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<寄稿>
ビエンチャン訪問記
笠原洋一
(財)航空保安無線システム協会 研究開発部 調査役
1.はじめに
 (財)航空保安無線システム協会は国土交通省の委託を受け、アジア太平洋地域の「航空分野人材育成計画策定調査」を実施しています。
 今年度はインドシナ半島諸国の調査を行い、3日間という駆け足ではありましたがビエンチャンを訪問する機会を得ました。航空分野の人材育成にあまりとらわれずに、見たり聞いたりしたことを思いつくままにまとめてみました。
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街中心部にある凱旋門
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凱旋門上から見た市街
2.ラオスの概況
(1)一般
 ラオスはインドシナ半島の内陸に位置し、中国、ヴィエトナム、カンボジア、タイ、ミャンマーと国境を接する人口520万人の国です。首都ビエンチャンは約50万人で、その他の主要都市はルアンプラバン、パクセなどです。人口の約半数が低地ラオ族で、残りは68の少数民族から構成されています。
 1353年に王国として統一されましたが、19世紀末にフランスのインドシナ連邦に編入されました。1953年に独立を果たすものの、その後内戦が繰り返され1975年にラオス人民共和国が成立しました。
 
(2)政治・経済
 1975年の政権樹立以来、人民革命党主導の政治体制が維持されましたが、計画経済が行き詰まり経済改革に取り組み、市場経済化、開放経済政策を標榜し、91年新憲法を含む法体系の整備に着手し、97年新憲法に基づく総選挙が実施されました。
 アジア経済危機の際は大きな影響を受け、通貨は30%以上下落し、その結果激しいインフレにみまわれました。現在は2020年までに後発開発途上国(LLDC)から脱却、生活水準3倍増を目指した長期目標を策定中です。
 ASEAN加盟と同時にASEAN自由貿易地域(AFTA)にも加盟し、2005年までに関税率を5%以下に引き下げることが義務づけられたため、この国の大きな財源となっている関税収入の代替財源の確保が急務となっています。
表−1ラオス人民民主共和国の主要指標
  ラオス 日本(参考)
人口 520万人
(98年推定)
12,678万人
(99年推計)
面積 23万km2 38万km2
人口密度 22人/km2 333人/km2
一人当りGDP 261ドル(98) 34,302ドル(99)
GDP成長率 4.0%(98) 0.3%(99)
GDP産業別構成比 一次 55.6% 1.7%
二次 20.8% 37.1%
三次 23.6% 63.1%
 
(3)対ラオスODA
 我が国は、ラオスがLLDCであることに加え、内陸山岳国であるとの制約、経済開放化や民主化を進めていること、さらにアジア経済危機の影響を受け、ASEAN自由貿易地域加盟に伴う制度・組織体制の整備が不可欠であるとの観点から、次のような分野を重点に支援を行っています。
 [1]人材育成
 [2]初等教育
 [3]保健・医療
 [4]環境保全
 [5]農林業
 [6]インフラ整備
 日本はトップ・ドナーで、97年度この国へのODA総額3億ドルの1/4強を占めています。
3.航空分野の概況
(1)航空行政
 行政組織は通信運輸郵政建設省(MCTPC)の下に航空局(DCA)があり航空行政全般を所掌しています。航空保安業務は、地方空港ではDCAが運営・維持管理を実施していますが、主要4空港施設の運営・維持管理、管制業務、それに空域管制業務はラオス空港公団(LAA)が実施しています。
 この国は法律の整備が遅れており航空法案は現在、稟議中とのことです。
 
(2)航空輸送システム
 ラオ航空は数年前までDCA内の組織でしたが、現在は国営会社として独立しました。保有機はATR−72が2機、Y−7が3機、Y−12が5機で国内線とバンコク間に国際線を運航しています。
 国内線に関しては山間地の空港が多く、航空保安施設が貧弱でILSが設置されているのはビエンチャン国際空港のみで、他にNDBが全国に14式、VOR/DMEは全国に4式が設置されていますが、著しく老朽化しているものもあります。レーダーはフランスの援助によりビエンチャンにASR/SSR、サバナケットにSSRが2001年3月に更新され運用を開始しました。
 空港は合計14の民間空港がありますが、実際には空港と呼べるのは、主要4空港だけです。ビエンチャン国際空港は、ターミナルビル、管制塔、ILS等が日本の援助で98年に整備され、またルアンプラバン空港がタイの援助、サバナケットとパクセ空港がADBローンで整備されました。
 
