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事例7:難民への精神的サポートのケース
 Jさんは中東地域の出身であり、そこは20年以上も内戦が続いていたが、現在はそれも終結し、新しい国作りを進めている。しかし、彼が来日した当時は内戦が激化し、数百万人の人たちが難民として国外に脱出していた。
 Jさんは彼が属する民族が同国にいる他民族を惨殺する暴力でその支配勢力を拡大することに反対し、民主化運動に参加した。その結果、彼は逮捕され6カ月間収監された。再逮捕されそうになった時、彼は命の危険を感じて国外に逃げた。しばらくK国に滞在した後日本に上陸した。そして難民認定の申請をした。
 Jさんが来日して2ヵ月後、ISSJはUNHCRより彼がうつ状態になっていることで彼への精神的サポートの依頼を受けた。担当ワーカーは彼との面接を通じて、彼が抱えている問題を把握し、明確化する中で、ISSJとして出来る支援を検討した。彼は自国を脱出する時「隣国に逃げるように」と言い置いてきた家族の行方のこと、彼自身が激しい偏頭痛に悩まされていること、自国で追われていた時の恐怖のフラッシュバック、日本に来ても追跡されているのではないかという不安感や難民認定申請の結果を待つ焦燥感などが重なり、彼は常にいらいらして怒りの塊のように見えた。そこで、ワーカーは彼に外国人を診ている専門医を紹介した。彼は通院治療を続け、今ではその症状はだいぶ和らいできている。
 Jさんは難民として認定された。しかし、このことは来日している同国人には秘密である。彼が定住者としての滞在資格を得ているだろうということは何となく知られてはいるが、彼はまだ追われているという不安感を拭うことは出来ないでいる。彼は日本での滞在は安定したが、経済的に自立することは困難であった。ワーカーは彼に生活保護の受給がなされるように手続きの援助をした。次に、彼は家族の行方を捜す準備を進め、難民としてヨーロッパに滞在している叔父さんの協力を得て、隣国に逃げていた家族を見つけ出すことが出来た。ワーカーは緊張し不安定になりがちな彼の心を支えながら、渡航や再入国の手続きの援助をした。
 その後、Jさんは叔父さんの助力もあり、友人と共同で貿易の有限会社を設立した。やっと経済的に自立出来るようになった。現在、ワーカーは彼の家族の呼び寄せの支援中である。彼の表情に笑顔が見られるようになった。
(Jさんについての掲載は彼の許可を得ている。年月日の記載はあえて明記していない。)
カンボジアでの活動
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プテア・ニョニョム外観
 
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村をまわり栄養・衛生教育を行う青空教室








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