(2)事件の背景
ギニア沖合を含む西アフリカ沿岸水域では、サイガ号のような給油タンカーが国外から軽油を運搬し、洋上でそれを漁船に積み替えて沿岸国に密輸を行うという取引が横行していた。ギニアでは、関税のかからない軽油は、原価の100〜200%の利益を入れても十分安価であったため、ギニア国内での密輸軽油の需要は、関税を払った正規の販売ルートを通したものをはるかに凌駕しており、関税収入を重要な財源とするギニアの財政を圧迫するほどであった。
世界銀行がこれを問題視し、密輸軽油の取締りを融資の条件としたことや、ギニアに新政権が発足したことから、ギニアでは、1995年以降、そのような密輸の取締りが本格的に開始された。ギニア沿岸で行われる密輸は主に漁船を用いたものであったため、ギニア政府は漁船への軽油の販売を特定の給油所以外では禁止する措置をとった。
サイガ号に対して適用された法94/007CTRNは、ギニア全土およびギニア関税圏において適用され、ギニア関税圏における洋上補給を禁止している。ただし、この法はギニアの免許を有する漁船以外の、他国に向かって通過するのみの船舶には適用がないものとされていた。
法94/007CTRNが施行された1995年に、サイガ号と同じセント・ヴィンセント船籍の給油船アフリカ号が拿捕され、軽油の密輸は減少した。アフリカ号に関しては、セント・ヴィンセントは国際的な申し立ては行わず、交渉により釈放されたが、アフリカ号はその後も数度にわたって拿捕が繰り返された。セント・ヴィンセントがアフリカ号に関しては提訴しなかったのは、拿捕が繰り返されているからであると言われる。サイガ号は、アフリカ号の拿捕後も洋上補給に従事しており、ギニア当局が監視していたものである。軽油の密輸は、1997年のサイガ号の拿捕によりさらに大幅に減少し、正規の軽油販売からのギニア政府の税収も大幅に増大した。
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