堀田力のさわやか対談 (てい談)
新しい世紀を拓く社会貢献教育
第7回スクールボランティアサミットから
ゲスト
文部科学省大臣官房審議官
生涯学習政策担当 寺脇 研さん
(てらわき けん)
1975年文部省入省。92年初等中等教育局職業教育課長。93年12月広島県教育委員会教育長。96年4月文部省高等教育局医学教育課長。97年7月生涯学習局生涯学習振興課長。99年4月大臣官房政策課長。2001年1月大臣官房審議官生涯学習政策担当。著書に「21世紀の学校はこうなる」(新潮文庫)他多数。
教育評論家 尾木 直樹さん
(おぎ なおき)
臨床教育研究所「虹」所長。現在、早稲田大学大学院文学研究科講師。中学・高校教師、東京大学講師として22年間創造的な教育実践を展開。全国への講演活動、コメンテーター、新聞等への執筆などで活躍中。また、子どもと教育やメディア問題の実践的調査・研究活動、子育てセミナー開催、教育相談等にも取り組んでいる。著書に「子どもの危機をどう見るか」(岩波新書)他多数。
来年4月から小中学校で「総合的な学習の時間」が本格的に始動する。知識教育偏重を戒め、創造性や独創性、そして人を思いやれる温かい心も育める教育を目指そうというものだが、一方では子どもを抱える親や教育界からも「学力低下」を助長するという反発が少なくない。人が生きるとはどういうことなのか、そのために我々大人は子どもたちにどんな教育の場を与えるべきなのか? 今夏に行った「スクールボランティアサミット」のてい談をご紹介しながら、改めて考えてみたい。
(本稿は、2001年8月22日に行われたシンポジウム「第7回スクールボランティアサミット」の内容を編集したものです)
社会貢献教育は時代の要請
堀田 今日は「新しい世紀を拓く社会貢献教育」をテーマにそれぞれのお立場からぜひいろいろとおうかがいしたいと思います。まず社会貢献教育の目的ですね。児童・生徒に何を学ばせて、彼らをどんな人間に育てようとするのか?
寺脇 私が最近肌身離さず持ち歩いているものに「親の願いデータ」というものがあるんです。私立幼稚園にお子さんを通わせている2万5670人の親御さんの意識調査なんですが、その中に「どんな子どもになってほしいか」という問いがあって、6項目の選択肢から3つを選ぶ。一番多かった答えが「友達が多くて、人にやさしくできる人間になってほしい」で86・6%、2番目が「社会に役立てる人間。個人主義ではなく社会に適応して生きていける人間になってほしい」で66・2%。この2つが断トツのベスト2なんですね。
堀田 そうなんですか。「人より勉強ができるようになってほしい」なんていう声はあまりなかったですか?
寺脇 たった3・8%です。もちろん子どもがまだ幼稚園児だからというのもあるでしょうが、でもこれが親の本心だと思うんです。もちろん勉強も必要だけど、あくまでその目的は人を思いやり、社会の中で役割を果たせるように。今回の学校教育法や社会教育法の改正も、そんな観点から社会奉仕体験活動や自然体験活動を促進して生きる力を育める環境を整備して、もっとやりやすくしていこうというもので、決して行政からの押し付けということではないんですね。
尾木 やはり社会貢献教育は時代の要請でしょう。私は中学と高校で22年間教師をやっていました。今でいう社会体験学習は80年代からやっていまして、全国の公立中学では最も早い部類じゃないですか。それこそ偏差値を一つでも上げていい高校、いい大学、そして大会社に入れば幸せになれる、そんな社会のフレームができている時代。でも幸か不幸かそうした拠り所が見事に崩壊してしまったわけです。
堀田 大企業がつぶれ、お役所のエリートと言われる人が転落し、この先社会はどうなるのか、何のために勉強するのかがわからなくなってしまった。
尾木 「ソフィーの世界」のような哲学の書を若い子たちが我も我もと読んでベストセラーになる時代なんです。阪神大震災の時も120万人のボランティアの半分は若者だったといわれています。「人間って何だろう」「自分はどうなっていくんだろう」と圧倒的多数の子が思うようになって、20年、30年前とは比較にならないような社会環境の中で、ボランティア活動とか直接的な社会体験が必要な時代、学佼もそのお手伝いが求められる状況になってきたのだと思います。
堀田 人の人格は育った時代の中で形成されるものです。戦前戦後はそれこそ組織主義、管理主義ですから、その時代の人はどうしても押し付け型の発想になりがち。では今の世代のキーワードは何なのかといえば「自立と共生」なんですね。利己主義でない個人主義。若い人だけじゃなく中高年の中でも「モノだけじゃ幸せになれない。自分の思いを生かして社会の中でみんなで助け合って輝きたい」、そんな考え方が90年代に入って出てきて、まさにこれから主流になってくる時代なのでしょう。