里親養育等事例集(2)続
岩手県里親会副会長 高橋 忠美
◎はじめに
私達が里親登録を申請したのは、平成二年四月のことでした。当時は、妻の両親と私達夫婦、実子二人の六人家族でした。
長男が大学生として家を離れ、長女も高校生となり子供に手が掛からなくなったことから、何か世の中の役に立てることはないかと思ったことがきっかけでした。
妻は既に赤十字奉仕団に参加しておりましたので、ボランティアについては家族全員異議ありませんでした。そこで、皆で取り組める活動として、里親を選んだ訳です。
里親読本への寄稿に際して、今までの活動で皆様に披露出来る程の実績もなく、何を書こうか悩みました。そこで、まず里親体験と子供達から学んだこと、次に里親会活動の問題点とあり方、最後に子育て(躾と教育)について、実子二人を育てた経験と、里親としての少々の体験、社会の有様に日頃から思うことを基に書いてみることと致します。
◎体験 我が家を訪れた八人の子供たち
平成二年四月の里親申請は、同年九月に認定となり、岩手県里親会に登録されました。それから丸十一年の間に、里親として八人の子供達と出会いました。
●A君、小学五年生(平成二年)
登録になって直ぐ、三日里親(岩手県では短期里親事業を三日里親と呼んでいる)の話がありました。
即座に快諾し、施設へ彼を迎えに行きました。初めての体験に家族は皆緊張し、家庭の空気が引き締まった、あっと言う間の三日間でした。
次は正月に依頼があり、この時は五日にして頂きました。その後春休み、夏休みと続くにつれ、日数も段々増して頂きました。
彼には「来る時は、自分で電車に乗って来なさい。園長さんが許して下さるのであれば、三日里親に拘らず、A君が来たい時いつ来てもいいから」と言いました。園長さんも渋っておられましたが、最終的には聞き入れて頂きました。以後夏、冬休みに拘らず、数日〜半月程を我家で生活しました。
釣りが大好きで、約束をすると一睡もせず夜明けを待っているような子でした。最初の頃は何をするにも「疲れた」を連発し、すぐに寝てしまって長続きしませんでした。しかし徐々に素直になり、犬の散歩をしたり、庭木の剪定を手伝ったりしてくれました。
このまま中学、高校と育てたいと願いましたが、親の承諾が得られず叶いませんでした。高校一年生の夏に問題を起こし、特殊高校に入ることになってからは我家に来ることはなくなりました。
三年程経った正月に突然訪れ、「東京で働いている」とのことでしたが、以後音沙汰はありません。
●B君、高等科二年生(平成四年春)
重度の身体障害者で、最初は長期休暇時だけでしたが、十八歳となった時に保護者となりました。週末を我家で過ごし、月曜日の早朝に送ってゆく生活を一年近く続けました。
この時もやはり、来る時は電車で来るよう指導しました。一、二度問題はありましたが、社会性を身に付けさせる為、敢えて電車に乗って来ることを勧めたのです。
頭のいい子でしたが、理想が高く、現実とのギャップが大きいことに疑問を抱いており、その疑問に答えるのに苦労しました。
現在は高等科を卒業し、授産施設で暮らしていますが、精神的に不安定になって酒に溺れたり、病院に入院したりを繰り返しています。少しでも心の支えになれればと、現在も交流を続けています。
●C君、中学一年(平成八年)
母、兄と暮らしていましたが、母が養育を放棄して家出。学校へ行かず食べ物もないような状況だったため、隣の市が保護し、施設入所措置前に預かりました。
勉強は良く出来る子だったのですが、社会性が全くありませんでした。小便は窓を開けて庭にする、風呂の入り方も解らない。腹が減ったら何か食べて、それ以外はテレビを見ながら横になっているという感じでした。
学校に行くと約束し、朝に学校の玄関まで送られて行くものの、授業には出ず、探せば見つかるような所にいたり、家に帰って来たりしました。しかしやがて、夜になっても帰って来なくなり、家族総出で探し回りました。市の職員の方や、最後は警察まで動員して探すようになり、普通の家庭での養育は無理と判断され、施設入所措置となりました。
長期養育を覚悟して真剣に取り組んだのですが、残念ながら私共の思いだけが空回りした格好となってしまいました。
●D君、小学五年生(平成九年)
夏休みに施設より三日里親で受託。力ブト虫やクワガタが大好きな子で、川原の柳の大木に一緒に登って虫採りをしました。大変良い子だったので次回が楽しみだったのですが、施設の都合で一回切りとなり残念でした。
●E君、十九歳(平成九年秋)
