第45回船員労働安全衛生月間「標語」「体験記・意見」入選作品
第45回船員労働安全衛生月間行事の一環として、当協会が船員とその家族、海運、水産関係者から広く懸賞募集していた「標語」および「体験記・意見」の入選作品が決定しました。応募総数は「標語」2,060点、「体験記・意見」は16編でした。
これらの応募作品につき、関係官庁、関係団体、全日本海員組合、当協会の委員により構成された選考委員会による厳正な審査の結果、「標語」では優秀賞5点、佳作5点、また「体験記・意見」では優秀賞2編、佳作2編がそれぞれ選ばれました。なお「標語」の優秀賞作品5点は、標語ビラとして印刷し、各社、団体、協会支部等を通じて各船に配布されるので、船内の見やすい所に掲示のうえ、月間活動に役立てて下さい。「体験記・意見」の入選作品は、27頁から掲載しています。
「標語」の部
〈優秀賞〉
★安心ですか!!生活習慣 安全ですか!!その作業 竹重 満夫(上田沿岸荷役)
★アッ危ない見てみぬ振りは事故の元その場で注意し事故防止 柳 英志(日本水産(株))
★ヒヤリ、ハットは貴重な体験活かして減らそう事故災害 浦田 次彦(日本水産(株))
★何か変気づいた時にすぐ対処 湯浅 梨乃(航海訓練所)
★Stay clean,stay safe. RolandoB.Bautista(出光タンカー(株))
〈佳作〉
●あってはならぬ怪我・疾病あって良いのはゼロ災害 大野 忠一(日本水産(株))
●安全は健全な体力、気力から疲れを残さぬ生活習慣 深川 文雄(八戸船舶(株))
●ヒヤリ、ハットは危険の芽摘み取り作業でゼロ災害 山村 秀省((株)商船三井)
●Prevention is much better than medication. M.Concepcion((株)商船三井)
●「あ」んぜんを「い」つも心に「う」え付けて「え」がおで帰るよ「お」母さん 西谷 博之(神戸商船大学)
「体験記・意見」の部
《優秀賞》
「一瞬の事故から」
印南秀吉(元船員)
1、事故一瞬
広々と真直ぐ延びた荒川土手の草の上に私は砕けた左脚を抱えてじっと蹲っていた。
雨と激痛に全身震えていた。運搬船を繋留しようと太いロープを曳いて水門横の切り立った岸壁をよじ登り、途中雨とゴム長で滑ってロープの輪の中に足を突っ込み、流され始めた船の荷重をモロに受けた。向う脛がゴキッ、ゴキッ…パッキーンと砕けた。左脚粉砕骨折。どうやって土手の上に這い上がったのか、今でもよくは判らない。生きる執念、死の恐怖であったろう。
沙魚釣りをしていた小学生2人が竿を放り出して救急車を呼びに駈けて行った。…来た、かすかなサイレン、救急車だ。激痛が脳天を突き抜けた。
父が銚子の実家の家業だった巻網船の1隻を150トン程積める運搬船に改装して、京浜間の主に石炭、コークス類の小さな海運業を始めた。仕事は順調で船も次々に殖えて人手不足になり、私も乗船して5年経った。海技免状も取得し仕事にも慣れ、危険など思いもよらなかった。…それが…事故は一瞬である。それまでの人生がアッと消し飛んだ。再手術後、義足を装着して川崎駅の雑踏にもまれて、さて、これからどうやって生きて行けるのか、愈々切羽詰まった。
2、一歩づつ
当時24才、若かった。毎日義足下の血だらけの擦り傷の手当をし乍ら歩いた。歩けなければ生きられない、文字通り必死だった。先ず職業訓練校に入った。乗船前にやりかけていた機械設計のやり直しである。人間、打込む事があり、明日を目指せれぱ大概の事に耐えられる。不運の次には不運ではない日も来ると信じて歩いた。
再手術をしてくれた医師の言葉は今でも頭の中に生きている。「君、脚は生えてこないんだ。先ず義足で歩きなさい。いつか脚が移植出来る日が来るかも知れない」脚の移植は私には間に合わなかった。夜中にふっと目を醒まし、馬の脚を移植したら速いだろうな、豚の足をくっつけたら矢張り可笑しいな、似合うのは猿だな、とニヤツク事がある。我乍ら不気味な心理である。
就職出来た仕事は難かしかったがやり甲斐があった。捨てずに持っていた昔の参考書で夜中の勉強を続けた。図面を作るだけのトレーサーから機械設計者になるのに10年かかった。神は私の脚を切り落したが同時になんと独創力を植えてくれた。最初は小さな工夫だったが次第に特許を取得してヒット商品を産み出せるようになった。前述の医師と協力して、今迄の日本の義足が足の形をしたつっかえ棒だったものをダブル足関節で歩き易くした。自分が一番助かった。
