日本財団 図書館


 3.管轄権に対する海洋法裁判所の判断―ベリーズの当事者適格をめぐって
 ところがITLOSは、国内裁判所が違法操業の刑罰として船舶を没収した後も、没収された船舶の旗国が即時釈放手続を申し立てることができるかどうかという、原告・被告双方が提起した論点とは異なる観点から、この事件にアプローチした。すなわち、その考察の対象をもっぱらベリーズの当事者適格の問題に絞ったのである。いうまでもなく、即時釈放制度の中で当事者適格を有するのは、その船舶の旗国である。第292条2項は、釈放の申立は「船舶の旗国又はこれに代わるものに限って行うことができる」と定めている。条約上、代理資格について特定の要件は課されてはおらず、旗国の裁量に大幅に委ねられている(25)。起草過程では、「船舶の旗国又はその代理となる外交官若しくは領事官のいずれか」という特定があったが、その後、そうした特定はなくなってしまった(26)。その意味では、本事件のように、ベリーズがスペインの個人弁護士をその代理人とすることが条約上排除されているわけではない。しかし、それを行うためには、何よりもまず、船舶の旗国であることが前提である。当然、ベリーズが旗国であったことを証明する責任は、原告であるベリーズに課される。そうした中で、ベリーズが旗国の証明として提出した文書は、以下の3つの文書である。
[1]ベリーズ司法長官の2001年3月15日付の書簡。
 同書簡は、この船舶が「ベリーズ国籍であり、登録番号07972047及び呼出符合V3UJ7を有する(27)」と記載していた。
[2]ベリーズの国際商船登録局(IMMARBE)から発給された暫定航行免許。
 同免許の発給日は2000年10月16日であるが、この航行免許はその名称が示すように暫定的な性格のものであり、その満期期限は2000年12月29日となっていた(28)。つまり、フランスによる拿捕の3日後には、暫定航行免許の満了期限が到来していたことになる。
[3]ベリーズの国際商船登録局(IMMARBE)の2001年3月30日付の「関係当事者殿」と題された証書。
 同証書には、以下のことが記載されていた。すなわち、「私儀、1989/1996年海運法により適正に権限を授与されたベリーズ国際商船登録局課長・上級副登録官は、グランド・プリンス号がベリーズで登録され、登録番号07972047及び呼出符合V3UJ7を有することを証明します。…さらに、航行免許及び船舶の係留免許(ship station license)の失効に関わらず、当該船舶が現在行われている裁判の結果がでるまでの間、行政当局の最終決定までベリーズに登録されているものとして依然としてみなされることを証明します(29)」という内容であった。
 このようにベリーズ当局は、暫定航行免許の失効にもかかわらず、ITLOSの判決がでるまでは、同国が依然としてグランド・プリンス号の旗国であるとし、みずからの当事者適格を立証しようとしたのである。
 ところがフランスは、このベリーズの当事者適格を争った。その際、フランスは、ベリーズ側の文書の不整合を主張した。フランスがベリーズの主張を否認するために、ITLOSに提出したのは、以下の2つの文書である。すなわち、
[1] ベリーズ外務省から駐エルサルバドル仏大使に送付された2001年1月4日付の口上書。
 事件の時間的経過に照らせば、この口上書は、フランスの国内裁判所が保証金の支払いを命じた日(2001年1月12日)以前に発給された文書ということになる。同口上書において、ベリーズ外務省は、次のように述べていた。すなわち、「ベリーズ外務省は、ベリーズ船舶登録局が、この船舶のベリーズ登録が確認されたことを通報することを望みます。しかしながら、これは当該船舶により行われたことが報告された2度目の違反なので、ベリーズ当局により科される罰則は、本日2001年1月4日より有効となる登録抹消であります(30)」という内容であった。ベリーズがITLOSに提出した文書が司法長官又は国際商船登録局発給の文書であったことと比較すると、フランスから提出された本口上書は、ベリーズの対外関係に第一次的責任を有する立場にあるベリーズ外務省が発給した文書であり、名宛人が駐エルサルバドルのフランスの外交使節団の長になっていたことが注目される。しかも、それはベリーズ側の主張を否定する内容であった。つまり、ベリーズ当局により先の暫定航行免許に裏書された措置がとられ、グランド・プリンス号の登録抹消の措置がとられたというのである。その結果、拿捕時はともかく、ベリーズがITLOSに即時釈放を申し立てた2001年3月21日以前に、グランド・プリンス号はベリーズ船舶の地位を失っていたということになる。当然のことながら、ITLOSはこの口上書の内容に留意した。
もう一つの文書は、
[2]ベリーズの国際商船登録局(IMMARBE)が、ベリーズ市のフランス名誉領事に送付した2001年3月26日付の書簡である。
