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明日への提言
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笹川鎮江
 
今、思う小林虎三郎「米百俵」の越後長岡藩を救った「常在戦場」の家風
 本年七月号の本欄で、小泉首相が、所信表明演説で「今の痛みに耐えて明日をよくしようという、米百俵の精神が必要」と、越後長岡藩士・小林虎三郎の故事を引用されたことを書きましたが、この米百俵の故事には、この言葉を支えた、もう一つの言葉、「常在戦場」という長岡藩の家風があったことを忘れてはならないと思います。
 それは戦国時代の長岡藩初代藩主・牧野忠成の時代に培われた家風で、戦国時代、三河にあった牧野家は、今川、武田、織田などの間に介在し、その地形から絶えず戦闘の危機にさらされていました。そこで、常に戦場に在る心構えをもって、周囲に注意を払わなければならないという「常在戦場」の家風が生まれました。
 「米百俵」は、長岡藩が戊辰戦争に敗れ、窮乏にあえいでいたとき、支藩の三根山藩から救援米百俵をもらいますが、小林虎三郎は、これを藩士たちに分配しようという意見を押し切って、長岡藩の未来のため、人づくりのための学校建設資金に充てたという故事です。しかし、この時の藩士たちとのやり取りは、決してなまやさしいものではありませんでした。白刃を振りかざして藩士たちは抗議していたのです。その時、虎三郎が藩士たちの前に揚げ、諭したのが質実剛健の武士生活を説いた長岡藩の家訓ともいうべき「三州牛久保之壁書」(その冒頭の言葉は「常在戦場」の四文字で始まる)であったのです。これを言い出された藩士たちは二の句が継げずに承知したそうでございます。
 さて、世界は今、テロ組織根絶に向けて力を合わせようとしています。まさに「常在戦場」にあると思うのですがいかがでしょうか。
 
表紙説明
名詩の周辺 月夜禁垣外を歩す
(柴野栗山作)
京都・京都御所
 京都市上京区にある旧皇居。美しい芝生と樹木が茂る京都御苑の中央北部にあります。現在の御所は、南北朝時代に北朝の光厳天皇が里内裏の一つであった土御門東洞院邸を皇居とされて以来のことで、以後、信長や秀吉、徳川幕府等によって十一回に及ぶ造営がありました。現在の建物は一八五五年(安政二年)に古制に則って再興されたものです。南に建礼門、北に朔平門、東に建春門、西に宜秋門・清所門・皇居宮門を置き、御所の正殿として紫良殿が建礼門の正面にあります。周囲は五筋の白線をつけた薄い泥色の築地塀と清瀧の溝をめぐらせており、作者は夜、この外塀にそって歩いていてこの詩を作ったといわれています。作者三十歳ごろの作品です。
 (表紙の撮影及び掲載には宮内庁京都事務所の許可をいただきました)








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