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堀田力のさわやか対談
ゲスト にのさかクリニック院長 二ノ坂 保喜さん
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(にのさか やすよし) 1950年生まれ。1977年長崎大学医学部卒業。外科、消化器、救急医療を専門としながら地域医療に取り組み、96年に福岡でにのさかクリニックを開業。日本におけるレット・ミー・ディサイド運動の草分けとして活動に取り組む他、在宅ケアや在宅ホスピス(終末期医療)、さらにはバングラデシュヘの海外医療協力など幅広い視野から精力的に医療に取り組んでいる。
無駄な延命治療はいらない、自分の死に方は自分の意思で決めたい――。
そんな願いを持つ人の支えになるのが「レット・ミー・ディサイド=わたしの選択」だ。
「治療の事前指定書」を伴うレット・ミー・ディサイドは、
日本ではまだそれほど知られていないが、関心を時つ層は着実に増えている。
患者主体の医療とはどうあるべきか?
日本で当初からこの運動にかかわってきた医師二ノ坂さんにうかがった。
どこまで自分の意思を貫くか
堀田 ホームページに載っている内容をいろいろ拝見しましたが、とても充実していてすばらしいですね。あれはご自分でつくられたんですか?
二ノ坂 はい。立ち上げの時は半年ほど、根を詰めてつくったんですが、更新があまりできてなくて(苦笑)。
堀田 大変お忙しいでしょうからね。
二ノ坂 いろいろ書きたい気持ちはあるんです。一つの命が消えていく中で、その方々の様子や反省などを本来医者として書き残すのが務めだと思っていますし、だからカルテでもその方の人生がわかるように書きたいと思っているのですが、なかなか。
堀田 心を含めた人生全部を見て治療なさっている、そこまでされる方は私の知る限り少ないですし、ぜひ増えてほしいと願っているのですが、そんな二ノ坂先生がレット・ミー・ディサイドの運動に興味を持たれたいきさつをまずうかがえますか?
●レット・ミー・ディサイド…自分で決める自分の医療。将来命にかかわる病気やけがで意識不明になった時に、その治療方法を具体的に事前に取り決めておく「治療の事前指定書」を交わすこと。かかりつけ医と代理人が署名をする。
二ノ坂 そもそも私は外科が専門で、救急治療などもやっていました。症状が重篤な患者さんが多い分野ですから、今から思えばずいぶんと医療者主導の治療だったなと。その後長崎の病院に移りまして、地域医療、在宅医療というまったく違った世界に携わっていく中でとても考えさせられたんです。ちょうどそうした時期に「ホスピスヘの遠い道」という岡村昭彦さんの本を読んだことが一つのきっかけでしようか。ホスピスという考え方、バイオエシックスの考え方、患者の自己決定、医者の役割、医者と患者の関係などを改めて勉強していきたいと思ったのです。
堀田 それはおいくつの頃ですか?
二ノ坂 30代後半ですね。医師としておよそのことはわかったけれど、では今後どうするのかを考える時期でした。そんな時、レット・ミー・ディサイドの創始者であるカナダのウィリアム・モーロイ博士が来日されて講演をされるという。語を聞いていて、これがバイオエシックスの具体的な、医療における展開だ、ぜひ日本でもやるべきだと共鳴したんです。
堀田 バイオエシックスというのを簡単にご説明いただけますか?
二ノ坂 一言でいえば生命倫理ですが、たとえばクローン、遺伝子生物学など命にかかわる科学技術はどんどん発達していますが、それをコントロールする人間の心の部分がまだまだ立ち遅れている。そこをしっかりさせていこう、患者中心という視点で考えようというものです。
〈事前指定書の具体的な手続き方法〉
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堀田 とにかくまず「人」が中心であるべきだと。それがレット・ミー・ディサイドヘの関心に結び付いてこられた。
二ノ坂 ええ。それでモーロイ博士の講演が反響を呼びまして、翌年また日本で講演会の全国ツアーをやったんです。各地で受け皿をつくり、福岡で実行委員会を立ち上げました。94年のことですが、それがレット・ミー・ディサイドの具体的な日本での始まりですね。
北米では晋及している事前指定書
堀田 事前指定書というのは、欧米では普及しているのですか?