 当然その日付から、同書簡はベリーズによるITLOSへの申立後の文書ということになる。この書簡において、IMMARBEは、「われわれは、職権によりこの船舶の地位を取り消す過程にある一方、船主がITLOSへ申立てることでみずからを弁護する機会を要請したことを通報したい。この文脈で、そしてベリーズは海洋法条約の当事国であるので、関係当事者に上訴を許すことが公平であると考えた。この裁判所の手続の結果次第で、われわれは、当該船舶をわれわれの登録簿から削除するか否かを決定するであろう(31)
というものであった。このIMMARBEの文書は、ベリーズが提出した文書の内容と基本的には異ならない。裁判の結果がでるまでは、グランド・プリンス号は依然としてベリーズ船舶であるというのである。いずれにせよ、ともにベリーズの国家機関でありながら、両文書の間で船舶の国籍という事実問題につき異なる認識が示されていたことがわかる。
 この結果、争点は、ベリーズにおけるこの船舶の登録は、暫定航行免許の満期後も継続していたのか、または、2001年1月4日に効力をもった登録抹消によってベリーズ船舶としての地位を失ったのかということになる。
 ITLOSは、これらの文書により、申立がなされた時点の船舶の地位につき合理的な疑いが生じているとみなした。そして、かかる疑いは、裁判所の管轄権の問題に関係すると考えたのである。そこで、ITLOSは、みずからの管轄権を確認する作業に入った。
 ITLOSによれば、「国際裁判において確立した法理に従い、裁判所は、常に、付託された事件を審理するための管轄権を有することを確認しなければならない。そのため、職権により、その管轄権の基礎を検討する権限を有している(32)」とした上で、サイガ号(第二)事件の判決(1999年7月1日判決)を引用し、「船舶の国籍は、提起される紛争の他の事実同様、当事者により提示された証拠を基に決定されるべき事実の問題である(33)」とした。そしてITLOSは、海洋法条約第91条(34)、とりわけ2項に着目する。すなわち、第2項が規定する、「いずれの国も、自国の旗を掲げる権利を供与した船舶に対し、その旨の文書を発給する」との文言である。しかし、ベリーズからグランド・プリンス号に発給された唯一の文書は、暫定航行免許のみである。この文書は、その失効日が2000年12月29日であると明記している。他方で、2001年3月30日付のIMMARBEによって発給された「関係当事者殿」と題された証書は、「航行免許及び船舶係留免許の失効に関わることなく、当該船舶がベリーズにおいて登録されているものと依然としてみなされる」と記載する。しかし、ITLOSは、その主張は擬制の要素を含み、ベリーズが、第292条の適用上、この船舶の旗国であると判断するための十分な基礎を提供していないと考えた(35)。このIMMARBEの通知は、第91条2項の意味における「文書」として取り扱われえないというのである(36)。たしかに、ウォルフルム裁判官が指摘するように、条約第91条1項は船舶と旗国との間には真正な関係が存在しなければならないことを規定しており、その意味するところは、登録が単なる擬制やただ一つの目的、すなわち第292条に基づく手続を開始するのに役立つように使われることを認めるものではないであろう。もし、そうしたアプローチが承認されるのであれば、ITLOSの管轄権は、関係国家が事実上旗国の責任を負うことなく、国家の職員の決定に左右されるということを可能にしてしまうからだ(37)。こうした考慮もあってか、裁判所の判断により、IMMARBEの通知は行政通達の性質をもつに過ぎないと性格づけられた(38)。さらに、裁判所は、この通知は、2001年1月4日付のベリーズ外務省の口上書と併せ読まなければならないとした。裁判所は、口上書はベリーズからフランス宛の公式な通知であり、当該船舶の登録に関するベリーズ政府の法的立場を定めたものであるからだとする。口上書は、「本日から有効となる登録抹消」と述べているので、登録抹消行為は2001年1月4日から効果を有しなければならないというのである(39)。こうした作業を経て、ITLOSは、原告ベリーズにより提出された書面の証拠は、ベリーズが申立時に船舶の旗国であることを証明しなかったと結論したのである。そして、その帰結として、裁判所は申立を審理する管轄権をもたないと判示したのである(40)
 最終的に裁判所は、その主文で、冒頭に紹介したように、「海洋法裁判所は、第292条に基き申立を審理する管轄権をもたないと決定する」(12対9)と判示したのである。これが、両当事者の主張に対する裁判所の多数意見の結論であった。
 ところが、山本草二裁判官を含む9名の裁判官は、申立を審理する管轄権をもつと判決すべきであったとの反対意見を表明した。これらの反対意見、さらには多数意見の立場に立った裁判官の個別意見からも、本判決が提起するいくつかの問題点が浮かび上がってくる。次に、これらの問題点のうち、主要な2つの問題について検討してみよう。








日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION