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’02剣詩舞の研究(六)   一般の部
石川健次郎
剣舞
「偶成」の研究
西郷南洲作
(前奏)
大声酒を呼んで高楼に坐す
豪気呑まんと欲す五大洲
一寸の丹心三尺の剣
を握って先ず試みん侫人の頭
(後奏)
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西郷南洲銅像
◎詩文解釈
 作者の西郷南洲(一八二七−一八七七)は、犬を連れた上野公園の銅像で庶民に親しまれてきた幕末・明治維新の偉人である。彼は江戸末期、文政十年に鹿児島の薩摩藩士・西郷吉兵衛の長男として誕生、幼名は小吉から吉之助、吉兵衛などといろいろ改め、維新後は隆盛と称した。因みに南洲は雅号である。
 ところで西郷南洲の生涯で、何時頃この詩を詠んだかを推定することで、詩文の解釈や構成振付のヒントが把握出来ると思うので、次に南洲の事績を追ってみよう。彼は若年から藩校造士館で学び十七歳で郡方書役として藩に仕え、農政を指導し改革の必要をとなえた。島津斉彬が藩主になってからは、南洲の実力が認められ側近の一員として藩政の改革に從事、安政元年には斉彬に從って江戸に出て、御庭方役として国事に奔走した。安政四年には将軍の跡継ぎ問題が起こり、南洲は斉彬の命をうけて、一橋慶喜の擁立に奔走し、更に幕政の改革をも図ろうとした矢先に斉彬が病死、井伊直弼が大老となって反幕派に対する締めつけが厳しくなり、いわゆる安政の大獄が起こった。
 さて、その後失意の南洲は、親しい勤皇僧の月照と鹿児島湾に身を投じたが救われ、彼は奄美に三年流された。許されて上洛したものの島津久光の怒にふれて徳之島等に再び流された。元治元年、許された南洲は薩摩藩の軍賦役になり、長州戦争の幕府側の指導者として彼は軍人としての活躍時代に入る。その後南洲は公武合体から尊王討幕へ転換、江戸城無血開城に尽力したのは有名。しかし新政府体制で彼の征韓論は入れられず、帰郷したことから郷里の不平士族に擁されて西南戦争をおこして敗れ、自刃した。このような敬天愛人を信条とした彼の正義観を背景に、まず詩文を解釈してみよう。「自分は見晴らしのよい大広間に坐って大声で意見を述べ酒を呑んでいると、自ずから壮大な気分となり、全世界を呑み込むほどの意気が漲ってくる。自分は一介の人間だが国に尽す真心だけは厚く、いざと云う時は刀剣を持って、場合によっては鉄挙をふるって悪人の頭に一撃を食らわし懲らしめてやる」と云うもの。
◎構成振付のポイント
 前項の詩文解釈で述べた様な西郷南洲のイメージは、彼が初めて江戸に出て、斉彬の命で国事に奔走した時代が最も相応しいと思われる。当然仲間との論議もあり、困難と出会った不特定の敵との争いを想定して、剣舞構成を考えてみたい。
 前奏は同志と連れ立って座敷に入り、窓を開けて着座する。起句は声高の論議を笑いのうちにおさめ、酒の応酬となるが、注しつ注されつは最初だけにして、承句は一方的に受ける盃とし、それも扇の骨を順次広げて大盃で締め括ると面白い。転句は側面から侵入して来た幕吏との戦いを受け身の形で見せる。まず扇の大盃を投げすてると、すぐ手もとの刀を取り抜きつける。二・三斬り合いの型を見せ、結句は刀を取り落とすと、相手に肉薄して挙で鳩尾を突き、直ちに鞘を持ち替えて面を打って相手を倒した思い入れ。落とした自分の刀を取り上げて、相手を睨み付けたポーズを見せた後に納刀して、余裕たっぷりに退場する。
◎衣装・持ち道具
 黒または若い西郷さんのイメージの色紋付きに縞か無地の袴がよい。扇は盃の見立てに使うが白扇が無難であろう。
 
詩舞
「隈川雑詠」(その二)の研究
広瀬淡窓作
(前奏)
観音閣上晩雲帰る
忽ち鐘声の翠微を出ずる有り
沙際舟を争うて人未だ渡らず
双々の白鷺江に映じて飛ぶ
(後奏)
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広瀬 淡窓(作者)像
◎詩文解釈
 この作品は作者広瀬淡窓(一七八二−一八五六)の同題三首の一つで(その一)は平成九年度の剣舞一般の部の指定吟題に選ばれたから參考にされたい。
 隈川は作者の淡窓が住んでいた豊後(大分県)日田の南を流れる川で、川が分岐するところに亀山(現在亀山公園)があり、その山頂に観音閣があって、夕暮れどきの風景は、絵画を見るように美しい。その一では、この場所が戦国時代の古戦場であったことで、幻想的な趣向で構成されたが、今回のその二では写実に当時(淡窓が眺めた江戸末期)の情景を具象的に述べているのが特徴である。詩文の意味は「観音閣の上空には、夕暮れに染まった雲が美しく棚びき、その雲に見とれていると、ふと山腹から鐘の音が聞こえてくる。その音にさそわれて目を川の方向に転ずれば、水際では渡し船の客が席を取り合っていて、なかなか出発しそうにないのが見える。そんな折から二組の白鷺が下界のことなど気にもせず、美しい姿を川面に映して飛んでいる」と云うもの。
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隈川と亀山公園
◎構成振付のポイント
 この詩文には、作者広瀬淡窓の故郷であり、彼が私塾「桂林荘」を開いて門弟の育成に務めたこの地域に対する深い愛着が感じられる。詩文の前半は全くの情景詩であるが、転句からは人間臭さを少々のぞかせ、最後には、清らかな白鷺の耽美的描写で終る。詩舞構成としては演技者の風貌や性格的な事を考えて、例えば前奏から起句にかけて作者の役で登場し、亀山上空の雲を眺める振りや、或いは女性の演者で、結句の白鷺を冒頭に使って、鷺が優雅に舞いながら登場、起句は飛行の振りを見せ、その鷺を見る作者に役替りする。承句は詩文に適応した作者の振り。転句で問題なのは乗船客達の争いの描写である。一人芝居でも色々に振りが付けられるが、特に具象的にするか、又は抽象的な争いの振りにするかは前後の流れで決める。そして転句の終りは作者がはらはらしながら眺めている振につなぎ、ふと空を眺めるきっかけで結句の鷺の舞の描写になる。ここでは当然扇を使って美しさを強調し、最後はそのまま退場するか、または作者に戻って、再び思い入れを見せて退場する。
◎衣装・持ち道具
 役作りを考えると、男性は作者が主体になるから、あまり派手にならず、演者に似つかわしい色無地の着付と袴の組合せ。女性で前項で述べたような冒頭から鷺で登場するなら白地の着付と袴が効果的である。扇は白鷺で使う部分は白扇、作者役の部分では雲型や霞模様がよい。








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