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堀田 力のさわやか対談
“夢はチャイルドホスピスの建設“
がんと闘い抜いた幼い子が私たちに教えてくれたこと
ゲスト 森下 純子さん
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森下 純子(もりした じゅんこ)
1959年、東京都生まれ。日本赤十字社水上安全法指導員と救急法救急員の資格を取得、スイミングコーチを経て79年にビルメンテナンス会社を設立、プール管理の仕事に携わる。昨年、自著「ママでなくてよかったよ」(比良出版)に、がんと闘う6歳の息子との二人三脚の日々を綴り、多方面から反響を呼んだ。現在、内外装他多方面でデザイナーとして活躍中。小田原在住。
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「ママでなくてよかったよ」幼い我が子へのがん告知
森下純子さんの一粒種・重信君は、1993年、小学校に入学したばかりの6歳の秋、突然、悪性のがんに冒された。判明した時に医師から宣告された生存率は5〜10%という中で、森下さんは我が子にがんであることを告げる選択をした。それからおよそ1年4か月、病魔に真正面から闘った幼い重信君は大好きなお母さんに添い寝をしてもらったぬくもりの中で静かに息を引き取った。
 
堀田 「ママでなくてよかったよ」を読ませていただいて、正直なところ、ショックというか大変な驚きでした。6、7歳の幼い子がこんなにつらい中でもしっかり自分を見つめて、人のことも思いやれるのかと。
森下 我が子ながらすごいですよね。もちろん子どもですから甘えたり我がままも言いました。でも自分のほうがずっとつらいはずなのに、私のことをいつも労ってくれたんです。
堀田 私は本を読むのは割合速いほうなんです。でも、列車の中でこの本を読んでいると涙がぼろぼろこぼれてきて、周りの人に怪訝な顔をされてしまって、ずいぶんと時間がかかりました。
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病院でも人気者だった重信くん (森下純子さん撮影)
 
堀田 幼いながらに自分ががんであることをしっかり受け止めて、でも頑張って生きていくんだと、すごい痛みに何度も何度も耐えて、病気に挑戦していく。もっと大きな子を持つ親ですら、そんな力が子どもに備わっているなど思いもしないんじゃないでしょうか。
森下 そうかもしれません。シゲヘの告知についてはいろいろと批判を受けました。特にお子さんを持っている人は必ず、“6歳の子に自分の死など真に理解できるわけがないじゃないか“と言いましたね。
堀田 訳もわからないつらい治療に、シゲ君が、“もう我慢できない、ぼくの病気は何なの?“と聞いてきた時に、がんなんだよ、このままじゃ死んじゃうんだよ、と教えられた。
森下 ええ。私も先生から言われた時はそれこそ気が動転して、涙が止まりませんでした。でも必死な表情でシゲに尋ねられた時、ごまかすことはできなかったんですね。ですから告知は考え抜いた結果というよりもその瞬間の判断なんです。
●「ママでなくてよかったよ」小児ガンで逝った八歳―498日間の闘い
(比良出版発行 本体定価1900円)
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堀田 私は告知のところを読んで、本当にすばらしい親子の関係だと思いました。真正面から向き合う、そこまでの信頼関係ができている。
森下 あんなに幼い子に本当によかったのかどうか、言った後でも悩みました。でもシゲと私にとっては正解だったんだと今は心から思っています。彼の目がね、全然違うんですよ。
堀田 シゲ君の?
森下 ええ。私は趣味で写真を撮るのが好きで、あいつが入院して骨になるまでのスナップが山のようにあるんですが、告知前と後では、彼の表情が全然違っていたんです。闘うんだという意識が強く出ていて、どんどん大人びてきて。
堀田“せめて15年は生きたい、絶対頑張るんだ“と。
森下 (うなずきながら)2回めの告知の時ですね。最初の時は治療に耐えて病気を治してもらいたいため。でもその2度目の時は、もう望みがないとわかってしまった。治療を止めれば1、2か月の命、苦しい治療を続けて、それでも、シゲ、半年だよ、どうする?と。それを本人に選択させたわけです。非情な親ですね、私も。
堀田 いやいや。
森下 そこで、彼が言ったのが、どんなことしてでも15くらいまでは生き抜いてみせるという言葉なんですね。私、そんな言葉、教えたことないんですよ。ドラマ見過ぎよって言いたいくらい。
堀田 それはつまりすごい痛みを伴う注射や嘔吐、手術も我慢し続けなくちゃいけない。全部承知した上での言葉で、生半可な気持ちじゃ言えない。ものすごい精神力ですよ。








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