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I 相談事業
国際的児童問題
1.国際養子縁組
 ISSJは、今年度も日本自転車振興会(KEIRIN)の補助金を受けて、養育者のいない子ども達が国際養子縁組によって新しい家庭の中で保護され、養育されるように国際的児童家庭相談事業を行った。ISSJの国際養子縁組事業は、発足当初から今日まで継続している重要な児童福祉の援助事業である。
 1959年、国連は「児童権利宣言」を採択し、親の愛情、愛護、責任のもとで成長する子どもの権利を明らかにした。その20年後の1979年を国連は「国際児童年」と定め、それから10年間の準備を経て、1989年国連は「児童の権利に関する条約」(以下:子どもの権利条約)を採択した。我が国は1994年にこれを批准しているが、「子どもの権利条約」は前文に家庭環境の下で幸福、愛情および理解のある環境で成長する権利を明確に示している。
 欧米の国では、入所施設で生活する子ども達に対して、まず、第一に実親を支援して家庭に戻すことを最優先と考えて実践を進め、結果として脱施設化という現象が生じてきた。現在は児童福祉の中心的理念として乳幼児期、特に乳児期における特定の人との愛着関係の重要性の再確認と、パーマネンシープランニングが挙げられる。これは綿密なプランニングによって恒久的な特定の人によって育てられるということであり、実親の養育を受けられない子どもの養護として養子縁組や里親委託を計画し、なるべく早く新しい家庭環境の中で愛情のある親子関係を樹立することである。
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新しい家庭の中で成長
 日本は、保護を必要とする子どもに対しては、入所施設での保護の方が養子縁組や里親委託による家庭養護よりも大きい比率を示している。そのような中でISSJは一貫して「児童権利宣言」、「子どもの権利条約」に明示されている「子どもの家庭で成長する権利」を実現するために、実親による養育が困難な場合には、乳幼児期から成年に達するまで、恒久的な養育を受けられるよう養育家庭を求めてきた。養子縁組は子どものニーズを満たしてくれる代替家庭を探し、愛情に満ちた新しい親子関係を作るのが第一の目的である。この目的に沿って、子どもの養育を願う夫婦と親の愛情を必要とする乳幼児が新しい親子関係を結び、安住の場が与えられることで、双方にとって至福の場となり、子どもの最善の利益となるように養子縁組に取り組んでいる。
 国際養子縁組に関わるワーカーは、1993年制定の「国際養子縁組に関する子どもの保護及び協力に関するハーグ条約」や1997年に国際社会福祉協議会が完成した「家族の中で成長する子どもの権利-国内養子縁組、国際養子縁組ならびに里親養育に関するガイドライン」の理念を常に念頭に入れて援助を行っていかなければならない。すなわち、子どもは第一次的には出身国の出身家庭の保護のもとに留まることができるように努力することである。
 ISSJは、安易に国際養子縁組をすることがないように、出来る限り実親が子どもを育てるためにカウンセリングを含め相談援助を行っている。実親の養育が不可能な場合には、まず日本国内で養親を求めるために児童相談所などの関係機関と連携をとり、その次に国際養子縁組を考える。養親家庭を選ぶ際は子どもの人種的、民族的背景、障害など、そのニーズや実親のバックグラウンドなども考慮に入れ、子どもにとって最善の利益となる家庭を選ぶことが原則である。養子縁組には専門ワーカーによる細心の配慮が必要であるが、二国間あるいは三国間での国際養子縁組では、さらにワーカーの専門性が必要とされるところである。
 すべての国際養子縁組は、関係する国の養子縁組法または国際養子縁組法、あるいは家族法に則して行われなければならない。そのためにISSJでは常に各国の関係する法律を研究している。このような研究、実践の経験に裏付けされた援助方法や法的な資料は、家庭裁判所、児童相談所、民間機関などへも貢献しえるものと考えている。
 また、日本においてはまだ国際養子縁組法も制定されておらず、1993年制定の「ハーグ条約」に関しても批准していない中で、来日する外国人の増加に伴う国際結婚の増加、日系外国籍の人々の増加、また日本に入国する外国人の子どもの増加による様々な形態の国際養子縁組が増加している。そして必ずしも適切とは言われないような経過のもとでの国際養子縁組の行われる危険性を否定できない現実もある。そのような中でISSJは子どもの最善の利益のために国際養子縁組を着実に実践し続けていることは意味深いものである。国際養子縁組の視点から保護を必要としている子どもが増加している現在、早急なる日本の国際養子縁組法の制定およびハーグ条約の批准が望まれるところである。
 