施設を出て働いていましたが、都合で辞め、施設にも戻れない、身寄りもないとのことで、次の職場が決まる迄預かりました。その風貌は当時二十六歳の息子よりも大人びていて驚く程でした。何もせずに置く訳にもいかないと思い、アルバイト先を見つけて働かせながら二週間程お世話しました。アルバイト先の主人から貰ったと言うサバイバルナイフが、今も預かったままとなっています。
●F子五歳、G子小学一年生、H子中学三年生の姉妹(平成十二年)
夏休みからF子とG子を三日里親で受託。更に今年は、同じ施設に入所している姉のH子も受託。
F子とG子の二人は、お互いに依存心が強く、何をするにも一緒でなければ嫌がります。少し注意をするとすくんでしまい、言葉も出なくなります。愛情に飢えている為か、私達をパパ、ママと呼んで膝に乗ったり首にぶら下がったりと甘えてきます。今年はH子も加わり賑やかなお盆を過ごしました。
以上が私達の体験のすべてです。
どの子も、我家に居る間は素直で良い子に感じられました。施設の先生方の見方とは違う面を見せてくれるのです。この子達が、施設ではなく里親の下で育てることができたらと思うと、私達はどんな子でも受け入れる体制をもっと整えて待つべきだと思います。
これからもあまり気負わず、活動を続けて参りたいものです。年齢的に小さな子を長期に養育することが難しくなってきているので、若い会員の方々の応援団として活動していこうと思っています。
◎里親活動の問題点とあり方
里親活動は、登録者も減少し、伸び悩みと言われ続けています。施設偏重政策を採ってきた児童福祉行政にも一因はありますが、我々里親に問題はないでしょうか。
里親会は、恵まれない子供達に光を与えていると自負しています。しかし、社会一般の人々や行政の一部では、「子供の無い団体が、養子欲しさに活動している」と冷ややかな目で見ているように感じられます。
ここに、里親制度や里親会が伸び悩んでいる最大の原因があると思います。これを払拭し、社会からの認知と、行政からの信頼を得ることが今後の課題だと思います。
里親会活動の重要施策として、「養育から養子」を柱に活動することは当然のことですが、この部分だけが強調され過ぎても前述の通りの問題が出てきます。
従って、今後の活動の進め方として、「まず養子ありき」ではなく、福祉型里親を強力に推進し、その中で条件が合った場合に養子とする方向へ向かうべきだと考えます。
全国の里親が福祉型へと転換すれば、その力は強大となり、まず行政の信頼を得られるでしょう。行政の信頼が増すことにより委託児童が増え、受託児童に対して児童福祉法が言う「恵まれない子供達に健全な家庭環境」を与え続ければ、社会からの認知も得られると思います。
そして里親だけではなく、地域全体で協力して養育できるように進むべきでしょう。
又、里親会内での活動は活発であっても、世間一般への働きかけが足りないように思います。もっと社会に対してPRするべきです。
そして、里親個々としては、まず親業の修得に努力しなければなりません。養子を迎えたいと里親登録された方々は、当然のことながら育児の経験がない訳です。いきなり受託児童を迎えれば、まず何から手を付ければ良いのか悩んでしまうでしょう。
その最も効果的な解決策であり、ボランティアとしても社会から認められるのが、短期の受託を繰り返し行うことです。このことにより、子供への接し方や子供の行動、子供の思いなどを学ぶことになるでしょう。
次に、受託条件の緩和です。受託条件が厳し過ぎる話をよく聞きます。性別、年齢はもとより、病歴、親の職業、親の病歴、子供を手離した理由等々、こと細かく条件を出す方がいるようです。
実子で授かる場合には、どんな子供が生まれようが、選択の余地はありません。受託する子供を、自分達の努力で立派に育ててゆく気概が必要です。
更に、家族間(特に夫婦間)で里親となる意思を統一させておくことが必要です。
子供が産めないことに引けめを感じて妻が申請したが夫には全くその気がないとか、夫婦は里親になる気がないのに両親に追い立てられて申請したとか、逆に夫婦は里親となることを望んでいるのに両親が他人の子に財産を遣るのを嫌がっている、などといった家族間での不協和音を耳にします。
これでは、尊い子供の命、尊い未来をその家庭に託すことはできません。
最後に強く申し上げたいのは、養子を貰えば終わりという考えでは、里親制度の未来も、里親会の将来も期待できません。
里親登録をし、活動に積極的に参加し、この方ならば、と行政が判断して子供を委託します。その途端に里親活動から遠去かり、里親登録をも抹消してしまう方がいます。里子であることを知られたくない為のようですが、何故里子、里親であることを隠す必要があるのでしょう。真実を隠すことの方が、将来に大きな禍根を残すことになると思うのです。
告知の問題さえ克服できれば、むしろ公にした方が、世間からの協力も得やすく、孤立することもないでしょう。
