明日への提言
笹川鎮江
二十一世紀初の「歌会始の儀」の最年少入選者は高校三年生でした
前号では、昭和天皇の宮中・歌会始めのご詠出などを紹介しましたが、今月は二十一世紀最初の「歌会始めの儀」となった今年の詠進歌についてお話をしたいと思います。
お題は「草」でしたが、次に紹介する最年少入選者の後藤栄晴さん(兵庫県・高校三年生)の詠進歌がたいへん話題となりました。
青春の まっただ中に 今はゐる
自分といふ草 育てるために
いかにも若々しく、二十一世紀の初頭を飾るにふさわしいお歌ではないでしょうか。
サミュエル・ウルマンの自由詩「青春」に詠われたように、青春とは心のもち方と考えますと、この歌は、年齢を超えた、誰にでも希望を与える素晴らしい響きを感じさせてくれるものとなります。
また、今年の成人式では、若者たちの荒廃ぶりが話題となったところもありましたが、その後の周囲の毅然たる態度も若者に反省をうながすことになったと思います。
宮中・歌会始めの儀にお若い人から、このような素晴らしい詠進歌があったことなど、平成十一年八月に制定された国旗国歌法に則った学習指導要領により教育現場にも変化が起こり、お若い人たちに日本というものを見つめ直す機運ができつつある証拠とはいえないでしょうか。
表紙説明
名詩の周辺 良寛作詩集
・時に憩う ・余 生
・半 夜 ・意に可なり
新潟・出雲崎
良寛さんの名で広く親しまれている良寛和尚は、江戸時代末期の僧侶で、越後(現在の新潟県)出雲崎の生まれ。
家は代々名主と神職を兼ね、良寛はその長子でしたが、成長していったんは名主見習いとなったものの、二十二歳の時出家、備中玉島で国仙和尚のもと、禅宗の修行に励みます。
その後、諸国を行脚し、帰国して西蒲原郡国上山に「五合庵」という庵を建て、ここに十三年間住みました。良寛さんは生涯、寺を構えず、無一物に徹し、清貧の思想を貫きましたが、詩人、歌人、書家として有名で子供好きとしてもよく知られています。
良寛さんの生地、新潟出雲崎には銅像をはじめ、良寛堂、良寛記念館、良寛生家菩提寺や良寛さん剃髪の寺などがあり、良寛さんを偲ぶ、数々の遺品や書に接することができます。