「ロボットに技術的限界があるか」 飯久保 郁弥
知人の招待によって、最先端技術によるロボットに接見、操作が出来るという機会に恵まれ、始めて女性と見合するようなワクワクした気分と好奇心を持ちながらロボットが展示されている会場に出かけたのである。
会場に入る前に、前もって用意されたパンフレットや、説明書(ロボットの役割、簡単な性格!?などが書いてある)を読んで、興味のあるロボットを限定して選び、私は人間形のロボット(ホンダ)と子犬形のロボット(ソニー)の待機(展示)しているブースに直行した。
まず最初に驚かされたのは、私の顔を見るなり、ロボット君に挨拶されたのでこれにはいささか参ったが、気持ちを落ち着けて接見し、これらのペースで、話しかけてみると、私の話し方にぎこちなさがあることを見透かしたかのように、相手(ロボット)は子供のような振る舞いで、指示したとうり言うことを聞き、返答してくれる。
次の犬(ロボット)は目が合うと子犬のように愛くるしい振る舞いで、尾を振り、甘えているかのように挙動する。怒ればなんとなく悲しいような顔をする。どちらのロボットも感触さえ柔らかければ、人間であり、動物(犬)であるかのような錯覚をおこしてしまう。短時間の接見であったが改めて先端技術の進歩に驚かされ、感動させられたのである。他社のロボットも見て接見、操作したかったが、時間の関係で諦めた。
帰途、ふと、思ったことは将来航空機の操縦、整備までロボットがしてしまうのではないか?我々の職業、職場はなくなるのか、ロボットに期待を抱きかけた我が身に、自問自答、その時の自答を私なりに考えてみたので以下に述べてみたい。現実にハイテク航空機、宇宙船、等はコンピューターの発達で自動操縦、宇宙探査機は無人機、このようにコンピュータ(ロボット)は人間に変わりつつあり、今後も正確さや耐久性では人間をはるかに凌(しのぐ)であろう。しかしながら、高度な「知性」が要求される仕事はおのずから限界があり、人間の脳とコンピューターでは根本的な違いがあるはずで、感覚、視覚、聴覚、触覚、臭覚、これら5覚に、よく言う第6感、このように人間には、「総合的な状況を瞬時に判断する能力、それにひらめき」がある。
これは人間だけでなく動物の脳にもあてはまるのではないか、つまり生物には、まだ科学では解明の糸口さえもつかめておらず、奥の深い不可思議な能力が多々秘められているのであり、ロボットは人間がプログラムした通りしか動かない。
航空機の操縦(オートパイロット)は今後もさらに発達するであろうが、やはり人間の同乗は不可欠であり、整備についても期待はできないであろう。航空機の整備は故障探求と部品交換だけでなく、検査(定期、日常、その他、)が重要であり、その検査に占める割合の六〇〜七〇%は整備士の目に頼る「目視検査」であり、従って、その人の目の良しあしが結果に直接影響することになるが、この目の良し悪しは「視力」のことでなく、知識、経験、それに伴う人間個々の感(6感)が大きく左右するもので、これをロボットに求めることは不可能であろう。
人間(生物)とロボットの間には、どうしても越えられない深い溝があり、これは今後、コンピューターの性能が百億倍向上したとしても総合的な判断能力に近い人工知能は、現在の技術ではまったく無理で未来永劫に不可能である可能性も否定できないと、ロボットを研究し、開発している技術者達の言葉を聞いた記憶がよみがえった。
さきに述べた人間には総合的な状況を瞬時に判断する能力とひらめきがあるが、これらは寝ていては能力の向上は期待できなく、やはり常日頃の鍛練が大切である。