワールドゲームズ主催の語学研修を受けられたとのことでした。
 ご本人のそれまでのキャリアとか、色々条件はあろうと思いますが、事務局の方々の周到な準備が実を結んだ素晴らしい成果のひとつと思いました。
 海外旅行や海外での国際大会では買い物や食事・挨拶くらいから進歩していない自分を恥ずかしく思いました。 今度あったら、絶対語学研修を受けるぞ!
 …もう遅いですね。
加藤 恪人 (総務班)
「秋田での再度開催を希望します!!」
 自分の持っているものを惜しみなく提供している多くのボランティアの方々に出会えてうれしかった。無事に終わってよかったです。
 ワールドゲームズは市内ばかり騒いで県北、県南、並びに他県の反応は寂しいものだったと思います。なぜなら自分自身、ボランティア参加によって、ワールドゲームズが今回で6回目の開催であること、そしてどんな競技があるのかを初めて知ったくらいですから…
 その結果は、すべての競技が楽しく興味あるものでした。全部見たい。ボランティアの仕事が終わってその日の分見たい。でも見られない。当家には衛星放送が付いてないから。こんなに悲しく寂しい事はなかった。
 ボランティアに参加したせいか、ワールドゲームズをいとおしく思っており、ワールドゲームズのますますの興隆を願っております。ワールドゲームズに対する今後のささやかな希望として、次回ドイツ開催時には日本においては民放でのテレビ観戦をしたい。(全競技)
 オリンピック関係と手を切って、ワールドゲームズの目玉競技を育てまた増やしてほしい。(競技人口が増えたからといってオリンピック種目に入れない)
 オリンピッグより楽しいものになってほしい。秋田での再度開催を希望します。
 皆様に大変お世話になりました。
 ありがとうございました。
村上 廣吉 (フロア担当)
「みんなが主体性をもって行動している」
 世界的規模のスポーツ、ワールドゲームズが秋田で開催されることが決まってから、ボランティアの募集を知り申し込んだ。ボランティアは全く初めてなので不安もあった。大会前何度かボランティア活動のための研修が実施された。活動の意義、社会的役割などボランティアの心構えから、ボランティア体験者の発表などもあり参考になった。
 大会が近づくにつれ配置が発表され、アトリオンのウエルカムセンター・フロア担当に決まった。沢山の外国の選手役員や観光客を迎える場所となるので、語学など分からない者に果たして勤まるのか不安がよぎる間もなく大会本番を迎えた。
活動初日、朝の点呼とミーティングで始まり、当日の注意事項を確認しそれぞれ持ち場に付いた。緊張したが、時間とともにペースをつかみ、「ようこそ」「ウエルカム」の気持ちを前面に笑顔で迎えることができた。
 心配された外国の方達の応対も、語学担当者が見事にさばいてくれた。ウエルカムフロア担当班は、チームワークがよく班長はじめ支援職員、一般ボランティアみんな親切で、周囲の仲間達にも助けられ、楽しく充実した十日間を過ごすことが出来た。
 自分は四十数年間一筋に会社の組織人間として仕事をしてきた。このたびボランティア活動を体験して感じたことは、みんなが主体性をもって行動している姿が強く印象に残った。
 この貴重な体験を生かし、機会があればまたボランティア活動に参加したいと願っている。
 終わりに、このたびのワールドゲームズで出会った多くの大会関係者、ボランティアの皆さんに厚く感謝申し上げペンを置く。
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斉藤 廣子
「幸せ気分の熱い夏でした」
 初めて体験するボランティア活動が、アジアで初めて開かれるワールドゲームズとあって自信を失いかけましたが、“ゴミ拾いぐらいなら私にもできそう”と開きなおって参加させていただきました。
 比較的外国人の少ない秋田に沢山の外国の方が見え、街は活気に満ちあふれ、幸せな気分になりました。選手、役員、私達ボランティアも熱く燃えた夏でした。
 ワールドゲームズが大成功と報道され、微力ながら私もお役に立てたのだと素直に喜んでおります。
 ありがとうございました。