二ノ坂 ヨーロッパはあまりよく知りませんが、アメリカでは事前指定書がかなり普及しているようです。自己決定の徹底した国ですから、ほとんどの州で法律で決まっているようですね。たとえば入院する時に事前指定書を持っているかどうかを病院が確認しなければならない、持っていなければ説明する義務がある、とかですね。ただそれぞれに内容は多少違うようです。
堀田 といいますと?
二ノ坂 アメリカでは主に代理人を指定する事前指定書が多いですね。一方、カナダは治療法を指定する事前指定書が多い。モーロイ博士の形式は、双方の長所を合わせたもので、代理人と治療法を両方指定するものです。私どもが日本で使っている指定書もこれです。ただ、その分手続きが面倒になりますが。
堀田 レッド・ミー・ディサイドは日本ではまだ始まったばかりですが、患者主体、自己決定という医療の本来あるべき姿が反映されている仕組みとして、私も関心をもっている一人です。とにかく日本人は自分で意思決定をする生き方、いい意味での個人主義が苦手ですね。家族もそうした生き方を認めることに慣れていない。福祉はようやく介護保険で方向転換しましたけれども、医療はまだまだ医者任せというか、また医者の側も俺が治療してやる、という態度が残っている。レット・ミー・ディサイドの普及に向けてはまず両者のそうした意識改革が必要ですね。
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 堀田 力
 1934年京都府生まれ。
さわやか福祉財団理事長、弁護士
二ノ坂 おっしゃるとおりです。事前指定書でいえば、代理人2人とかかりつけ医を決めて、その3人の署名が必要ですが、この医師をどうするかが一般の方には最大の関門です。まずその医師に事前指定書を書きたいと説明して、印鑑を押してもらう。また、いざその指定書が必要とされたら、その医師は治療に当たる医師にきちんと伝えなければいけないという責任、手間があるわけです。ですから関心があっても、自分がかかっている医者には言えないと、そこで躊躇してしまう人が多いのです。
堀田 先生のクリニックでは、ご本人から言わない場合はどうしているのですか?敢えて事前指定書があることはお知らせしていない?
二ノ坂 そうですね。実はどうしようか迷っているところなのですが、現在は、あくまで自己決定ということで、自発的に言ってこられる方だけに説明しています。そうした看板も特に出していませんし、パンフレットも置いておりません。私のクリニックでは毎週1時間ほどどなたでも参加していただける健康教室を開いていて、そこで毎回1回講座を行っている程度です。
堀田 それでも関心を持つ人は確実に増えているようですね。これはやはりレット・ミー・ディサイドが社会の方向性に適ったものだという証でしょう。
二ノ坂 そう思います。ですからかかりつけ医が了解してくれるかどうか迷っている方に、私がすすめているのは、とにかくまずだめもとでかかりつけ医に言ってみましょうと。その結果を教えてくださいと。でも頼んでみますと結構受け入れてくれているようですよ。レット・ミー・ディサイドを知らない医者もまだ少なからずいるでしょうが、医者も多少なりとも世の中の流れは肌で感じていますし、患者の側から働きかける、患者から医者を教育するのが一番いいやり方なんです(笑)。
堀田 患者のほうがもっと自立しないといけませんね(笑)。
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二ノ坂 ただ若い患者さんの中には逆に自己決定をわがままと勘違いしている方もいて、それは困ったことです。もちろん医療の側も、コミュニケーション技術、ものの考え方など、もっと鍛えないといけません。でも若い先生はこうしたトレーニングをずいぶん受けるようになりましたからどんどん変わってくるはずです。
よりよい死をどう選択するか?