(3)航空輸送
 ラオス内の航空交通量は少なく年間約3,900機、このうち国際線は年間約800機程度です。
 国内を発着する国際線の交通量は少ないものの、上空通過はA1(バンコクからダナンヘのルート)は年間約41,000機、北部ルートでは年間約8,500機で、交通流は上空通過機が大多数を占めます。
 ラオスの歳入は200億円程度ですが、この上空通過料収入が合計で約13億円程あり重要な外貨獲得財源となっています。
 尚、ICAOはY−7とY−12は使わないように勧告しています。
4.街の風景
(1)爽やかな空港
 我々がホーチミンからビエンチャン空港に着いたのは乾期に入った11月中旬でした。ホーチミンでは強烈な太陽に晒され汗ビッショリでしたが、ここビエンチャンはなんと爽やかな気候なこと、半袖シャツで暑からず寒からず、日本人には快適な気温です。ところが現地の人達の中には「寒い」と言って、セーターを着込んでいる人もいます。
 我々が訪問したのは乾期でしたが、JICA専門家によれば雨期のほうがもっと素晴らしい自然にお目に掛かれるそうです。空気中の砂埃が雨で消えるので空の青さは日本では見ることが出来ないような色で、木々も雨に洗われその緑が一層鮮やかになるそうです。
 日本の支援で98年にターミナルビルが新設されおり、混雑もなくスムースに入国の手続きができます。それもそのはず、我々が到着した日は、国際線は1日で合計6便のみなので合点がいきました。空港からはビエンチャンの中心街まで車でゆっくり走っても10分もあれば着いてしまう利便性のよい空港です。
 
(2)牧歌的
 市街では“これが首都か”と思う光景を至る所で見つけることができます。道路の真ん中を車やバイクがゆっくり走り、路肩の草を牛や山羊が食べ、草が少なくなった所を鶏がつついて、その鶏や山羊の間を犬が迂回しながらゆっくり歩き、動物間の争いも無く、人間と動物が共存している姿です。たまに犬が道路を横断すると車やバイクは最徐行し、決して動物にクラクションを鳴らさないことにも感心します。
 この街へ来る前にベトナムのハノイとホーチミンで1週間過ごしましたが、そこの道路はバイクの大洪水でセンターラインはあって無きに等しいものでした。すなわち反対車線が空いていれば、そこを何百台ものバイクが一斉にスピードを出し我先に前に進み、ぶつかる直前に対向車がクラクションを鳴らす、といった光景です。
 ベトナムの街からビエンチャンに来ると、この都市交通の量とスピードの差に驚き、我々日本人にはほっとする光景です。
 ビエンチャン市の人口は約50万人ですが、これは郊外の農村地域まで含めた数字で、中心部はおよそ5万人程度であり、高層の建物はなく常に空が大きく見え、更に街全体に緑が多く比較的道路も広く、人混みがないので落ち着いた雰囲気を醸し出しています。
 
(3)時間の流れ
 東南アジアの街角では、よく子供が雑貨などを手にいっぱい持ち、外国人をめがけてしつこく売りに来ます。
 ところが、この街ではこんな光景は全く目にしません。また商店の前を歩いていても、売り子が積極的に声を掛けてくることもなく、ゆったりとした気分で街を歩くことができます。
 朝、早起きしてメコン河の河畔まで毎日散歩に出掛けましたが、道路で子供達が元気な声をだして遊び、道路脇の草むらで鶏が餌をついばみ、寝そべった犬があくびをしながら通行人を眺めている光景が至るところで見られます。
 土手を下りてメコンの河原へ立ってみると、そこは音の無い世界です。時折聞こえるのは、そよ風が背の高い雑草の葉を揺らす音だけです。
 存分にこの静寂を楽しみ``食事にホテルへ戻る時間かな”と思い時計を見ましたが、まだ5分しか経過していません。もう少し歩いてみようと土手を暫く歩いてみましたが、それでも時はなかなか進みません。時が日本の2倍以上のゆっくりしたペースで流れているのです。私がいかに時間に追われ、せかせかした生活を日本でしているか、このとき実感しました。
5.人々の暮らし
(1)住まい
 高地ラオ族は山岳地域に住んでおり、土地柄斜面を利用した半地下式の建物で生活しています。
 ここビエンチャンは低地ラオ族地域ですので、高床式建物です。もっとも近年建てられた物は、高床式はほとんど見られませんが…。これらの建物はビエンチャンでは民族文化センターへ行くと山岳部、中高地、低地それぞれの物を見ることができます。
 ビエンチャンの郊外に行くと、車窓からこの高床式住居を見ることができます。ちょっと見ただけですが、決して豊かな暮らしではなさそうです。床下部分は牛や山羊・鶏の住居だそうで、放し飼いのため、昼間は近所の草地に勝手に出掛け夕方になるとそれぞれの家に帰り、飼い主が早朝玉子をとったり、乳を搾ったりするそうです。また人は昼間に家の近くの畑で野菜などを栽培し、これらで自給自足しています。
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市場の母子
 
