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PROGRAMME NOTES
沼野雄司
オリヴァー・ナッセンの室内楽
 室内楽のための作品には、その作曲家の最もコアな部分が露呈すると言われる。もちろんナッセンの場合も例外ではない。とりわけ本日演奏される8曲は、この作曲家の魅力や凄みが、ダイレクトに伝わるものばかりである。 全体を通しての最大の特徴は、各曲の演奏時間が極端に短いことだが、これはナッセンの形式感覚を如実に示している。おそらく彼にとって、音楽の進行にゆるみが生じることは最も忌避すべきことなのだろう。だから、既存の形式は徹底して圧縮されることになる。 また、ほとんどの室内楽作品において、音楽外の契機が存在していることも興味深い。パヌフニクや武満の死、愛娘の不眠症、そしてパーセル没後300年……。いわばナッセンの室内楽は、音楽と自然の境界線に位置する一瞬のスケッチなのである。
01 マスク 作品3
Masks, op.3(1969)―for solo flute with glass chime
 
 1969年、作曲者17歳の年に書かれたフルート小品(高音のチャィムを伴うことも可)。
 冒頭の主題部は、厳格なセリーによって構成されており、その扱いが多少自由になる中盤以降においても、12音のセットはさまざまな形で意識されている。そして最大の特徴は、全編にわたって、演劇的な仕掛けが施されていること。奏者は舞台裏で演奏を始め、聴衆の前に姿をあらわしてからも、スコアの指定に従って3つの位置を移動せねばならない。また、簡素ながらも効果的なのが、途中で奏者が顔を正面・右・左に向けるという指示。一本の旋律線に対して、視覚面からポリフォニックな性格を与えているわけである。(約8分)
02 《…ひとつの音に》―パーセルによせる幻想曲
…upon one note-after Purcell(1995)―for chamber ensemble of 4 players
 
 1995年の作曲。この年のオールドバラ音楽祭では、没後300年を迎えるヘンリー・パーセル(1659-95)の作品を3人の現代作曲家(ジョージ・ベンジャミン、コリン・マシューズ、ナッセン)が自由にアレンジすることになった。《一音にもとづく幻想曲》(Z.745)を選んだナッセンが、この旋律を基にして3分ほどの小品に仕立て上げたのが、《…ひとつの音に》である。
 曲は、各声部が幻想的にたゆたう主部と、朗らかなテンポの副部からなる。奇をてらったところのない素直な響きからは、イギリスの作曲家たちがパーセルによせる敬意が感じられよう。(約3分)
03 ソニアの子守歌 作品16
Sonya's Lullaby, op.16(1977-78)―for solo piano
 
 1978年の作品。タイトルは、作曲当時、ナッセンの娘ソニアが不眠症にかかっていたことに由来する。
 ナッセンがこの作品で探求しているのは、ピアノの最低音から生じる倍音の響き(彼は幼い頃から、スクリャービンやカーター作品における、この種の効果に魅惑されていたという)。減衰してゆく低音の上で、層を成すようにしていくつもの旋律や和声が重ねられていく過程は、まさに夢と現実の境目を思わせる。曲の性格上、演奏の成否はダンパー・ペダルの微妙な操作にかかってこよう。マイケル・フィニシーによって、1979年1月、アムステルダムで初演された。(約6分)
04 オフィーリアのダンス 作品13
Ophelia Dances, book1, op.13(1975)―for chamber ensemble of 9 players
 
 1975年の作品。タイトルの「オフィーリア」はもちろん、シェークスピアの「ハムレット」の登場人物。スコア冒頭には、オフィーリアが川で溺死したことを告げる王妃のセリフ(第4幕7場)が引用されている。全体は8分ほどの短さながら、ピアノとチェレスタの掛け合い、どこかぎこちないダンスのリズム、ホルンの絶妙の用法など、聴きどころは多い。
 初演は、リチャード・ストルツマン、ワルター・トランプラー、リチャード・グード、マイケル・ティルソン・トーマスなどの豪華メンバーによって、1975年5月9日、ニューヨークで行われた。(約8分)
05 エレジアック・アラベスク作品26a―アンジェイ・パヌフニクの思い出に
Elegiac Arabesque―in memory of Andrzej Panufnik, op.26a(1991)―for cor anglais and clarinet
 
