'02剣詩舞の研究(四) 一般の部
石川健次郎
剣舞
「坂本龍馬を思う」の研究
河野天籟作
(前奏)
幕雲日を掩うて日将に傾かんとす
南海の臥龍帝京に翔る
一夜狂風幹を折ると雖も
維新の大業君に頼って成る
(後奏)
終焉の地(京都)に建つ龍馬の銅像
◎詩文解釈
作者の河野天籟(一八六八〜一九四八)は熊本県出身の教育者で、青年期に詩を学び「祝賀の詞」など有名な作品を残している。
さてこの詩は天籟が幕末の志士として名高い坂本龍馬の功績をたたえて詠んだものであるが、詩文を理解するために、まず龍馬について少し述べておこう。
龍馬は天保六年(一八三五)に土佐藩の郷士、坂本八平の次男に生まれ、十八歳で江戸に出て北辰一刀流の道場に通った。その後、水戸藩士らと交わり、また土佐勤王党に參加したが、二十七歳の三月に幕臣勝海舟の門に入り、海軍操練所などの超幕府的路線に尽力した。また西郷や木戸とも会って薩長の和解、連合に努めた。しかしその頃幕吏に襲われた所謂“寺田屋事件”などに巻き込まれたが、彼は怯むこともなく土佐藩主山内容堂を動かして幕府の大政奉還を実現させた。一方彼は新政府による新しい時代を作り上げるために身を挺して活躍する最中、慶応三年(一八六七)十一月に京都で暗殺された。
さて詩文には以上の経緯が詠み込まれているので、その内容について述べると「王政復古の気運が漲っているときなのに、徳川幕府の勢力がこれに反対の圧力をかけ、国運が損なわれようとしている。そんなときに土佐出身の坂本龍馬は立ち上がって京都を駆け巡り、大政奉還のために尽力した。だが狂った風が大樹を吹き折るように、ある夜龍馬は凶刃に斃れたが、しかし龍馬が死んでも明治維新の大政奉還は実現した。これも、ひとえに龍馬の働きがあったおかげであった。」というもの。
◎構成振付のポイント
作者の河野天籟ならずとも、現代人の坂本龍馬に対する人気が高いのは、彼の伝記小説やテレビドラマなどの影響もあろうが、龍馬自身が青年期にペリー来航という歴史的な事件に遭遇して、海防の思想を呼びおこし、そして諸外国との交流に目を向けたことなど、又さらにそれらを実現するために彼は身を挺して倒幕、新政府運動の推進力となったことなど、現代風に云う“やる気人間”ぶりが大きな魅力となったのであろう。また京都の近江屋での暗殺事件は大変衝撃的で、龍馬は日頃から新撰組や京都見廻組などの佐幕派には気をつけていたが、当日は近江屋の二階で陸援隊長の中岡慎太郎と用談中に二人の刺客に襲われた。先にとび込んで来た賊は中岡慎太郎の後頭部を斬り、続く一人は龍馬の前頭部を横に払った。龍馬は床の間の刀を取ろうと体をひねったスキに右肩から背骨に二の太刀が襲い、続く三の太刀は、刀を取って立ちかけた龍馬の前額を割った。階下の者に声をかけようとしたが、最早や声にはならず、その場にうつ伏せに倒れこときれたと伝えられている。
さて舞踊構成だが、題名からは作者の思いによる三人称の振りが予想されるが、詩文からは龍馬自身による一人称振りの方が流れやすい。また剣舞の迫力を見せるためにも“龍馬暗殺”をポイントにして構成を考えよう。
まず、前奏と起句は重々しく気くばりしながら登場、姿を見せない敵に対して無気味な気分で、居合の型などによる切りつけを四方にこころみる。承句は刀による自己顕示をした後で、強力な刀法の攻めを正面、両側面に働きかける。転句は前に述べた近江屋での状況を参考にして、激しい手負いの刀法を見せる。結句は大政奉還を、刀を捧げる型に置き変えるなどして間接的に龍馬の偉業を見せる。この場合に扇を添えたり、また単独に“たつばい”などの振りと組合せるのも変化があってよい。
◎衣装・持ち道具
激しい戦闘の様子を演じるが、主眼は暗殺での受け身だから、黒紋付か地味な色紋付がよい、鉢巻たすきは不要。扇は振付によるが前項の場合なら雲型、霞模様、または白扇がよい。
詩舞
「青葉の笛」の研究
松口月城作
(前奏)
一の谷の軍営遂に支えず
平家の末路人をして悲しましむ
戦雲収まる処残月あり
塞上笛は哀し吹きし者は誰ぞ
(後奏)
◎詩文解釈
作者の松口月城(一八八七〜一九八一)は福岡の出身で意欲的な詩作を続けた現代の漢詩家である。この作品の大意は、一の谷の合戦で破れた平家の人々に対する挽歌とも言えるもので、詩の内容は「平家は一の谷で源氏の攻撃に堪えきれず多くの武将を失ったが、その悲惨な運命を思うと心が痛む。今は戦場の跡を有明の月が照らし、またとりでの上では誰が吹くのか悲しげな笛の音だけが聞こえてくる」というもの。
一の谷の源平合戦は寿永三年(一一八四)二月四日、源氏の奇襲で平家は忠度・道盛・盛俊らが戦死、敦盛は愛笛にかまけて軍船に乗り遅れ、熊谷直実に呼び戻されて組み打ちとなった。しかし敦盛の若武者振りに直実は命を助けたいと思ったが、源氏の軍勢に囲まれてこれは果せず、ついに若き敦盛の首を打ったが、その遺体には愛用した「青葉の笛」がしっかりとにぎられていたと言う。世の無常を悟って直実が出家したのはこの直後であった。
平 敦盛(屏風図)
◎構成振付のポイント
この作品のタイトル「青葉の笛」は、平敦盛が愛用した笛の銘である。然し作者松口月城の詩文には敦盛の実名こそ出てこないが、作品全体には敦盛のイメージが強く感じられる。そこでまず起句から承句にかけては、平家の武将、勿論敦盛一人に置き替えてもよいが、戦を写実に見せるため前項を参考に手負いの振りを一人称で表現すると分りやすい。転句は戦死者を弔う心で、例えば熊谷直実に役変りして回向の様子の中に“月”をからませて無常観をもり込む。結句は作品のポイント“笛”を表現するのに、転句の流れを受けた直実が遺品の笛を取上げると、何処とはなしに聞こえてくる笛の音に、次第に幻覚して、幻想の敦盛に再び役変りして、笛を吹きながら舞い、やがて消えてゆく(退場する)。參考までに、能「敦盛」の後半では、ワキの蓮生法師(熊谷直実の出家名)が一の谷で敦盛の回向をしていると、敦盛が在りし日の姿で現われ無常の現世と、合戦の様子を物語り、なおも回向を乞うという筋になっている。
◎衣装・持ち道具
前項で述べたような敦盛と直実の二役を演ずるならば、着付、袴とも、グレー系(銀ラメも可)ブルー系がよい。月の表現にも笛の振りに活用するにも黒骨の銀扇が適当。白布の鉢巻は直実の数珠の見立にも使える。