3、海に呼ばれて
技術と海技免状と乗船経験を買われて社内新設の油圧装置部に移った。主として124トン、314トンの底曳船、北転船の漁携ウインチを油圧自動化する仕事である。受傷後、もう戻れないと諦めていた海が呼んでくれたのだと思う。当時の水産庁の指導で漁船の省力化にひと役買うことになった。稚内から北転船に乗り、西カムチャッカまでスケソー漁を続け乍ら新型トロールウインチの試運転を行ない、漁業の効率化、安全化を進めた。釧路からサンマ棒受船に乗りサンマの洋上ポンプアップをテストした。
海はいい。何より毛ガニが旨い。バケツ一杯の力二を漁労長と二人で片っ端から喰べた。サンマが旨い、3食10日間サンマの刺身を平らげた。こんなにサンマを喰べた奴は見た事がないと漁労長が呆れていた。
海はいい。特に夕陽がいい。水平線にズボリと沈む所がいい、日本列島夕焼ける。
6年間、海と陸と半々で暮らした、至福の時だった。が、やがて激浪の甲板で身体のバランスが取れなくなった。年齢を感じた。誰にも来る潮時を自覚した。
4、私に出来る事
事故一瞬・障害一生の痛い体験から私はこれからの自分の仕事を固めた。
断足以降、船員保険に随分助けられた。現在穿いている義足は21本目で2年で1本の割合で新調した、いや2年で義足を穿き潰した事でもある。必要に応じていつでも作れた。…現在では福祉も緊縮とかで3年たたないと新調出来ない時代となった。次いで些少だが障害年金の支給があり私の生活を支えてくれた。社会の恩恵である。
御多方に洩れずリストラで中高年の就職は難しい。ましてや高齢障害者に就職先は皆無である。ならば自分で位事をやろう。金儲けを考えなければ仕事は無限にある。
ボランティアでよいではないか。
・・ベッドでウンウン唸り乍ら体得した事
・・浮腫んで入らない義足を押し込んで歩いた炎天。
・・やっと這い上がって用を足せたトイレでの快感。
・・全身をチクチク咬んだダニども。
等々、自分の体験から必要な介護機器の開発を始めて10年になる。こつこつ作っては業者に渡して商品化と普及を図った。
今、私の仕事の総仕上げにベッドの上での排泄支援装置の設計に入っている。これが出来上がれば私を45年間守ってくれた社会への恩返しになると楽しみにしている。
人生にはボランティアが出来る幸せもある。
《優秀賞》
「慣れ」の恐ろしき
瀬和 秀典(出光タンカー(株))
長期休暇後の乗船に、身を引き締め、「さあ、がんばるぞ。」とVLCClこ乗り込んだ。日本を出航するとぺルシャ湾までどこも寄港しない大型タンカーだ。前任者との引継ぎも終わり、「安全航海ありがとうございました。良い休暇を。」
出港翌日は、定例作業化されている内地での積み込み品の確認及び収納だ。見慣れた部品に船用品。チェックリストで確認後、小さな物は手で運び、大きな物は台車や糧食用リフトを使って、それぞれの格納場所に移動、収納する。
今回は、特別に予備の主機シリンダーライナーが積み込まれていた。外径1m27cm、長さ3m43cm、重さ7.2トン、そして、船の動揺に加え、クリアランスの無い狭いハッチ。あの大きなシリンダーライナーをどうやって機関室に収納するのか。充分なチェーンブロックに過去に使った事のない大きなワイヤー。機関部全員による試行錯誤のうえようやく納める事ができた。
作業が終わった。あとは、糧食用リフトを巻き上げ、所定の位置に戻すだけだ。私は、この時、気のゆるみがあった。
コントローラーの「上昇」のボタンを押し、荷物吊り上げ用フックの上昇を待つ。次の瞬間、「ガシャ!」。高い破壊音が鳴り響いた。その後、「ドドドッ」と数リッターの潤滑油が甲板上に落下した。フックがドラムケーシングに激突し、ギアケースを破壊したのです。「えっ?安全装置は?」あの高い衝撃音に潤滑油の落下。ギアケースの破損は充分に想像できた。頭の中が真っ白になった。船の重要機器の一つを壊してしまった。船は、出港したばかり。糧食用リフトが使えない。外地での積み込みが出来ない。復旧用の予備品を受け取るには、船を停めなければならない。