小林 美恵 (フロア担当)
「意志があれば心が通じあえる」
 「人のためになりたい」「人を助けたい」という率直な意志は、ボランティア活動に最も必要なものの一つです。
 私のアトリオンの初日が始まりました。日本の文化を紹介する資料をお渡しした時の事です。「How much?」その時「don't cash」と答えたのです。外国の男性は思わず笑い出しました。
 私は笑う余裕もなかったのです。内心しまったと思いました。次回からは丁寧な言いまわしで、「No pay cash」で答えることにしました。この様に私のボランティア活動は小さな失敗から始まりました。
 三階に配置された時の事です。道案内の為にオランダ人のご夫婦と時間を共有する機会を得ることがありました。この時に、秋田銀行はもう少しですと話しながら、常に笑顔で相手が自分を見失わない様に、歩きやすい様に気を配りながら案内をしました。案内後、大変感謝されました。
 あまり語学の知識がなくても、相手の心を理解しようとする意志があれば心が通じあえるものだなあ、と今さらながら感じることができました。
藤原 洋 (フロア担当)
「ハラショー会の仲間と参加」
 私はロシア語を勉強しておりましたので、県民の一人としていささかでも役に立つならと、秋田ロシア語友の会(愛称・ハラショー会)の有志(9名)と話し合ってボランティアに参加しました。
 参加した仲間の話によりますと、配置担当によってロシア語を一言も活かせなかった人、選手・監督と親しく雑談も出来た人など様々でした。私の場合、一度だけインフォメーションカウンターで誰かがロシア人だと云ったので、ポスターが欲しいと言うスロバキアの選手と二言、三言話しただけでした。公用語の英語が得意な人を羨ましく思い、英語でアプローチし、そしてその国の言葉を話せたらなあと、つくづく思いました。
 でも、この参加によって学生さんや、ご婦人達と交流が出来、みんなが一つの目標に向かって積極的に活躍する姿を見て秋田県民の力を感じました。参加してよかったと思っております。
孔 和枝 (インフォメーション担当)
「ディスコはどこ?」
 今年の1月にボランティア登録をしてから、期待と不安が交錯する中で、今振り返ってみると、あっという間に終わってしまったという感じです。
 英語の語学ボランティアということで、4月から3ケ月間、グラハム・フェレディ先生の語学研修にも参加させていただき、仲間と共に学んだ3ケ月間は、とても楽しく貴重な体験でした。
 いよいよ本番、8月22日から正味5日間、アトリオンのウエルカムセンター内インフォメーション・カウンターでの案内が私の仕事でした。多くの国々の選手・役員及び観客の方々と英語でコミュニケートでき、微力ながらお手伝いできたことをとても嬉しく思います。
 また、WGを通じて多くの仲間、職員の方々と知り合えて良かったです。職員の方々も皆親切で、てきぱきと行動されているお姿に、私も刺激され楽しく仕事ができました。
 苦労した点といえば、インフォメーションということで、あらゆる質問をされるので、答えに四苦八苦した事です。
 たとえば、ある国の(ラテン系?)選手の方たちが、「今日は秋田最後の夜だから、どこか踊れる場所を教えてほしい。」と言われ、「歌って踊れるカラオケですか。」の私の問いに、「ノー、ディスコ!!」。秋田市内で、ディスコなど行ったこともない私は、はたと困り、電話帳(タウンページ)を操ってやっと見つけた一軒のディスコは、もう営業しておらず、まわりの方々に尋ねても即答は帰って来ず、川反のどこかのお店で踊れるという情報はあっても、詳しい場所は不明。仕舞には、彼らの方から、「どうせ、川反方面へ食事に行くので捜してみるよ。」と言われ、ホッとしたのですが、何でもわかってなきゃいけないんだなとつくづく仕事の重要性に気づかされた場面でした。
 WGが終わってしばらくは、無事終わったという安堵感と共に、虚脱感で一杯でした。そして今思うことは、WGがあの米テロ事件の前に既に終了していたという事に、ほっとしています。なぜなら、もしあの事件後であったら、色々な面で混乱は避けられなかっただろうし、無事終わっていたかどうかもわからないからです。
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オバタリアン
「心躍る毎日でした」
 ワールドゲームズも成功に終わり、半月たちました。期間中は、秋田駅前、特に仲小路はまるでお祭りで、活気があって心踊る毎日でした。
 人間は実は群れるのが大好きな動物だという事を実感しました。特に外人と話すときは浮き浮きしました。習いたての英語も少しは役にたち、これを機会にもっと語学を身につけたいと思いました。
月澤 雄一 (インフォメーション担当)
「ボランティアを振り返って」
 8月14〜19日の6日間、ウエルカムセンター(アトリオン)の1階フロア担当でしたが、仕事は各種案内リーフレットやWGうちわなどの配布と国内外の選手、観客との接遇が主な内容でした。
 9時から午後3時半までの早番勤務でしたが、要領よく仕事をこなすようになるまでは、どっと入って来るお客さん達で目が廻るように忙しい時もありました。
 朗らかで明るい外国人選手達との手振りを交えたやりとりは今回のWGボランティアならではの面白くて楽しい一刻でありました。外国選手の中には初めて秋田に来た記念に何かを欲しがる人も多く、過剰サービスかと思いましたが館内のWGの幟り旗を旗竿から切り取ってこっそり渡してやった時のドイツ選手の嬉しそうな顔がまだ瞼に残っています。
 同じウエルカムセンターで働いた中核支援や一般支援職員の方々はさすが県庁職員だけに強い責任感と積極的な仕事振りには感心させられました。又、一般登録ボランティアの方々も夫々に個性的・社交的で使命溢れる活動をされていたのが印象的でした。
 何よりも、めったに会うことのないようなふだん無関係な人間同志が共有する想いを寄せ合い、集まって一緒に仕事をするというボランティア活動、私には初めてでしたが爽やかな良い思い出として残りました。
 加えて、秋田大会が大成功に終わったことは私達の一番嬉しかったことであり、みんな達成感と満足感に浸ったものと思っております。
 更に又、私達の心身の健康に益する面もあったと考えられ、色々と与えられたものが多かったことを思い出しております。
 異文化とのコミュニケーションという面も沢山あったわけで、遠くから来た地球の仲間に会えて何となく嬉しい数日間でした。
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飛び魚 (案内係)
「時代を変える。秋田が変わる」
 第6回WG秋田大会に私が参加したいと思ったきっかけは「土用」が過ぎたら、川、海に入るべからず…それがお盆過ぎ。
 時代も変わったものと競技内容に目をパチクリの私でした。「時代を変える。秋田が変わる。」に納得の御人がおられた嬉しさに賛同。
 2000年のクリスマスが間近になってからのことでした。スポーツ倶楽部(グリーン)で知りました。(直ぐに登録を)2001年の正月を迎えて、第2回目の研修の案内を頂き、参加。
 橋渡しをされた諸星先生の講演は、国内外での体験を交えた本音の素晴らしいものでした。大会を引き受けられた林会長様、そして県民のため、一生懸命受け入れ役の寺田秋田県知事に感謝致します。
 セレモニーは孫にも伝えたい。感じて欲しい人とのハーモニーを。アゴラ広場で頂いた色とりどりの風船が青空に向かって飛んで行く。もうこれで充分ワールドゲームズを意識してくれました。(2才と6才)
 今野先生の「恥ずかしがっていては、WGに間に合わない」、諸星先生の「ボランティアで変化にチャレンジ」、宮川和子女史の「心を持って参加、トラブルも又、楽し」その通りに終った6日間でした。(21〜26日までウエルカムセンター)
 朝から夜まで期間中通しの勤務、佐藤陽様ご苦労さまでした。
 木村薫様、病院でお会いしてましたのに知らんふり。申し訳ありません。気付いてましたよ。コンサートも良かったね。ありがとう。
 雪踏みが楽しみです。
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