堀田 実際にレット・ミー・ディサイド、事前指定書に関心を持つ方はどんな特徴をお持ちですか?・まだあまり知られていない中で関心を持ち実践されるわけですから、相当自立した考えの持ち主だとは想像がつきますが。
二ノ坂 まさにそのとおりです。本当に皆さん明確な意思を持って、自分自身の生き死にを真剣に考えていらっしゃる。ですからお話をするときは、こちらも余程真剣に向かい合わないととても太刀打ちできない迫力があります。普通、医者患者関係は、どうしても患者のほうが弱い立場になりがちですね。でも事前指定書を書こうと思う人は、病気はあっても医者に負い目など感じません。私は本来これが医者と患者の基本的な関係だろうと思うのです。
堀田 お医者さんからそうおっしゃっていただくと非常に心強いですね。たとえば男性、女性はどちらが多いですか?
二ノ坂 正確に数えてはおりませんが、女性のほうが多いですね。
堀田 やはり男性のほうがまだ甘い?
二ノ坂 甘えてると思います。特に現役世代は仕事に目を移して、敢えてこうした問題を見ないという傾向がありますから。ですから夫婦間でも、もっとオープンに生き死にの問題を話してほしいですね。レット・ミー・ディサイドの相談に来られた方で、結局書かなかった方でも、私と相談する、あるいはご家族と相談していく中で、自分の気持ちを見つめ、相手を理解し、共に成長し合うということがあります。こうしたプロセスそのものが実は一番大切なものだと私は思っています。
堀田 同感です。確かに、家族って結構話さないですよね。わかっているようで、本当の最後の気持ちがわかっていない。わかっていないということも気がついていない、というような。
二ノ坂 面白い例で、中年の女性が3人来たんです。それぞれに代理人になって書きたいと。ご主人にはどう話してるのですかと尋ねたら、主人はわかってくれないからだめ、初めから話してないと(笑)。
堀田 想像がつきますよ(笑)。平素からたぶん、奥様の気持ちが全然わからないと思われているご主人だったのでしょう。
二ノ坂 ただ、家族がいれば真っ先に連絡がいって、それから代理人にいきます。ですから代理人にしなくてもいいから取りあえずご主人には話してくださいと言ってお帰りいただいたんです。ところが話してみたら、ご主人が非常によく理解して代理人になってくれた。
堀田 事前指定書のお陰で話し合うきっかけができたわけですね。逆に家族が反対したとか、本人の意思と乖離した例はありますか?
二ノ坂 私が携わったケースではありません。事前指定書を書くという作業がなければずれがあったのだろうと思う家族もいらっしゃいますが、書く段階でお互いの気持ちをすり合わせていかれますから。
堀田 レツト・ミー・ディサイドに基づいて亡くなられた場合、ご家族も皆さん満足されていらっしゃる?
二ノ坂 そうですね。ただこんなケースがありました。肺気腫の方が急に呼吸不全になって亡くなられたんですが、事前指定書のことはすごく奥さんも娘さんも理解して希望を叶えてあげたいと思っていたけれども、逆にどんどん病状が悪化していく中で、いつ私のところに連絡すればいいのかわからず、思い通りにしてあげられなかった、そこにすごく悔いが残っていると。急に病状が悪化した場合は確かに難しいなあと改めて感じました。
堀田 なるほど。たとえば逆に、少しずつ身体が悪くなっていく場合はどうでしょうか? 果たして健全な時の判断と、死期が迫ってきてからの思いとで矛盾が出ないのかという疑問があるのですが。
二ノ坂 おっしゃるとおり、患者さんにしても家族にしてもお気持ちは揺れるものです。ただ事前指定書はあくまでご本人が意識不明になった場合のものですから、意識があるときは、その時のご本人の意識を優先するのが前提です。ですから事前指定書の内容も繰り返し繰り返し確認はしています。
堀田 それはとても大切なことですね。私の父の死を見ていても、最後に非常に不安が襲ってきて、生に対する執着が気持ちの面では出てくる。ただ体は弱っていますから、さまざまに心が揺らぐわけです。不安というのはむしろ怒り以上に強い要素です。理性的な判断、平素のその人の判断カを根本から変えてしまうような大きな支配カを持っている感情です。そんな状態になったらやっぱりもっと治療してほしいと望む気持ちが出ても不思議ではありません。
二ノ坂 そうですね。そこで医者の役割が試されることにもなるのでしょう。私は少なくとも人格を変えさせるほどの苦痛は取ってあげることが医者の大切な役割だと思っています。もう一つはもっと精神的なもの、今後の病状に対する準備教育、それを本人にも家族にも少しずつ理解してもらえるよう説明する、これも医者として大切なことだと考えています。
患者も主体的に医療にかかわる意識を
堀田 生命の問題でこんな質問をするのは嫌なのですが、敢えてうかがいますと、医療の財政負担、特に高齢者の終末期医療費が格段に高額であることが問題になっています。もちろん全部必要で納得できる医療ならいいのですが、本人の尊厳を考えても問題のある治療方法が横行している。その点でレット・ミー・ディサイドのような活動が法制化されてずっと広がれば、財政面でもかなり効果が上がると思われますか?