分類と解釈
 ISSJで現在扱っている国際養子縁組を子どもの出身国別に分類すると以下のようになる。
 
A 日本国内に住む子どもを養親のいる外国に養子縁組目的で移住させ、その国で法的養子縁組を完了する。
B 日本国内に住む子ども(日本人、外国人)を、子どもと国籍の異なる国内在住の夫婦に委託し、日本の家庭裁判所で養子縁組を完了する。
[1]子どもと養親は他人
[2]子どもと養親は親族(連れ子、親戚など)
C 外国に住む子どもが、外国の養子縁組機関の許可を取って日本に移動し、日本の家庭裁判所で養子縁組を完了する。
[1]子どもと養親は他人
[2]子どもと養親は親族(親戚など)
 
 Aに属する養子縁組は最近減少しているが、B、Cに属する養子縁組は増加の傾向にあり、日本はすでに子どもを国際養子縁組で送り出す国ではなく、受け入れる国に変わったということができる。
 今年度、ISSJへの養子縁組の問い合わせ件数は827ケースであった。その中で85ケースを継続して援助することになった。昨年度より引き続き扱っているケースを合わせると、今年度国際養子縁組のケースとして援助活動を行ったのは302ケースで、その内訳は次の表のとおりである。
 
  フィリピン タイ その他 合計
連れ子養子縁組(Step) 129 21 1 151
血縁関係のある養子縁組(Relative) 59 11 2 72
血縁関係のない養子縁組(Non-Relative) 7 14 58 79
合計 195 46 61 302
 