あの大きなシリンダーライナーを吊るしたままの状態でこの事故が起こっていたら大事故につながっていた。シリンダーライナーは使い物にならないし、人身事故も引き起こしていたかもしれない。私の不注意で。幸いにも落下した甲板上には、人は無かった。しかし、その2m先では、乗組員が作業を続けたいた。ギアケースの破片が落下し、乗組員の下に落下していれば、人身事故にもつながっていた可能性は充分にあった。考えれば考えるほど、自分の犯した過ちに恐怖を感じ、そして、体が硬直した。これまで過去に何十回とコントローラーの操作を行ってきた。いつもどおりの操作が、上昇中のフックの監視を怠り、今回の事故につながった。私は、フック上昇のボタンを押しながら、こう考えていた。
上昇限度の安全装置が作動するまでフックを上昇させよう。こうも考えていた。安全装置があるから、ボタンを押し続けていても自動でフックは止まるだろう。この安易な考えが上昇中のフックにも注意が散漫になり、結果糧食用リフトの損傷につながった。油断していたのです。別に安全装置が作動する位置までフックを上昇させる必要はなかった。そして、なにより使用前に安全装置の作動を確認してなかった。完全なるオペレ一ションミスです。
事故後の復旧作業には多大な労働力と時間、そして、莫大な費用がかかった。復旧中には、かすり傷であるが怪我人もでた。自分の注意散漫な行動が、二次被害を起こした。予備品受取りの都合もあり、完全に復旧するまで1航海かかった。復旧後も自分の犯した失敗に悔しさと情けなさでいっぱいだ。
「油断」「過信」そして「慣れ」。
「油断」とは、「気をゆるして、必要な注意を怠ること」と辞書に書かれている。「必要な注意」を今回の事故に置き換えるとすると、上昇中のフックの監視、及び、使用前の安全装置の作業確認にあたる。
「過信」。「信用して高く評価しすぎること」これは、安全装置が必ず作動するという安易な考え。
「慣れ」。何十回と操作し、過去に事故がなかったという勘違いによる経験。
「油断」「過信」「慣れ」が組み合わさり、今回の事故を引き起こした。「慣れ」とは、非常に恐ろしいものと体験しました。
乗船期間が長くなると数多くの経験をします。この経験が、当たり前のように考え、注意を損ない、ミスを犯すようになります。特に、以前に経験し、その時成功した事が、同じようにすれば、次も同じ結果を得られると考えがちになります。
機器が常に同じ状態であると考える事は大きな間違いです。
機器は、振動、熱、潮風など様々な要因に影響され、経年劣化をし続けています。同じ結果が得られる事は、ごくまれな事と考えた方が自然です。
事故を起こす時、必ずそこには、「慣れ」からくる、確信の無い判断で、仕事を行っている時です。慎重生が失われている時です。初めて経験する作業では、必要以上に注意し、慎重に慎重に重ねて行ってきます。しかし、同じ作業を繰り返すうちに事前の下調べも不充分になり抜けがでてきます。覚えているからといって、確認する事を怠ってしまうのです。このような時に、事故は必ず起こっているのです。充分な下調べを行い、細心の注意を払う事が必要です。
船には、多くの機器が備え付けられています。そして、様々な機器の周りを安全装置が囲っています。今、船が安全な航海を続けられているのも、それぞれの安全装置が正常に作動しているからといっても過言ではありません。しかし、「過言」してはいけません。機械は壊れるものです。ただ、いつ壊れているかわかりません。すぐに分かるものもあれば、気づかずにそのまま放置されているものもあります。安全であるための装置が事故を引き起こず原因になっているかもしれないのです。
そのため、毎日定期的な点検、整備を行い、事故を未然に防ぐことが、エンジニアーとしての仕事の一つでありまず。これが、機関のプロペラを回し、荷物を安全に目的地まで無事に運ぶことにつながります。
事故の未然防止。「これでいいいのか。こうあるべきか。」と自分に問い、疑問を感じ、回答がでなければ、一度本を読み直し、上司に相談を仰ぐべきだと思いまず。
私は、今回、大変苦い経験を得た。そして、「慣れ」の恐ろしさを知った。「慣れ」を自分から除去するには、「過信」を捨て、「油断」を無くす。そして、「かもしれない」と自分に問い、疑問を持ち、仕事に取むことが必要である。
