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吟詠・発声の要点 第二回 1.吟詠発声法の特徴〔総論〕
(1)吟詠の生い立ちから見た声の特性
原案 少壮吟士の皆さん
監修 舩川利夫
詩の誕生と共に詩吟あり?
 吟詠の声は大きくて強い。邦楽で歌が主体となる種目のなかでも、一番大きい声を使う。その声の性質は時に朗々と響き、また時には喉から絞り出すような音質となることがあり、それが吟詠の持ち味の一つであるとも考えられている。
 その当否は後述するとして、そうした歌い方は何に起因しているのか。吟詠が「邦楽」の中でどういう位置を占め、どのような歴史を持ったものなのかに焦点を当てて、特徴の背景を探ってみよう。
 NHK・FM放送で少壮吟士などの吟詠を放送する番組名は「邦楽のひととき」という。この時間帯にラジオから流れてくるのは曜日によって吟詠の他、義太夫、地唄、筝曲、尺八、長唄、小唄、端唄などである。これでもわかるように、私たちが普段、邦楽と呼んでいるのは、こうした日本の音楽の中でも近世に発展した筝、三味線、尺八などの音楽と、それらと共に歌われる歌唱芸能の類を指している。これがいわば狭い意味での邦楽であり、対照的にもっとも広い意味では、洋楽など外国の音楽に対して日本の伝統音楽全体を指す言葉として使われる。
 従って吟詠は狭い意味での邦楽の部類に属しているといってよい。
 現在のような節調の吟詠が、いつの時代にできあがったかについては、はっきりとは解っていない。
 歌の大本をたどれば人間の歴史の中で、初めに言葉があり、一定のリズムと韻を持った詩が作られ、それを人に伝えるために、状況によってゆっくりと、しかも一定のボリウムを持った声で、やがて”美しく詩情を伝える”という芸術的欲求から節調がつけられ―という過程を経て「歌」や「朗詠」が誕生した、と考えられる。地球的に見ればインドでは五千年前から、既に詩が朗誦されていたといわれ、中国の詩は元々、吟ずるため作られたものだという。
優美流麗が基本
 吟詠の歴史について、静山・榊原帰逸著、詩吟道大鑑からの一部を引用させていただく。
 「尾崎弥太郎という人の西洋楽譜日本詩吟集という書物の中に“日本音楽の粋といわれる歌唱芸術詩歌の朗吟は古来、幾度も盛衰変遷を経て今日に至っているが、最も盛んであったのは中世(平安時代)、当時博学宏才の殿上人の間に優美華麗な旋律で詠じられている”と書かれている。
 元禄時代は文学が盛んになり碩学宏儒が続々世に出て詩賦の朗吟も盛んであったが、大平の徳川の世を謳歌するものに対して皇室の式微を悲しみ、武家政治の専横を憤り、詩を痛歌する人々が出て来たため、在来の優美流麗な節調に加えて悲壮雄偉な口調になり、更に幕末維新になり全て音楽的な教養なく、昔の優雅な日本旋律を錯乱し、ただ赤心愛国の情一つで国事に尽粋している熱血の書生が、自己流にただ大声でどなるのが詩吟と考えられ、朗詠がいわゆる書生唱歌となってしまっている」
 つまり詩の朗吟は、平安時代から優美流麗な節調が受け継がれてきたが、幕末になってそれが乱れ、節調ばかりでなく、声の質そのものが、ただ大きいだけの“がなり節”となってしまった、そのいきさつが語られている。現代の吟詠が、特に男性の吟で“強い声”をことさら強調しているのは、ここから始まっている。励まし、激しい歎き、憤りなどの表現に、強い声は必要だが、朗吟はもともと優美で流麗なものであることを心に留めておきたい。
 また朗詠について「朗詠は平安朝の中期から中世にかけて行なわれた漢詩文の詠唱のことで、今日の詩吟に似てはいるが、今日の詩吟そのものではない」と記され、吟詠の成り立ちに影響を与えた日本の民族芸能として「今様、平家琵琶、薩摩・筑前琵琶。また仏教伝来につれて広められた声明などの影響が見られ、特に琵琶を専攻して吟詠家になっている人には、独特の味がある」としている。
 琵琶は現代の吟詠の発声法、特に関西地方のそれに影響を与えている。大正、昭和の吟詠が盛んになったとき、主に関西で多数の琵琶師が吟詠に転向して、普及に一役買ったためであり、同時期の浪曲から転向した吟詠家によって、独特の声の出し方が広められたことと合わせて、吟詠の発声を特徴づける一つの要素となった。
幕末以降の盛衰
 前の引用文で、幕末維新にかけては吟詠の質が変わったことだけ触れているが、一方、吟詠が今日のような体裁で普及し始めたのも、江戸時代末期からであった。それも広瀬淡窓(一七八二〜一八五六)の影響が大きいといわれている。淡窓は私塾・桂林荘を造り、正しい学問を教え、優れた人材を養成することに心を砕いた。その門人は四千人といわれ、多数の逸材を世に送った。全国から集まった門人達を元気づけるため「桂林荘雑詠」のような詩を作り、皆で吟じ合った。学業を終えてそれぞれが郷里に帰り、詩を朗吟したであろうことは容易に想像がつく。
 やがて大政奉還が行なわれ、徳川幕府の終焉と共に明治維新になると、世界の国々との交流が始まり、あらゆる国の文化、特に欧米の国々をまねて西洋文明一辺倒となった。それにつれて儒学者や漢学者は地位を失い、漢詩の権威も落ちて詩吟が衰微した時期があった。
 そうした曲折を経ながらも吟詠は吟じ継がれ、大正末期から昭和にかけて再び盛んになってくる。この頃、詩吟を今日の隆盛に導くためにご尽力くださった先輩諸氏の名前は、私達が存じ上げている方が大勢いらっしゃる。戦争中は士気を鼓舞するために盛んに吟じられたことであろう。
 終戦後は連合軍司令官マッカーサーの命令により、詩吟は軍国調だということで一切禁止されるが、後に理解を得られ、昭和二十五、六年ごろから再び盛り返し、現在に至っている。この間、昭和四十三年に財団創始会長笹川良一先生の下、財団法人日本吟剣詩舞振興会が設立され、北は北海道、南は沖縄までが一つにまとまり、全国的な交流と発展を見るに至っている。また、財団設立に合わせて、文部科学省から「吟剣詩舞」が「邦楽」と並ぶ伝統芸能の一つとして認められるようになった。
 音楽性の高い芸術吟詠が高唱され、吟詠の伴奏集を制作、普及するなど、近年の質的充実には目を見張るものがある。これには財団笹川鎮江現会長、作曲家舩川利夫先生の心血を注いでのご指導が大きく貢献している。
 
(この項の原案・佐々木一景少壮吟士)








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