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東京都民センター被害者相談室 大久保恵美子さん
被害者の会代表幹事 岡村勲 弁護士さん
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東京都民センター被害者相談室 大久保恵美子さん (要約編集部)
 
 被害者支援に関心を持って集まって下さる方が、このように大勢いらっしゃいまして有り難うございます。ただいま紹介にありましたように私自身、一九九〇年に息子を喪うという事件に遭いました被害者です。
 その当時は被害者に関心を向けるとか、精神的な支援が必要だということなどは、社会の中にまったく理解されていませんでした。
 そういう時にたまたま、アメリカではすでに「飲酒運転で殺された子供を持つ母親の会」が活動しているということを知りました。その会を訪問したとき、真っ先に掛けてくださった言葉は、「泣きたいだけ泣いていいのよ」というものでした。私は周りの人たちから「起きてしまったことは仕方がない。いつまでも悲しんでいては子供さんが成仏できない」などと言われていた時にです。
 それとともに、私は保健婦でしたので心の健康の大切であることが良く分かっていましたので、知り合いの精神科医や弁護士を訪ねて諸々のサポートを受ける事が出来、とっても役に立ちました。この体験は自分だけのものにしてはいけない。被害者なら当然の権利として誰もがこういう支援を受けるような社会にならなかったらおかしいのではないかと、心から思いました。
 それから、「残された親の役割として、これを社会に伝えていかなけれいけない」と思うようになりまして(被害者支援の必要性を訴え続ける)私の現在があるわけです。
 ここで心の傷と言うものはどういうものか、見える形に例えて説明させ下さい。ここに真っ白の紙があります。これを皺々にして放すと少しずつ開きます。しかし、犯罪被害者は自分で考える力も行動する力も失っていますので、心の傷を開くには周りの人の支援が必要なのです。
 そうした支援活動にあたる皆様には、被害者の代弁者としても力を貸していただき、安心して暮らせる社会に少しでも近付けて次世代に引き継いでもらいたいと思います。
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被害者の会代表幹事 岡村勲弁護士さん (要約小山容右)
 
 私は平成九年に、私の身代わりになって家内を死亡させたものですが、それから二年間というものは自分を責めてせめて、どこにも出ていく気がしませんでした。一年たって新聞社の依頼で小さな論文を発表させていただきましたが、それが社会と接点を持った唯一のことでした。
 そういうことで二年後に出された判決は、あまりにも被害者を馬鹿にしたものでした。
 それだけでなく、裁判が始まってみますと、弁護人席で見てたのとは全く違い、こんなにまで被害者というものは何の権利もないものか、納得がいかない ということで新聞に書いたわけです。私の記事を読んだ方々五人が一昨年の十月に私の事務所にいらっしゃいました。このままじゃどう仕様もないということで犯罪被害者の会が出来たのでした。
 昔は仇討ちの制度がありました。とにかく被害者というものは恨みを晴らしたいという気持ちが本能的にあることは間違いないことです。 私もこの間、高等裁判所で家内の裁判の証人として出まして、「妻を身代わりにした男にやることは只一つ。カタキを打ってやりたい。ぜひ死刑にして下さい。出来れば私に刑を執行させてもらいたい 」と述べました。その報道を見た人たちから「全くその通りだ」というような激励の手紙を沢山いただきました。
 このような気持ちは古今東西、いつの時代にもあるはずです。例えばフランスでは検察官と並んで被害者も訴追請求ができることになっています。被害を受けた者は加害者と闘うことが正義である。その正義を貫くことによって社会の秩序が保たれるというシステムをとっている。ところが日本では、そういう手立ては全くありません。
 私は、刑事司法は被害者の手に取り戻さなければいけないと考えています。これから生ずる被害者のために、被害者の法的地位や被害回復制度というものを、一日も早く作らなければならないと思っています。








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