(2)給料
 交通量の多くない交差点に警官が立っていますし、空港のガードマンも旅客数の割にはいやに多く立っています。ゴミなど殆ど無い空港周辺を箒とちりとりを持った女性が一所懸命ゴミを捜しています。第一次産業以外さしたる産業の無いこの国における最大の労働者受け入れ先は公務員です。
 歳入が少ないので支払う給料も少なくなります。因みに学校の先生の月給は15〜20$、航空局長のそれは30$だそうです。
 食料品の価格が極端に安いので飢えることは無いのでしょうが、何故車やバイクが買えるのか疑問に思っていたところ、この国の国民は気軽に外国へ働きに出掛けるそうで、イギリス・シンガポール・台湾・オーストラリアなどへ相当数の人が稼ぎに行き、そこで得た収入で高額な耐久消費財を購入している、とのことでした。
 
(3)就職難
 夕方市場ヘシルク製品を買いに行きましたが、そこの女性売り子と言葉を交わすと「大学の法学部を卒業したけれど、希望するような就職口がなく売り子をしている。」とのことでした。もっとも「実はシルクが好きで、椅麗なシルク織物に囲まれている今の仕事は、結構気に入っている。」と続けて聞かされ、少しほっとしました。
 日本のスズキがバイクの現地組立工場を立ち上げましたが、関連する産業が育っておらず労働力を吸収するまでには至ってはいません。
6.この国の発展
 ラオスの主たる輸出品は農産物・木材・電力です。米や豆は余っているので今は輸出できますが、将来人口が増加したら食料輸入に転ずる懸念も一部にあり、見通しは定かではありません。木材は生長に一定の期間が必要なので生産能力を上げ過ぎると国土の荒廃が心配です。
 電化製品も中古品ですが街の電気屋で洗濯機等が出回り始めています。将来各家庭で電化が進むと、売電額も減少が心配されます。
 一方で“基礎教育が不充分で、女性の半数は学校に行かない。従って基礎学力がないために高等教育も難しい状況だ。海外へ研修に出しても英語能力が劣るためついていけないことが多いのが悩みだ。国際会議に出席可能な人材は全国に50人程度しかいない。”との声もありました。
 こういう背景もあるのでしょう、我々が会った航空局幹部は異口同音に先進国の支援を訴えていました。
 現地でいろいろな人の話を聞いてみると“先ず人造り、次に国造り”との印象を強く持ち、JICAが人造り、インフラ整備、農業、保健医療を重点に支援を行っていることがうなずけます。
 この国は貧しく農薬を買うお金がありません。ましてや肉砕粉など買う金はないので、牛は全く自然なままの草、鶏はその地中の虫を食べており、その結果として人間も狂牛病の全く心配ない肉を口にしています。
 豊かな自然。これを実感するのはメコン河に落ちる夕陽を見ながら河畔のレストランで、地ビールのBeer LAOを飲み、無農薬の野菜や化学飼料を使わず育った肉・魚を食べゆっくり時間を掛ける夕食のときです。
 この国の発展を願いつつも、今のいいところを残した発展を切望しながら、メコンに落ちる夕陽を毎日見ていました。
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メコンの夕陽
7.おわりに
 帰国後、新聞を読んでいたら、六つの国を悠々と流れるメコン河に関する記事が目にとまりました。
 “一つの国が独自にこの河の開発を進めると、他国民に影響を与えるので下流四カ国が環境に配慮しながら開発計画を調整している。上流ニカ国が参加しなくては農民や漁民に打撃があるかも知れぬ。船舶での物流拡大に伴い、経済力がある国の浚渫や河川港の拡大で、河の流れが変わり岸が浸食されるのが心配だ。”との論調です。
 この河の貧しい側を歩いてみると、この意見の“河の流れの変化に伴う岸の浸食”、という部分はよく理解できます。この河がいつまでも流域の住民に恵みをもたらすために、日本の役割は大きいものと思います。
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国境にかかる橋(右はタイ)








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