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訪問看護ステーション千代田から[30]
家族に見守られて
訪問看護婦 池田洋子
 
 前回の4月号で中井ステーションの吉村所長が,在宅ホスピスケアの体制について話をされていました。体制だけでなく質的な面でも,常に客観的な目をもち,検討が必要であることはステーション千代田も同様です。そしてご本人やご家族の気持ちを大切にしたケアを提供したいと,毎日の訪問にあたっています。今回は先日担当した在宅ホスピスケアのケースをご紹介したいと思います。
 Mさんは脳梗塞の後遺症で,主に車椅子による生活で,奥様の介護によって在宅療養をされていました。奥様は介護に熱心であるばかりでなく,忙しい介護の合間をぬってご自分の趣味である書道の練習も欠かさない方です。書道展で金賞を受賞された腕前です。Mさんもユーモアのある方で,お二人の会話は微笑ましく,上手に二人三脚で在宅療養をされているご夫婦でした。私はお二人にお会いすることを楽しみながら,訪問に伺っていました。
 訪問を開始してまもなく介護の状況も整い,生活ペースができてきました。そして大きな病状変化もなく,訪問開始後1年半が過ぎようとしていました。この頃Mさんの体調に変化が起きました。転倒して骨折をしたのです。骨折は手術を受け順調に回復しましたが,その入院を境にして,徐々に食欲が低下していきました。食事の工夫をすると一時は回復しましたが,再び食欲が低下していきます。そのうち飲み込むことも困難になってきました。そんな中,病院へ入院したところ,食道癌と診断され,医師からは手術は不可能で予後は3カ月くらいと説明されたのです。
 奥様はたいへんなショックを受けましたが,予後のことを考慮され,Mさんの「家に帰りたい」という希望をかなえるために,再び在宅療養を選択しました。この在宅療養を決心されるまでには,かなり迷っておられました。
 奥様は医師の診断を受けた時点では,まだ予後のことが自分では理解できず,たった一人で再び病状と今後のことについて医師に説明を求めました。医師は奥様の強い意志を知って,はっきりと病気と予後の説明をもう一度しました。それを聞いて奥様は「それなら時間がない。本人の望むとおりに早く家に連れて帰ろう」と決心されたのでした。
 退院直後,Mさんは自宅の天井を見ながら「やっと家に帰ってきた」と満足そうにおっしゃいました。それを聞いて奥様も「本当に連れて帰ってきてよかった。本人がこんなに喜んでいるのだから」と長女の方と一緒に喜んでおられました。それまでのかかりつけの主治医も在宅ホスピスに前向きな方で,そのまま継続して診てくださることになりました。それからの奥様は今まで以上に熱心に看護にあたっておられました。遠くにお住まいの長女の方も,できる限りお母様を助け看護されました。私たちも毎日訪問に伺いました。残念ながらMさんの病状は少しずつ進行していきました。お二人とも在宅での看取りを覚悟され「最後のときも自分たちで行いたいので方法を教えてください」と希望されました。
 週末を迎えたある日「週末は私たち家族でみます。みられると思います。もし無理なときは看護婦さんを呼びます」とご家族からの申し出を受けました。
 主治医に状態を報告し,家族の言葉を伝え週末の訪問は控えました。その2日後,Mさんはご家族に見守られながら天国に旅立っていかれました。退院して1週間後のことでした。








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