あの時の悔しさと情けなさを二度と繰り返さぬように。
《佳作》
「たかが作業者…されど作業者」
入江 馨(姫路会場保安署)
ここは、四国の或る港町の岸壁に停泊中の499トン型砂利採取運搬船の機関室である。
室内には、人の声も聞き取れない程の騒音と雪虫のような白い綿ぼこりが一面に漂っており、まだ温もりの残った主機の上や床のプレ一トの上にも、一面にうっすらと白い物が降り積もっている。
今も頭の中から離れないある船内死亡事故は、もう20年近く前の晩秋か初冬のころのことであった。
船名やら関係者の名前等ほとんどを忘れてしまっているが、一寸した気の緩みが招いた悲惨な死亡事故だった。
当時私はA海上保安部の警備救難課に勤務していた。
管内にはこれと言った事件・事故もなく、「今日も平穏に終わりだな」と考えながら執務中の午後3時か4時ころ、あるい砂利採取運搬船の船長から「入港し着岸したあと、機関長が上がって来ないので機関室を見に行ったところ中で倒れている。」と一本の電話が入り、駆けつけた現場が冒頭の光景である。
倒れていた機関長は発電機のそばで片腕を肩の付け根から着衣ごと切断され、すでに死亡していたのであるが、誰がどのようにして外に運び出したのか、今は思い出せない。
目に浮かぶのは、機関室内一面に降り積もった綿ぼこりと、保安部の車庫内での検視の場面だけである。
切断された腕はたしか右腕であったと記憶しているが、では、何故このような死亡事故が起こったのであろうか。
問題は、当時機関長が着ていた服にあったと記憶している。
当時彼は、頭巾(フード)の付いたダウンジャウットのような物を着ていた。
そう、この着衣の一部…たぶん頭のフードの部分が、発電器の回転部分か機関室の天井下付近に設置されていたプーリーとVベルトに一瞬にして噛み込んで身体の自由を奪われ、Vベルト1こ肩の部分を切断されたものと推定されるに至ったように思う。
我々船舶に乗り込む者、船乗りの服装は、会社や館長など勤務先によって制服が決められているところもあるが、個人船主の小さな船会社の場合は自由な作業者の場合も多いであろう。
しかし、制服であろうが自由な作業服であろうが、船に乗り、海で仕事をする者としては、足元が揺れ、そばに回転する機械が存在する船内では、常に着衣に注意しなければならないのは当然のことであろう。
私は、仕事柄よく人身事故現場に臨場することがあるが、先程の事例に限らず時々あるのが5トン前後の底びき網漁船の漁網巻き取り用ローラーに人が巻き込まれる事故である。
昨今の底びき網漁船は人手不足のせいか一人乗りが多く、地域によっては機械の大型化と省力化のため、後部デッキに漁網を巻き取るためのネットローラーが設けられている船も多い。
時々「無人の船が旋回しながら航走している」とか「無人の船が漂流している…乗り上げている」との通報を受けて現場に駆けつけてみると、なるほど船上には誰も姿が見えない。「乗組員は海に転落したのか」とも考え、手分けして漁船の周囲やら船内を探すも見当たらない。「ひょっとして」と思って、船尾のネットローラーに巻き取られた漁網を解いてみると、網と網との間から変わり果てた乗組員の姿を発見するのである。
時として、腕など身体の一部を巻き込まれるだけで済む事例もあるが、ほとんどが死亡につながる事故が多いようである。
事故原因は、これまた着衣の袖口や胸腹部のボタン、雨合羽の裾、前掛けの一部が巻き取り中の漁網に引っ掛かり、そのまま漁網の中に巻き込まれると言うものである。
これが当事者以外に乗組員が居れば叫び声を聞いて駆けつけ、回転中のローラーのスイッチを切って大事に至らないのにと思われるが、内海の場合ほとんどが一人乗りであり、一旦漁網に巻き込まれてしまうとローラーのスイッチまで手が届かず、そのまま悲惨な事故となってしまうのである。
これらも着衣に一寸気を配れば防止できる事故ではあるまいか。
たかが作業着…されど作業着、なのである。
よく「服装の乱れは心の乱れ」などとも言われるが、一寸した不注意で、一瞬にして一度しかない一生を終えることの無いよう、お互いに心したいものである。
今日もまた、あなたが無事で帰宅するのを待つ家族のためにも。
《佳作》
「安全を管理するのは人の心」
旗手 安夫((株)双葉商会)