子供を授かった感謝を表す意味でも、更に福祉型で受託するなり、二人目の養子を迎えるなりして、里親活動を続けていって欲しいと思います。
◎子育て、躾、教育について
宮崎勤の事件、サカキバラを名乗る少年Aの犯罪、コンクリー卜殺人。最も記憶に新しいところでは、小学校に押し入って子供達を次々刺し殺す事件がありました。新聞、テレビで凶悪犯罪を報じない日はない程、事件犯罪は日常化してしまっています。
親が子育てに不安を感じ、どう育てれば良いのか、どう躾れば良いのか、今ほど悩んだ時期はないでしょう。
一体、子育ての目標とは何でしょうか。
私が子育ての目標に立てているのは、「この子が他人(社会)に迷惑をかけず、自分の力で生きてゆけること、そして願わくば社会に役立つ人間となること」です。
では、躾、教育の基本は何でしょう。
私は次の四つが大切だと考えます。
一 心と身体を健全に育てる。
二 善と悪を見極める力を養う。
三 我慢と忍耐を身につけさせる。
四 父親と母親が同レベルで教育に当たる。
これらのことを実現させるには、規則正しい生活、バランスの良い食事、自然に親しむ、善悪に対する毅然とした態度、欲望にすぐ応えず必要以上のものを与えない、子供の前で夫婦がお互いの悪口を言わない、などたくさんのことが必要です。
もちろん、愛情をもって育てることが絶対条件であることは言うまでもありません。
子供は親の玩具ではありません。次の世代を構築させるべく、神が与えた尊い命です。親の見栄やエゴで、心が病める子に育ててはなりません。どんなに学問やスポーツに優れていても、病める心を持った子は不幸です。
それでは躾や教育はいつから、何歳から始めたら良いのでしょう。
私は、「三つ児の魂百まで」の諺があるように、生まれた時からと思っています。そして、小学校に入る頃にはほぼその子の人格が固まるものと考えています。
しかし私達が里親である以上、躾を最初から行えない場合がほとんどでしょう。それでも、なるべく早く始めることが肝心です。
間違った方向へ子供が向かっている場合もあります。諦めず、根気よく教えなければならないでしょう。確かに時間はかかりますが、方向を修正することが出来る筈です。子供の人格が固まりつつある時には、その人格と上手く付き合いながら促すことも必要です。
どんな子供も、生まれた時既に素晴らしい能力を持って生まれてきているのです。それを正しい方向に伸ばしてやるべきです。
世間には、「この子はまだ何も解らないから」と言って、悪さをしても叱るでも、注意するでもなく放っておく親がいます。しかし、そのまま我儘を許していれば、物心つく頃には人の注意を聞き入れず、あくまでも自分の欲を通そうとする子供になってしまいます。
躾とは、小さい時から根気よく、駄目なものは駄目、悪いことは悪いと繰り返し教え込むことだと思います。
ある意味、告知の問題も同じでしょう。小さい時から理解するまで、折に触れて何回も繰り返し話すことだと思います。大きくなってから一回で済まそうとすると、時期を逸し、逆に反発を招くことになりかねません。
時には「烈しく叱咤激励」し、「厳しく指導矯正」するのが親の役目です。これなくしては、親業失格と言わざるを得ません。
◎おわりに
今の世の中を憂い、子供の躾、教育を考えるとき、「らしさの復活で、ルール・エチケットを守る社会を作ろう」と訴えたいと思います。
私達が子供の頃には、あらゆる場面でそれぞれ「らしさ」を求められたものです。それは男らしさ女らしさだったり、大人らしさ子供らしさだったり、数え上げれば切りがありません。このことは、生きてゆく上でのルールなりエチケットなりを自然に教え込んでいて、躾の基本でもありました。日本の良き文化だったと思います。
いつの頃からかこの「らしさ」は否定され、反対に何でもありの風潮の世となってしまった感があります。これと共に、ルールもエチケットも、思いやりも譲る気持ちも薄れ、自分がよければ他人がどう思おうが構わない、自分の欲望を満たすためなら他人に迷惑を掛けても、傷つけても気にしない、そんな人間が増えたような気がします。
金髪でピアスをした高校生。それを許す親も親なら、受け入れる学校も学校です。何を教え、どのような人間に育てようとしているのか、疑問を持たざるを得ません。
それぞれの立場で「らしさ」を失った為だと思うのです。「らしさを強調すれば、ひとりひとりの個性や可能性、自由を束縛する」という考え方もあるでしょう。しかし、適度な束縛が、逆に自らの存在位置を明確にすることもあるのです。個性も大事ですが、人の道から外れて社会に迷惑をかけてしまっては、元も子もありません。
せめて、我が子には躾の一つとして「らしさ」を教え込みたいものです。