 国際養子縁組で関係した養子の国籍は、フィリピン、タイが約80%と圧倒的に多く、その他には日本、中国、韓国、カザフスタン、インドネシア、無国籍の子どももいた。養親に関しては日本人とフィリピン人のカップル、日本人とタイ人のカップルが圧倒的多かったが、その他にもアメリカ、イギリス、イラン、オーストラリア、カナダ、韓国、スウェーデン、パナマ、バングラディシュ、ブラジル、フランス、ベトナムと様々な国籍の養親のケースを扱った。これはISSJがフィリピン政府の国際養子縁組委員会(Intercountry Adoption Board:以下ICAB)から認可された日本で唯一の養子縁組機関であること、またタイ政府の公共福祉省(The Department of Public Welfare:以下DPW)とも年に3・4回話し合いの時を持ち、密接な関係を築いていることから、その結果として、フィリピン国籍児とタイ国籍児の養子縁組が増加してきた。
 今年度は、日本人-フィリピン人夫婦のためのオリエンテーションは6回で36組の夫婦が参加、日本人-タイ人夫婦のためのオリエンテーションは5回で14組の夫婦が参加している。いずれも昨年度より増加しているが、特に日本人-タイ人夫婦に増加の傾向が見られる。これ以外にも英語によるオリエンテーションを個別に行っている。
 今年度、養子縁組手続きが完了(裁判所で養子縁組の審判が出された後、本国の子どもの出生証明書の父母の欄に新しい養父母の名前が記載されて実子となる)したのは13件であるが手続きの開始は1994年から1998年の間であり、養子縁組の準備から手続きが完了するまでにはかなりの期間が必要である。この間、ISSJのワーカーは忍耐と熱意を持って養親希望者をサポートし続けている。ISSJでは養子縁組成立後、少なくとも一年間のアフターケアの期間を取ってある。しかし親子関係に対するサポートはそれ以後も必要な場合もあり、さらに長期間にわたる支援も行っている。
 ISSJでは養子縁組完了後の家族がどのような状況にあるかを把握するために今年度、1996年以降に手続きの完了した養父母と子どもに対して7月に郵送によるアンケート調査を行った。フィリピン関係家族34件、タイ関係家族4件に対して質問表を送り、フィリピン関係13件、タイ関係3件の回答を得た。フィリピン関係家族には英語、タガログ語、日本語の質問を用意した。回収率は高くないがその内容を慎重に分析するならば、今後の有効なアフターケアの方法を考えることが出来ると思われる。アフターケアのひとつとして、何か困難な事態が生じた場合にISSJの支援を思い起こしてもらうように、過去3年間にISSJが養子縁組を援助した62家族にクリスマスカードを送ったのも今年度の新しい試みであった。
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定期的に行っている養子縁組オリエンテーション
事例1:タイのエイズ施設の子どもの養子縁組 Non-Relative Adoption
 2000年11月、タイのチェンマイに日本人女性が初めてエイズの子どものための施設を開設し、多くの日本人が現地で支援している。A夫人は夫の勧めもあって、ボランティアとして現地へ行き、帰国後も日本でのサポート活動を続けた。B(5才、タイ国籍の男児)は、実親がエイズ感染し父親が死亡した後、母親がこの施設を頼って来て、子どもを置いて去っていった。幸いにもBは、エイズ検査でマイナスの結果であった。感染していない子どもはその施設には留まることが出来ず他の施設に移動し、その後養子縁組をして海外へ出ることもあった。Bのことを知ったA夫人は、夫とも話し合い自分達が育てる決意をした。しかし、どのようにして養子縁組が出来るか全く分からず、必死になって情報を収集した結果ISSJにたどり着いた。
 A夫妻は結婚して10年、幾度かの妊娠後に生まれた、生きていればちょうどBぐらいの年令になる子どもを3日目に亡くしていた。その後も妊娠したが6カ月目に流産し、実子を持つことをあきらめていた。ISSJのソーシャルワーカーはすでに5才のBの養子縁組手続きを始める時、日本には6才までに手続きを終えないと入国できないとの入管法があるため、このケースはきわめて難しいことを夫妻に伝えてスタートした。
 夫妻でISSJのオリエンテーションを受けて子どもを迎える準備を開始した。A夫人はタイの施設やISSJと連絡をとりながら書類を用意し、ISSJから家庭調査書と必要書類をタイのDPWに送付することが出来た。夫妻は何回もタイへ行きBの誕生日を一緒に過ごしたり、DPWの養親候補者として面接を受けた。その後Bは90日の「短期滞在」のビザを日本政府から得てA夫人と来日した。Bは、この日からA夫妻の家で彼らの子どもとして日本での生活を開始し、養親の親戚や友だちの家族との交流、保育園生活が始まった。親の愛情を知らなかったBは今までの分を取り戻すかのように、思いっきり甘えながら日本の生活に馴染んだ。
 ISSJは、6カ月以上にわたる適応状況を4回DPWに報告した後、タイ政府からISSJに「養子縁組承諾書」が届き、夫妻は東京のタイ大使館にて、養子縁組の登録を済ませた。彼らは、Bのためにマンションから土に親しめる庭のある家に引越し、Bは4月から学校に通う。手続きは、夫婦の戸籍にBが登録された後に在留資格を変更し、安定した子どもの法的地位および生活権の確保へと進む。A家族は今後もチェンマイの施設を援助するので、将来にわたりBは日本とタイの架け橋となるだろう。
 