初夏を思わせる晴天のお昼時、静かな住宅街に突然、爆発音と共にキリモミ状に落下するヘリとセスナ。あってはならないまさかの事故が、付近住民の多くを恐怖と驚愕の淵に陥れた、常識では信じられない航空機衝突事故が先日報道された。
三重県桑名市上空で発生した、セスナ機とヘリの衝突は、搭乗者6名全員死亡と2軒の民家炎上を巻き込んだ、ショッキングなニュースであった。
あの広い青空で、何故両機が一点になる偶然が発生したのか、搭乗者全員死亡の結果、其の原因は専門家の推測の域を出ない。
当時の視界は10キロ以上であったと報じられており、時速数百キロのスピードを持つ乗り物の運航で、両者の全員が共に前方不注意の「見張り欠如」は信じられない状況である。
我々の職場である船舶が、一般公海上での相手船と対面した場合の避航方向は、左右の二点だけであるが、航空機では左右、上昇下降の四点に拡大され、其の運転性能は船舶とは比較にならない優位性を持っている。これらの条件下であっても「見張り欠落」「通信の怠り」「ミーティング無視」等の要因は、このように我々に待ったなしで大惨事への落とし宍を見せつけるのである。
私はこの痛ましい不可解な衝突事故を知った時、即座に両者が何故、有視界の中で、手早く避航する方向「右転します」など、相手に注意を促す交信が出来なかったのか疑問を感じた。と同時に、この交信の不備がどのような悲劇を発生させるものか、空と海では形態は異なるが、実際、我社でも5年前に発生した、通信不備の苦い経験とオーバーラップしたのである。
某日正午過ぎ「波浪が高く荷崩れの危険があるので、これからA港外に避難入港します。」と連絡したままT丸は消息を絶った。当日はそのまま無事避難したものと安心した会社の配船担当者は、その翌日、早朝一番の定時連絡にも応信の無い事に、無事出港して通信区域外を航行しているものと信じ、数時間後には必ず本船の方から電話がかかるものと、平常の業務に戻っていた。
ところが、T丸荷主からの一本の電話によりこのドキュメントは始まったのである。
「荷物の性質上、朝夕2回の動静連絡を取るように船長には依頼してあるのだが、本船からの電話連絡が全く入らないが、一体お宅の船はどうなっているのか!早急に本船との連絡を取って欲しい!」「申し訳ありません、昨日夕刻に荒天の為A港外に避難するとの連絡が入り、多分今朝出港したものと予想されます。通話圏外航行中のようで本船との交信が出来ておりません、もう少しすれば連絡が入ると思いまずのでしばらく待ってください。」その後会社側より30分毎に本船に交信を試みるのであるが、正午1こなっても全く音信は通じる気配がない。更に代理店より「A港を当日出港した小型船からの連絡によると、当港にはT丸らしき船影は見当たらなかった。」との連絡が入り、T丸はすでに航行している推測が強くなった。たった一本の交信をめぐって関係者は次第にいらだち始め、関係方面からの動静の催促が騒がしくなり始めると、社内においても次第に安否の雲行きがおかしくなり始めたのである。「おかしいではないか、あの船長に限って今ごろ走ってない訳がない。」「それでは何で電話をかけてこないのだ。」「なぜこちらからの電話が通じないのか。」「避難通報からまだ22時間しか経過してないのだから、そんなに騒ぐのがおかしい。」「それはちがう本船には、原発の重要機材を積んでいるのだ、もっと慎重に対応しなければいけない。」「たった1本の交信不備は様々な意見交錯を呼び、混乱は更に混乱を呼ぶ。必要なのは荷主の心配に対する本船の動静情報サービスである以上、担当者は焦りの中にどうしてもそれに答えなければならない重圧を感じ始めていた。
其のころ音信を絶ったT丸はどのような行動を取っていたのであろうか。避難した翌朝から積荷の点検や、ラッシングの締め直しに汗をかき、船舶電話の通信不能区域に錨泊したままのミスを知りながら、交信可能な位置への転錨シフトを怠っていた。
荷崩れ防止作業の正当性に甘んじて、あまり気にはとめていない認識不足があった。「電話は通じないが避難連絡後の行動であり、電話が通じなくても目下避難継続中であると、相手は思ってくれるであろう。」と、利己的に甘い判断をしてしまっていた。しかし、其のころ一方では事態は全く逆の方向に、加速しながら展開を見せ始めている事を知る由も無く、「みんなご苦労さん、少し休んでもう少し波の静まるのをまってスタンバイをしよう。」と、夕刻の出港にあわせて行動していたのである。
