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3. 中国問題と日米同盟
●福田和也
 
同盟関係の再定義とその目的
 二一世紀を望観するにあたって、アジア全域の秩序にとって中国の動向がもっとも重要な要素であることは議論の余地がない。第二次世界大戦以降、五〇年の間、紆余曲折があったものの総体的に実りあるものだったと言い得る日本と米国の同盟関係は、中国問題の顕在化とともに再定義を余儀なくされている。再定義の性格は、日米安全保障条約を中心とする軍事関係にとどまらない、外交、政治、文化全体にかかわる両国関係の変質と、両国のアジア全域に対する関係までに及ぶ。
 社会主義を放棄して、経済成長を追求しながら一党独裁体制に固執する現中国体制が、早晩大きな混乱に見舞われる可能性はきわめて大きい。共産党支配の基盤が崩れた場合に、その混乱の余波は計り知れない。中国の内乱のみならず、その余波は全アジア領域における秩序を損なうことになるだろう。日米同盟の再定義は、中国が民主的かつ平和主義的な存在となるように促しつつ、アジア各国に対する直接的脅威となることを抑止し、もしも混乱が起こった場合、その余波がアジア全域に拡大することを防ぐということを第一の目的としなければならない。
 再定義の過程で、日米両国双方のこれまでの政策の変更が要請されるだろう。第一に日本は集団的自衛権を認め、実質的に憲法を改正するとともに、アジア地域の安定のために武力を含むあらゆる手段を動員する姿勢を示すとともに、そのために必要な能力を備えなければならない。同時に米国は、日本側の一層信頼の情勢を要請しつつ、日本に主導的な立場を委ねた上でのアジアにおける多国間的枠組み、つまりはアジアにおけるNATOやECのような組織の創生を認め援助する必要がある。
 
