6.おわりに
サイガ号事件では、国連海洋法条約が明文の規定を置いていない、排他的経済水域における商取引である、燃料の洋上補給が問題になった。国際海洋法裁判所は、洋上補給行為そのものについての判断は回避して、沿岸国が、国際法上認められている範囲外で、関税に関する取締りを行えるか否かについての判断を行ったにとどまった。
本件の背景から見て、ギニアは、排他的経済水域において沿岸国に与えられる権利の内容を強化しようという意図で洋上補給の取締りを行ったというより、軽油の密輸取締りの一環として洋上補給についての取締りを行ったと見る方が妥当である。すなわち、本件での洋上補給の取締りは、むしろ接続水域の制度のもとで行われるべき取締りが、接続水域の範囲を超えて行われたという性質を持っている、と見ることもできる。ギニアが、取締り区域である関税圏について海岸から250kmという排他的経済水域とは一致しない区域を設置していることからみても、そのようなギニアの意図が推察できる。取締り対象を漁船としているのは、洋上補給を行ってギニアの領土に軽油を不正に持ち込むのは漁船が主であったためである。さらに、250kmという広い範囲を関税圏としていることについては、ギニアの取締り能力の不足という、発展途上国特有の事情もあった。特に近年の船舶の性能や通信技術の向上によって、密輸関連の違法な洋上取引が増加していることから見ても、沿岸国がより広い水域に管轄権を行使する必要性を有していることは想像に難くない。洋上補給を含めて、洋上取引に関する沿岸国による取締りは、接続水域外では、追跡権によって行うことができるのみであるが、取締り能力不足という本件と同様の事情がある場合には、ギニアと同様の行動をとる沿岸国が出る可能性もある。
洋上補給行為自体の合法性に関しては、国連海洋法条約に明文の規定がない以上、各裁判官の分離意見、反対意見に述べられているように、水域の性質と、補給対象船舶の海洋利用の性質とから合法性を判断することになる。
沿岸国が、排他的経済水域において、漁業についての主権的権利を有していることから、漁船については、洋上補給行為に対して管轄権を行使できるとする一部の判事の意見は一定の説得力がある。その中で、ワリオバ判事の、海洋法条約第62条44項の規定と組み合わせることで、漁船への給油に課税を認める考え方は、排他的経済水域において、入漁料等とは別の名目での沿岸国による課金を可能にするものである。しかし、この考え方を敷衍すると、排他的経済水域の船舶に課税を許すことになり、資源に対する主権的権利の行使の範囲を逸脱するおそれがある。また、洋上補給行為の法的性質を決定しないままサイガ号のような、漁船ではない、給油船に対して管轄権を行使することにもなる。
チャオ判事の意見に見られるような、洋上補給行為を沿岸国の許可等に服さしめることは、洋上補給を行うことを前提とするような長期航行の場合、航行の自由の行使自体に影響を与えるおそれもある。一方で、同判事が指摘するように、洋上補給行為が寄港国の課税を免れる性質を持っていることから見て、洋上補給行為が頻繁に行われる場合、何らかの規制を行う沿岸国が出てくる可能性があり、また、海難や環境汚染の問題からも一定の規制が必要となる場合もありうる。
洋上補給に対して管轄権を行使する可能性のある国内法令を有する国は存在するものの、サイガ号事件以外に目立った問題を生じさせている事例はない。国連海洋法条約の排他的経済水域制度が、領海の幅や国際海峡制度等の他の制度とのパッケージディールで決定された微妙なバランスのもとで成立していることから考えると、条約に明文の規定のない事項についての合法性の判断を、少ない事例の中で行うことはできない。その点で、国際海洋法裁判所が、洋上補給行為自体の合法性の判断に立ち入らなかったことにも理由がある。沿岸国の「公益」を強調するギニアの立場に見られるように、洋上補給行為に対する取締りが、排他的経済水域制度とは別個の、新たな種類の沿岸国の管轄権行使の問題として展開する可能性もある。