正午を過ぎると会社には、荷主、代理店、仕向けステベと関連会社よりひっ切り無しの電話が入り始めた。「こんな大事な荷物を積んでいるのに、貴方の会社の船は一体何を考えているのか。」「もう少し待ってください、いくらなんでもそろそろ電話が入るはすですから。」と、毎回同じ言い訳をしつつも、打ち寄せた波が引くように次第に自信は不安へと移り初めてゆく。
「もしかしたら電話機が故障しているのではないだろうか?」「故障の場合連絡を取る方法は無いだろうか?」「保安16チャンネルで海上保安部に呼び出してもらう方法がある。」と、工務担当者が口を挟む。「其処まで進むと遭難船扱いにはならないだろうか。」「もう少し慎重に対応しないといけない。」社内の空気は次第に険悪な方向に、進み始めている。
時間は焦りの中に刻々と流れ、想像は気づかないままに一人歩きしをはじめ、今日まで培ってきた安全運航への確信は、歯止めを失いつつある。16時過ぎ我社の船舶に限って何事も無いとは思うが、今までに無い連絡の不適切をなんとかしなければ、相手に対して申し訳ないと決断が下された。止む無くK保安部に事情を話し、保安16チャンネルの呼び出しを依頼。しかし、これが更に事態を大きくしてしまう結論を生むものであった。
こころよく協力に応じてくれた海上保安部ではあるが、常時聴取のはずの16チャンネルに、全く応答のない状況から、職業意識上、遭難船の可能性をもつ情報と判断され、いよいよ行動が開始されたのである。
「付近航行中の船舶並びに付近飛行中の保安部航空機への捜索依頼。」「遭難港であるA港への巡視艇の派遣。」甘い判断は、予期した方向に展開するより、多くの人を巻き込んで不幸な方向に進展する確率がはるかに高い。
僅かなミスショットが、風雲急を告げるクライマックスである。会社に対して保安部の事情聴取が電話で詳しく始まる。
T丸に対する「仕出し港」「積荷」「最後の通信内容」「乗組員」。「まだまだ遭難したものとしての扱いでは困るのですが。」会社も当惑気味な受け答え。
其の時「見つかりました!見つかりました!17時30分A港外S島影を出港中のT丸らしき船舶、確認を急ぎます。」会社とつないだ保安部の電話口より大きな声が聞こえてくる、「間違いありませんT丸です。」このドラマは此処で終わりますが、目に見えない糸で船舶と会社が、どのように強く結ばれているのか、緊密な交信連絡の重要性を、痛切に考えさせられたドキュメントでした。言うまでも無く、その後船長と会社には、厳しい指導を受ける結末になったのです。
前記の航空機衝突事故にも共通した、「こんなに広い空だから。」「大丈夫だろう。」「避難の一報は入れたから。」「面倒だから。」と、心の隙間に入り込むチョットした油断が累積し、反省も無く軽視していれば、やがては取替えしのつかない重大な結果を生むのは必然である。此処にあげた船長の対応は、安全対策として避難の処置は決して間違ってはいない。が、主観でのみ判断を下し、積荷の重要性を客観視することができてなかったヒューマンエラーの一つといえよう。
通信業務の重要性は語るまでも無い事であるが、それはあくまで効果的な一助であって、それらの機能を有効的に活用するのは、人間の「脳」であり「心」であり「行動」である。
正しい認識と行動が伴わない限り、いかなり最新の機能も、戦国時代ののろし信号以下に等しいであろう。
長い日々の中に心に隙の無い人間はありえなく、同時に危険の無い人間社会などありえない。そのため我々の立っている環境は、常に険しくそそり立つ山の尾根にあるのと同じで、周囲の環境や天候、足元の軽視は即、落下避難を呼び、その危険は入生そのものである。
昨日今日と繰り返される災害事故に目をそむけることなく、其の不幸を「憎み」「悲しむ」だけではなく、其の心を糧にして「真実安全第一」の社会を、私達は協力して築き上げなければならない。災害事故の多くの検証結果は、其の原因として人為的ミスを常に筆頭に上げているのである。ヒヤリハットの体験をオーバーラップさせないためにも「心に宿る安全」を目指そうではありませんか。
「あくまで安全を管理するのは、人の心である」ということを改めて考えてみたいものです。