本荘マリーナ海水浴場/岩城町島式漁港公園
ワンコはビーちゃん (本荘マリーナ 警備係)
「私もがんばったよ」
くっちゃべってないで任務遂行! ドタキャン?え、何人も?(怒)オイオイオイ…。 いろいろ事情がおありだろうけど、困ったことに。 反面、残った人たちで協力しあい、助け合うことができたのは喜びだ。
普段知り合う機会のない人と知り合えた。
お客さんから大変だね、ご苦労さんだねと声を掛けてもらったことも嬉しかった。
シミに屈することなく参加した自分にも、ちょっぴり酔ったかな。楽しかった!
高橋 純子 (医療救護班)
「始めての一歩」
「私も何かしたい!」、何ができるか分からないけど、いてもたってもいられない気持ちで参加しました。とにかく毎日楽しかった。いろんな所から集まってきたみんな(ボランティア)や、こんなすごい人たち(選手)と一緒に、同じ時を過ごしている。それだけでも、とてつもなく嬉しい事のように感じました。
WGボランティア体験は、私のちっぽけな世界を広げてくれる初めての一歩でした。
最後に引っ込み思案な私の背中を押してくれた医療救護班のみんな、山下さん…ありがとう!
それからPepito,i Muchas gracias!
能勢 智子 (医療救護班)
「楽しませてもらいました」
参加することに意義がある…を実感した4日間でした。
いろんな意味で楽しかった(楽しませてもらった)です。…と同時に、ワールドゲームズ全体を通して、秋田市とそれ以外の開催地間との取り組みに対する温度差を感じました。
ボランティア個々の意気込みも千差万別、参加方法も十人十色、言われなくてもどんどん動ける人もいるけれど…やはり誰かの誘導が必要な場合もあると思うのです。そういった点では、何となく消化不良気味の感が残ります。(私だけかしら?)
皆、全て同じように足並みを揃えるだけが良いことではない…事も十分承知しているのですが…。
そんな中で何より良かったことは、大きな事故やケガもなく、いたって平穏に日々が過ぎていったことです。ホッ…としています。
中村 愛 (本荘マリーナ アナウンス係)
「いつもと違った体験ができました」
4日間という短い期間、私は本荘マリーナのビーチハンドボールでアナウンス班としてボランティアをやらせていただきました。 初めのうちは緊張と慣れない事の連続でとても大変でしたが、そのうち慣れ、とても楽しく仕事をさせてもらいました。慣れ過ぎて居眠りをしてしまうなどの失敗もありましたが、大会は無事成功を収めることができました。
楽しかったことといえば、少し外国の方と交流できたことです。些細なことで日本語で「ありがとう」と言われたときが一番嬉しかったです。
普通に生活をしていたら、知り合うことができなかったであろう人達と共に活動し、笑い合えたこと、とても良い思い出になりました。
そして、秋田の大イベントであるWGに参加できたこと、この体験は今後私の生活に生かされていくと思います。
ボランティアは色々な方面に挑戦していきたいです。本当にありがとうございました。
Y (本荘マリーナ 選手管理班)
「国歌斉唱にどことなく感動」
大会が開催されるまで、すべてがどんな試合になるのか、観客が来るかどうか、果たして自分は、ボランティアとして役立つのか漠然とした不安をずっと抱えていた。
大会初日は、台風の影響でスケジュールの大幅変更があり、かなりの時間が空いたことで自分の活動のスケジュール確認をすることが出来たが、運良くその後は好天が続き安心した。
私は日本チームの担当で、スケジュール確認や要望受け入れに関しては、後々選手たちが理解して動いていたので支障はなかったが、他チーム、つまり海外から来たチームとなると突然のスケジュール変更や予想外の要望を出したりで、担当の人々は私以上に受け入れに手間取っていた。私も国による習慣の違いを肌で感じ取った。
試合が始まってみると、世界というものがますます近くになっていった。それは試合前の国歌斉唱にどことなく感動を覚え、勝利したことで気前良く私達にお菓子をプレゼントしてくれた外国の選手、そして試合が始まると国のため以上に、自分たちの向上のために戦い勝って喜び、負けて悔しがる選手の姿。勝敗で会場が沸き上がることも予想だにしていなかったこともあって、緊張感の中にも開放感が生まれ、大会のボランティアとしてその「世界」に関われた幸せを大いに感じ取ることができた。 大会準備期間中から、私自身の心構えのなさで周りに迷惑をかけたこともあり、更に自分に対する漠然的不安を持ってしまったのだが、それをも吹き飛ばして積極的に行動できたのは、他のボランティア、役員、選手、会場に支えられた開放的空気を味わうことができたからである。
大会を通じてお世話になった全てのことにありがとう。
T・F (本荘マリーナ 駐車場係)
「国体はオープンな形で」
ボランティア参加者は、1人1人が「やってやる」という強い意志をもった方達ばかりなので、自分自身、心にある種の緊張感をもってがんばることができました。
それとボランティアだということで、観客の方からも多くの励ましを頂きました。「エライね。」「がんばってね。」等々温かい言葉をかけてもらって本当に嬉しかったです。
ふとしたことから登録したボランティアだったのですが、こんなにも充実した日々を過ごすことができて本当にラッキーです。
何年か後に秋田国体が開催されるわけですが、堅苦しいものにするのではなく、今回のようにオープンな形で行うことができたらよいと思います。「国体」という言葉に束縛されず、県内外から多くのボランティアを募って盛り上げることができたら、きっとすばらしい大会になると思います。
そう考えさせられたボランティア活動でした。
伊藤 良範 (本荘マリーナ 警備交通班)
「英語を活かして貴重な体験」
私は由利高校の英語の教員をしております。それで少しでも英語を話す機会があればいい、また、英語といっても出身国や個人のくせにより、かなり違うので、いろいろな英語に慣れ、同時に自分の英語力を少しでも生かせる機会がほしい、と思いボランティアに応募しました。
警備交通班に割り当てられたので、実際に英語を使う機会は二度だけでした。ドイツ人(らしき人)からシャワーのある場所を尋ねられ、またその後、その人から会場から本荘駅に行くバスの乗り場所を尋ねられました。かなりドイツなまりの強い英語でしたが理解はできました。
しかし、問題はバスが運行されているということをそのドイツ人がパンフレットで指摘するまで私が知らなかったことです。もっと私も会場の業務全体の流れを知っておくべきでしたし、組織委員会でも、研修会でボランティアの人にそのようなパンフレットを配布して説明してほしかったと思います。またある時は、中国の女子選手が警備していた私にぶつかり“sorry”といって立ち去りました。中国人でもこのような大会に出る入は英語を勉強しているだろうという私の予想が当たりうれしく思いました。いずれも貴重な体験でした。
由利高校からは8〜9人の生徒がボランティア活動をしていました。皆よくがんばっていたようでしたし、貴重な体験をしたと思います。ただ、由利高校の教員は私一人だけというのは残念でした。確かに夏休みでも忙しい教員が多いですが、普段の仕事や生活では得られないものが得られたのにと思い、残念です。
小川 由美子(本荘マリーナ 清掃美化班 警備交通班ほか)
「秋田ワールドゲームズに寄せて」
8月初め、私は本荘マリーナでのボランティアだけだろうと思っていた矢先、秋田市での総合開会式、秋田市文化会館での施設管理のボランティアが急に入ってきました。
私が三会場もやれるのだろうかと一抹の不安もありましたがなんとかやってみようと…8月16日この世でない晴天のもと開会式が挙行された。どのくらいの人が来るのだろうかと思っていたがたくさんの人が来ていました。
そして、秋田市文化会館、本荘マリーナと回り8月2 2日を除いて、26日までの総日数8.5日自分でもよくやったと思いました。
大会を成功させようと、何か月も前から事務局とボランティアが一体となった研修、そこから学びとったものといえば「人と人とのふれあい」ではないでしょうか。
事務局の皆さんお疲れ様でした。
ボランティアの皆さん又会う日まで。
佐藤 正継 (本荘マリーナ 警備交通班)
「サインや絵はがきで交流」
ビーチハンドボールのボランティアと選手役員が参加して8月25日フェアウエルパーティが開かれました。
自分としては各国々の人々にノートにサインをしてもらったり、自分の集めた絵はがきの中の日本的なものをプレゼントしたり、楽しい一時を過ごすことができました。
少し残念だったのは、言葉のコミュニケーションがとれなかった事だけです。
小林 恵子 (本荘マリーナ 警備交通班)
「自分の世界が広がった」
23日から本荘マリーナで行われたビーチハンドボールで私は4日間ボランティアをした。前日からの台風の影響で競技開始時間が正午まで延びてしまったりしたが、それにもかかわらず、多くの観客が来てくれて本当に嬉しかった。
外の競技なので、大会の3日間はとにかく暑かった。私は駐車場の係で傘を差しながら2時間おきに駐車場にいたが、それでも真っ赤に日焼けしてしまっていた。
時々「つらいなー」とか思っていると、観客の人が「暑いでしょう?」とか「がんばれなー」とか声をかけてもらったり、海の家でバイトしている友達がわざわざかき氷を差し入れに来てくれたりして「ああ、ボランティアしてよかったなー」と思っていた。沢山の人とも会話できた。今までは同年代の人としかボランティアをしたことがなかった私にとっては、今まで以上に自分の世界が広がった気がした。
最後の1日は会場の後片づけだったが、そこでも一緒にボランティアをしてきた人たちと楽しく活動できた事は多分一生心に残るだろう。めったに出来ない体験をこの秋田で出来たことは、本当に良かったと思っている。
小川 斗鴻 (本荘マリーナ 選手管理班)
「ボランティアへの教育も今後必要」