中国に関する考察
 一九一八年、ヴェルサイユ講和会議に向かう船上で、ウィルソン大統領はハウス大佐に「国家を構成するためには、最低どれぐらいの人口が必要だろうか」という問いかけをしたと伝えられている。ウィルソンの問いは、第一次大戦の結果としてのハプスブルク帝国、オスマン帝国の解体に伴い、民族自立の原則にのっとって中欧、東欧の諸民族が国家を形成するに際して、人口が寡少な国家を生むことへの危惧に基づいて発されたものである。今日私たちは、中国を前にして、このような問いを発する必要があるだろう。「近代国家を構成するための極限の規模は最大どのくらいなのだろうか」と。
 ヴェルサイユ条約によって作られた中欧の小国家の帰趨が、第二次大戦の直接の原因となったように、中国という巨大国家のさらなる膨張は、アジアのみならず世界秩序にとっての深刻な脅威を生む可能性を秘めている。中国の巨大さは、その人口のみではない。現在の中国の版図は旧満州からチベット、新疆・ウイグルに及び、歴代の帝国のなかでも最大のものとなっている。包含する民族の数も大量であり、軍事力もその質については議論があるものの巨大であることは間違いない。もっとも特筆すべきは、その巨大かつ成長しつつある経済力であろう。
 中国の経済成長を問題視せざるをえないのは、経済成長が中国の政治的、社会的矛盾にもかかわらず進展しているのではなく、矛盾こそが経済成長を促進し、成長は矛盾をさらに亢進させるという構造をもっているからである。一九九二年?小平は南方講話のなかで、「成長はすべてを解決する」と説いた。この発言はきわめて重要である。改革開放路線によって、社会主義を放棄した共産党は、その政権としての正統性を失った。にもかかわらず北京政権は、思想・言論・政治にかかわる民主的自由を圧殺し、国民を高度の監視と拘束の下においている。一昨年以来の法輪功事件の経緯は、現政権の抑圧装置としての強力さと呵責のなさを顕かにした。
 ?小平の講話以来、共産党は経済成長の進展により政権の正統性を獲得し、維持しようとしてきた。官民一体というよりも、官や民という区別などないその徹底した成長戦略は、めざましい成功を遂げている。爆発と形容するにふさわしいその生産力の充実、質量ともの瞠目すべき発展は、アジア諸国の各企業にとって深刻な脅威となるに至った。アジア新興工業諸国が三〇年かけた成長を中国はわずか十年で達成したのである。
 だがまた、経済発展は、そのまま社会全般の多元化、多様化を促進する。社会の多元化は一党独裁とは相容れない。江沢民が党内左派を抑え込んで、企業経営者の入党を認める方針を打ち出したのは、この矛盾に対する弥縫策にほかなるまい。党員経営者の登場は、党の市場経済に対する影響力、ブルジョワ層の取り込みを可能にするが、労働者の党としての本質を抹消する。以来、党は労働者の側に立つのではなく、資本家が労働者を統制し、搾取した生産性をあげるための装置に転換をした。貧富の差の拡大と、企業成長の持続のための労働収奪が激しくなればなるほど、党の人民にたいする抑圧装置としての性格は明確になっていくだろう。かつて、労働者にとって党は政治・思想の自由を剥奪しつつも、経済的平等を与え、保護をしてきた。
 今や自由を剥奪したまま、経済的抑圧をも加えているのである。現在の市場経済社会主義という不自然な折衷物が、国家権力に支えられた資本家による市場経済という巨大な国家社会主義に変質していかざるをえないことを示唆している。つまりは、中国の経済成長は、進展すればするほど共産党の正統性を喪失させ、抑圧的な権力装置としての本質をグロテスクな形で露呈していかざるをえない。
 この兆候をもっとも明確に見せているのが、国内政治における軍の存在感の極大化とナショナリズムの高揚であろう。共産党政権が、抑圧機構としての性格を強めれば強めるほど、軍の存在価値が高まるのは当然のことである。社会主義を廃棄したにもかかわらず、民主的価値を報じることができない空隙を埋めるためにナショナリズム以外の思想的代替を政権はもっていない。政権維持の方策としての急激な経済成長、成長による多元化に対応するための党のあからさまな抑圧機構への変質、抑圧の強化のための軍の台頭とナショナリズムの鼓舞。この一連の悪循環がどのような結末に至るかを推察したときに、楽観的でありうる悟性は少ないだろう。
 過去の諸王朝と比較した場合、現在の共産党政権の性格は、明王朝(一三六八 − 一六四四)にきわめて類似している。その性格は愛国主義的政権(明はモンゴル政権を打倒し、現政権は列強支配からの脱出を実現した)であること、政権中枢がパルチザン的集団によって構成された軍事的政権であること(明の洪武帝は紅巾賊の出身)、知識層に対して苛烈な弾圧を行い伝統的な徳治を逸脱した武断政権であること、政権樹立初期から、内部での熾烈な闘争が繰り返されたこと、初期において農村を重視し都市住民の地方への移住を推進したこと、周辺異民族への支配のために外征を繰り返し版図にとりこんだこと等々その類似はいくらでも数えあげることができる。
 明の歴史と現政権の帰趨を考える上で興味深いのは、明が海外交易の禁止などによって経済発展を抑制したことである。この処置は中国史上画期的な成長を遂げ、文化社会の精華を成し遂げた宋王朝が社会の多元化のために北方からの挑戦に対抗しえなかったという教訓にのっとるとともに、思想的正統性をもたない武断政権の維持のために、富裕資産層の台頭を防ぐという目的があった。現政権も、その成立から三〇年間余りは、経済成長を極度に抑制することによって、政権の安定を維持してきた。
 明王朝の崩壊は、国家財政の緊迫から、宦官ら特権層が国家機関を通さず、直接に市場経済にかかわり、鉱山開発や商業活動に手を染めたことを端緒としている。宦官らの実践は短期的には大きな成果を挙げたが、抑圧的な体制を背景とした一部特権層の富裕化と収奪は、民衆の窮乏と憤激を招き、各地に叛乱が発生をし、外敵の侵入を招いたのである。この経緯は、現在の党の変質と重ね合わせて考えるときわめて興味深いといわざるをえない。
 
日米両国の対応
 不安定化する中国に対する日米両国のとるべき方策は、きわめて多面的なものにならざるをえない。WTOに加盟した中国に対して、その遵守を厳しく迫ることは、国際的経済のルールの維持のためならず、中国社会の多元化、国際化を促す上でも重要である。同時に、中国国内における通信、情報インフラの整備もまた、同様の目的にかなうものであり、ODAなどの援助はそうした方面に集中するべきである。
 極東における、軍事的抑止力の向上もまたきわめて重要であり、このために日本が主体的なイニシアティブを持つのは当然のこととして、日米主導での、東南アジア諸国からインドまでを含む、軍事的同盟組織、対中NATOの如き組織を作ることも、中期的には要請されるだろう。このような機構は、中国の軍事力拡大に対する抑止を目的とするだけでなく、中国が混乱に陥った時にその余波の波及を防ぎ、また海上航路をはじめとする国際的ライフラインを維持するためにも必要となるだろう。
 同時に、政治、経済においても、アジアの民主的、自由主義的諸国による連合体を構成することが、中国の巨大化に対応し、アジアに均衡をもたらす上で必要になるだろう。日本は、この双方の連合体において主導的責任を負うとともに、米国が日本を支援するための枠組みを創設しなければならない。
 








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