3. 日本海における高密度水の形成と循環
何らかの方法で,表面水の密度を十分に大きくすることができれば,重くなった表面水は豊富な酸素とともに深層に沈み込むことができる.日本海には,黒海と違って,このようなからくりがある.海水の密度を大きくするには,温度を下げたり,塩分を増加させればよい.ここで「1.はじめに」で述べた日本海の2番目の特徴が重要な役割を果たす.真冬のシベリア寒気団にさらされる日本海北部海域では,表面水と接する気温が低下する.海面からの蒸発によっても水温は低下し,かつ塩分は増加する.また氷結が起これば,海水の塩分はさらに増加する.海氷はほとんど真水でできているので,氷結の際に塩が吐き出されるためである.こうして冬の日本海北部海域では,密度の大きな表面海水が形成される.
日本海表面水の塩分が比較的高く保たれていることも重要なポイントである.これは対馬海峡から日本海に流入している黒潮の支流(対馬暖流)の影響が大きいと考えられている.
こうして冬期に形成された高密度表面海水は,その密度値に応じて,重力の作用で深層まで沈降する.表面水が沈み込めば,表面水と深層水とがかき混ぜられ,表面水の持つ豊富な酸素は深層水に受け渡される.このような「高密度水形成機構」のおかげで,日本海の深層水は周りの海から孤立しているにもかかわらず,酸素ガスを豊富に含んでいる.
ところで日本海における深層循環系はどのくらいの時間スケールで一巡しているのだろうか? ここで有用な情報を与えてくれるのが,海水中の放射性核種,特に炭素-14である.炭素-14(半減期:5,730年)は,大気中の窒素ガスが宇宙線の照射を受けて生成し,大気中の二酸化炭素ガスとして表面海水に溶け込んでくる.日本海の深層水に含まれている炭素-14濃度を調べると,表面水に比べて百年くらい年齢の古いことがわかる(Gamo and Horibe, 1983; Chen et al., 1995).すなわち百年程度の時間スケールで,日本海では表面水と深層水との入れ替わりが起こっていることがわかる.
海洋の密度構造によって表面水と深層水がかきまぜられる現象は,海水の温度(熱)と塩分に依存するために熱塩循環と呼ばれる.これは日本海だけに限ったことではない.大西洋,インド洋,太平洋をつなぐ世界中の海洋において,日本海で起こっている熱塩循環と原理的には全く同じことが起こり,各大洋の深・底層水中に酸素が供給されている.このような大規模な循環系は,海洋のベルトコンベアーと呼ばれている.日本海はそのミニチュア版なのである.