 1991年作曲。同年にこの世を去った「パヌフニクの思い出に」捧げられた、コーラングレとクラリネットの二重奏である。パヌフニクは20世紀ポーランドを代表する作曲家だが、母親はイギリス人であり、本人も後半生はイギリスに帰化しているから、ナッセンにとっては近しい存在だったに違いない。
 曲は、息の長い2本の旋律がゆるやかに絡みつくアラベスク。コーラングレのひなびた響きが実に効果的に用いられている。(約4分)
06 ホイットマン・セッティング 作品25
Whitman Settings, op.25(1991)―for soprano and piano
 
 1991年作曲。アメリカの詩人W.ホイットマン(1819-92)が1855年に出版した「草の葉」から選んだ4つの詩による、小さな歌曲集であり、ナッセンの代表作の一つとして知られている。翌年にオーケストラ版がつくられていることをみても、作曲者自身、いかにこの曲集を重要視しているかが伺えよう。
 自然と永遠を主題にしたテキストが、音楽と触れあって俳句的な風情を醸し出す様子は、いわばナッセン的な「ミニチュアリズム」の白眉といえる。
I「博学な天文学者の講義を聞いた時」:無意味な理屈のくだらなさと、星々の神秘的な輝きの対比。
II「もの静かな辛抱づよいクモ」:次々に糸を繰り出す徒労、そして儚い希望が、どこかためらうような響きで綴られる。
III「鷲のたわむれ」:二羽の鷲の躍動する身体が、瑞々しい音の飛沫によって描かれていく。
IV「雨の音」:永遠に循環する水の風景。しっとりと全曲を包みこむような響きで曲集を閉じる。(約10分)
07 祈りの鐘 素描―武満徹の思い出に
Prayer Bell Sketch―memory of Toru Takemitsu, op.29(1997)―for solo piano
 
 1997年作曲。前年にこの世を去った武満徹に捧げられた小品である。もともとナッセンと武満の音楽にはいくつもの共通点があるが、滑らかな息づかいの和音が続くこの作品などは、まさに武満風といえる雰囲気を持っている。
 しかし、逆にいえば、だからこそ二人の違いも際だつわけで、例えば中盤からの拍節的な繰り返し部分や、終盤での鐘の連打を思わせる響きには、ナッセンと武満の本質的な嗜好の差異が現れていよう。
 1997年9月22日、東京オペラシティコンサートホールにて、ピーター・ゼルキンによって初演された。(約5分)
08 声なき歌 作品26
Songs without voices, op.26(1991-92)―4 pieces for 8 players
 
 1991年から92年にかけて作曲された、8楽器のためのアンサンブル作品。今のところ、ナッセンの室内楽の最高峰といってよいのではないだろうか。彼ならではの鋭敏な耳が産み出す魔術的な響きは、ブーレーズの《ル・マルトー・サン・メートル》にも匹敵する鮮やさを誇っている。
 全体は4曲からなるが、この内1〜3曲は、特定の歌詞のシラブルを想定した、まさに「声なき歌」として作曲された。一方、第4曲は、パヌフニクの死に際して作られた《エレジアック・アラベスク》の編曲である。初演は1992年4月26日、ニューヨーク。
I「ファンタスティコ(冬の薄片)」:冒頭のホルンの音型から、楽想が縦横無尽に炸裂してゆく痛快な楽章。
II「マエストーソ(平原の日没)」:緩徐楽章に相当。仄かな対位法を用いて、ゆったりと螺旋を描くように、音楽の密度を高めてゆく。
III「レッジェーロ(最初のタンポポ)」:スケルツォ楽章に相当。微細な動きがきわめて立体的な交錯をみせる。
IV「アダージョ(エレシアック・アラベスク)」:8つの楽器によって、原曲により大きな拡がりが与えられている。(約11分)








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