初の国際大会で、多数のボランティアが協力し、盛り上がった大会で大成功だったと思います。
自分が担当する国が日本と対戦する時は複雑な心境でした。どっちも負けて欲しくなかったが、やはり勝負はついてました。
殆どのボランティアは与えられた業務に従事していましたが、一部では選手と一緒の写真を撮りまくったり、大会初日からユニフォームの交換要求があったりと国際マナーの欠如がみられた。試合途中の選手の集中力を失わせるような行為は慎む様、ボランティアヘの教育も今後必要と思う。でも楽しかった。
機会があれば何度でもやってみたい。
デコ (岩城会場)
「感謝の言葉が私たちの金メダル」
台風がまともに秋田を通過するのではないかと心配しましたが、当日は夏らしい海風がそよぎ快晴となりました。(競技団体の方から聞いたのですが、ライフセービングでは少々荒れた海の方が面白いのだそうですが。)
お天気は良かったのですが、業務の方はちょっと…競技結果の速報を出すことが私達の班の仕事でした。
しかし、手元のスターティングシートに審判からの結果を書き込もうとすると、すごいクセ字!何て読むの!おまけにスターティングシートに載ってない選手の名前が結果として挙がってくる???語学ボランティアの方に事情を調べてもらっているうちに、公式記録が出来上がってしまいました。
遂に私達は速報を諦め、掲示係に徹することにしました。どうして速報担当にエントリーの変更が知らされないの?
研修の段階から、書き込みのフォームや連絡系統について疑問点を提出していたのですが、ウヤムヤなまま当日を迎えてしまい、悔やまれました。他にも「こうしたらいいのになあ」という点がいくつかありました。こういったとき、競技団体の人たちと一緒に、リハーサルができればいいですね。
そんなこんなでしたが、ボランティアは自分の持ち場で、皆できる限りの仕事をしました。遠方から参加してくれた方や、地元でも初めて会う方達とお話できて、充実した一日でした。フレンドリーなアスリートたちとの、片言の英語での交流も楽しい思い出です。
ビーチ・フラッグスで3位になった但野選手が「一生懸命砂浜の小さなゴミまで拾い集めてくれたこの人たちのためにも、頑張らなければと思いました」と言っていたそうです。この言葉が私達の金メダルかな。
事前ボランティアとして、情報誌の製作という未体験ゾーンにも踏み込むことが出来ました。日常の自分の世界から一歩外に出られたことが何よりの収穫です。
今しみじみと思うのは「WGで出会った全ての皆さん、ありがとう」ということです。
佐藤 真咲 (岩城会場 ほか)
「報われた英語学習」
第六回ワールドゲームズ(WG)のボランティアを経験して、たくさんの楽しいこと、素晴らしいこと、を経験しました。但し、楽しいこと、素晴らしいことばかりではありません。つらいこと、いやなこともありました。
それでも、勉強させて頂いた良い経験をしたと思います。自分では精一杯やれるだけの事をやった満足感これは人生の貴重な財産となりました。
まず、楽しかったことは、ライフセービングの各国のコーチや選手達との英語のコミュニケーションができたことです。
ウエルカムパーティーでは、お互いおいしいお酒で祝杯を上げて呑み語らい交流を喜び合いました。
又、色々な選手達と知り合いになれて良い想い出となりました。最終日の秋田空港でのお別れの挨拶をされた時、Thank You very Muchと言われた時、お互いに別れを惜しんで握手した時でした。真心が通じて、本当に苦労が報われたと思いました。
素晴らしかった事は、県立プールで、フィンスイミング、ライフセービングの各国の選手達と一緒に、開会式に参加し、又、競技役員として時計係を担当することになり、選手達と一緒に競技に参加することが出来たと言う事でした。
各社のカメラマンがこの模様を映し、全世界に報道される、と思うと思わず涙が出てくる程でした。
職場の皆からは、英語ばかり勉強して、長期年次休暇を取り職場に迷惑をかけるトラブル者と噂された時もありましたが、テレビや新聞を見て職場の同僚達も理解を示してくれました。この時、本当に勉強して良かった。本当に苦労が報われたと思いました,
しかし、楽しいこと、素晴らしいことばかりではありません。
輸送業務においては、ボランティア間、事務局とボランティアのコミュニケーションの不足、指示系統の不徹底などから、自分が疎外されているような気分になり、周囲の方々と衝突したこともありました。
一度衝突してしまうと、自分もほかのスタッフもなかなか打ち解けることができず、輸送業務では何となく悔いが残る結果となりました。
しかし、結論的には今回のボランティア活動が決して嫌だったと言うことではなく、私にとって人生最大のラッキーイベントだったと思っています。
今後世界大会は、何遍開催されても、全日程参加したいと想います。申し遅れましたが、組織委員会の皆様には、いろいろな面でケアして頂いて感謝しております。大変お世話になりました。