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二ノ坂 確かに、年配の方の中には、そうした無駄な治療で個人的にも国家にも負担を掛けたくないとはっきり理由に書く人もいらっしゃいますし、無駄な治療があまりに多いのは確かですから、多少の効果はあると思います。ただ実際には、仮に法制化されたとしても、今の日本で医療費の相当部分を左右するほどに書く人が増えるとは思いません。たとえばインフォームドコンセントでもそうですが、数年前に入院治療計画書というのができて、1枚2000円か3000円の保険の点数が付くようになりました。病気の種類や治療方法、期間、退院後の療養方法などを説明するものなのですが、そうすると、もうどこの病院でもやっています。でもこれで患者の意識が高まり、医者がきちんと患者とコミュニケーションが取れるようになったかというと、何も変わっていません。ただありがたい親切な病院だと恩恵のように考えられていますから。何にしても患者である自分たちが権利として獲得したものと捉えていく意識がないと広がるのは難しいと思っています。
堀田 インフォームドコンセント、セカンドオピニオン、レット・ミー・ディサイド、すべてにおいてそうですね。患者の側も遠慮せずしっかりと自分の意思を伝え、もちろんお医者さんも専門的な立場から対等に話をしていただく。そうした形ができてくればいいのですが。
二ノ坂 (うなずきながら)ただレット・ミー・ディサイドについて、無理矢理普及させる必要はないと思っています。というのは逆に心配するのは、何となく高齢者がお荷物だみたいに言われる雰囲気がありますが、そこから強いられた自己決定、無意識の圧カで指示書を書かされるというようなことは絶対にないように。政府が医療費抑制策の一つとして誘導していくようなことには危険を感じます。
堀田 それは本当に本末転倒ですね。政府が一番大切にすべきは、それぞれの個人が一番最後まで幸せに生きられるようにすることで、それに反することをされては困りますし、私もまったく同感です。
二ノ坂 自分らしい死に方、という点では日本でもある程度知られている「尊厳死の宣言書」があります。私たちはこれを第一世代と言っていますが、ただこれは形が決まっていて延命を担否しますというだけのもの。医者の立場でいえば医療に当てはめたとき、どこからが延命なのか判断が非常に難しいのです。それが第二世代、西村文夫先生がやっていらっしゃる「終末期宣言書」になりますと、自分で書く部分がずいぶん増えてきます。そしてレット・ミー・ディサイドになると、代理人を指定する、治療法も細かく医学用語で指定できると非常に具体的になったということで、第三世代と呼んでいます。レット・ミー・ディサィドはその形式だけに意味があるのではなくて、この普及活動によって患者と医者という関係、医療の在り方を皆で考えていくきっかけになればいいと願っています。
堀田 人の尊厳というのは何かといえば、結局本人の意思がいかに貫かれるかということだと私は思います。それまでの自己の生き方、そして人とのかかわり方そのものが最後の死のあり方にも大きく影響するということが改めてよくわかりました。今日はどうもありがとうございました。
レット・ミー・ディサィドに関するお問合せ先
 
 現在、全国21都道府県の医療機関が問い合わせ先として公表されている。
 関心を持っている人は、まずはレット・ミー・ディサイド研究会本部(社会医療研究所内)へ→TEL03(3914)5565
 
レット・ミー・ディサイドで使用している「事前指定書」。4枚つづりになっており、最後の4枚目には自分の言葉で個人的要望も記入できる。
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