事例2:アメリカ人夫とフィリピン人妻の姪の養子縁組 Relative Adoption
 このケースは在日アメリカ人夫とフィリピン人妻のC夫妻が妻の姪2人を養子縁組したケースで、ISSJの国際養子縁組の中ではRelative Adoptionにあたる。
 夫はアメリカ空軍に勤務しており、二人は夫がフィリピンを訪れた際に知り合い結婚した。その後、夫が日本へ転勤となり夫妻は3年前に来日した。C夫妻には実子が一人いる。
 妻のフィリピンにいる妹は同棲している男性との間に二人の娘がいた。男性は子どもが生まれる前から仕事もなく、昼間から飲酒をする生活を続けており、C夫人の妹も同じように飲酒をするようになった。だんだんと二人はアルコールに依存する度合いが高まり、二人の娘の面倒もあまり見ず、放置するようになった。そのような状況を知っていたC夫妻は金銭的に姪たちを援助していたが、そのお金が妹とその相手の飲酒代に消えていると知り、二人の姪を引き取ることを真剣に考えるようになった。その頃、酒に酔った実夫が娘の一人に暴力を振るい怪我をさせるという事件がおき、フィリピンの社会福祉開発省(Department of Social Welfare and Development:以下DSWD)のソーシャルワーカーが介入することとなった。カウンセリングを行ったが、子ども達の親は今後も責任を持って子ども達を育てる気持ちがなく、できたら子ども達をC夫妻に引き取ってほしいと思っていることが分かった。子ども達の親権者である、母親(C夫人の妹)は、任意供述書(Deed of Voluntary Commitment=DVC)に署名をし、子ども達の親権は一時的にDSWDへ移った。その頃、C夫妻は正式に姪たちを養子縁組する手続きを始めるため、DSWDに薦められてISSJへ連絡を取ってきた。ISSJではC夫妻の家庭調査を進め、養親としてふさわしいと判断し、C夫妻のICABへの申請の援助を行った。ICABでの審査の結果C夫妻は養親候補者として認められ、姪たちの託置を許可する書類(Placement Authority)が発行された。今度は姪たちを日本へ呼ぶために、在フィリピン日本大使館で入国の手続きを行ったが、その際もISSJは状況を説明したレポートと入国をお願いする手紙を用意し、C夫妻をサポートした。姪たちが来日後は、6ヵ月間に3回適応調査を行ったが、適応は順調で、C夫妻との実子とも仲良くやっていた。適応調査をICABへ送り、最終的に養子縁組が許可された。その後、C夫妻の居住地の家庭裁判所に養子縁組の申し立てを行い、審判がおりた。このように、子どもの最善の利益と福祉のために、国を越えた養子縁組は行われている。
 
事例3:フィリピン人妻の連れ子の養子縁組 Step Adoption
 夫が日本国籍、妻がフィリピン国籍であるD夫妻は、妻の連れ子であるEちゃんを養子縁組したいという希望があり、その旨をフィリピン大使館へ相談したところISSJを紹介された。夫妻はISSJのフィリピン人のための養子縁組オリエンテーションに参加し、手続きのプロセスを理解した上で申請をするに至った。
 日本人の夫は彼の妻に子どもがいることをはじめは知らず、二人が結婚した後で妻から知らされた。当初、夫は驚き戸惑い、この現実を受け入れることが出来なかったが、実際に連れ子であるEちゃんに会い、「パパ」となついてくるEちゃんを前にし養子縁組を決意したという。
 家庭調査の段階で夫は彼の妻が日本の生活に馴染めないことやそのことが夫婦関係に影を落としていることなどを認識し、ソーシャルワーカーに積極的に相談した。そこでフィリピン人の妻と数度にわたりカウンセリングを行い、妻の過去にあった過酷な経験や複雑な家庭環境が彼女自身の適応を一層難しくしている原因の一つであることが推察できた。このことは妻の同意を得て夫にも伝えられ、夫は彼自身も知らなかった妻の過去の状況を理解し、出来るだけのサポートを約束した。同時に妻もこのことをきっかけに自身の考え方の癖などを認識し、直したいと考えるようになった。
 養子縁組の手続きも進み、現在は子どもを通してコミュニティでの付き合いを広げ、家族や親戚とのコミュニケーションなど自分から持つように努力しており、夫の励ましも受けながら徐々に関係改善に向かっている。このように夫婦関係に問題がある場合、家庭調査は今まで気が付かなかった問題を意識化し、解決に向かって話し合う機会になる場合は多い。また誰でも自分にとって都合の良くないことなどは隠しておきたい、養子縁組のために表面的につくろおうとしたりすることは当然であり、上述の例のように積極的に家族の問題についてオープンに語ってくれるようソーシャルワーカーはクライアントと信頼関係を築くことも重要である。
 ソーシャルワーカー自身も家庭調査でクライエントと話し合われる些細な会話の一つひとつに集中し、無意識的に口に出される問題の一端やその人の考える真のアイデアなどを敏感に感じとり、話し合い、結果的にはより建設的な養子縁組の関係を築いてもらえるように努めている。








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