第II部 日本の選択
1. 日本の安全保障戦略
●田久保忠衛
「日本の安全保障戦略」をどう考えるかは、結論を言うと、戦後の日本の国柄を「異常」と見るのか、「正常」と判断するかによって決まってくる。日本政府は自衛隊を「通常の概念では軍隊ではない」とする解釈を押し通してきたのだから、現状を正常と建て前では見てきたのであろう。「ニューズウィーク」誌二〇〇一年八月二七日号の巻頭の随筆を書いたファリード・ザカリア氏は「世論調査で日本の半数ほどが、仮に自国が侵略されても軍事力の行使には反対だと述べている。この超不戦主義が日本の本当の問題はどこにあるかを如実に示している」と指摘している。
あとから述べるように、日本の「超不戦主義」は過去一〇年ほどの間にゆっくり変化しつつある。米ソ間の冷戦が終焉したと思ったら中国の軍拡が始まり、日本周辺の海域に中国海軍の艦艇まで出没し、北朝鮮は不審船を日本の領海に侵入させ、本州の頭越しにテポドン・ミサイルを発射した。島国の常識枠に閉じこもり、一定範囲に限定された思考に気づき始めた日本人は少なくないと思われる。ちょうどそのようなときに、これまでの安全保障という概念では想定できなかった米国に対する同時多発テロが発生した。米国の同盟国である北大西洋条約機構(NATO)は条約第五条に定める集団自衛権の発動に踏み切った。日本と同じ敗戦国で、安全保障に必ずしも熱心でなかった社民党(SPD)のシュレーダー首相は、戦後ドイツの伝統的な防衛政策が九月一一日のテロによって終わりを告げたと連邦議会で演説した。日本と比べて同じ敗戦国ドイツとの安全保障観にこれほど隔たりがあったのか、と考えさせられる発言である。二一世紀にかけて国際環境は日本に国柄の変更を迫るのではないか。
日本の防衛政策が他の普通の民主主義国のそれに比べて著しく歪んでいる最大の原因は、戦前の反動ともいうべき超不戦主義にある。それは、米国のそもそもの対日政策が日本を異常にした根本原因だ。日本がポツダム宣言を受諾した二週間後にマッカーサー連合国最高司令官が発表した「日本を完全に武装解除する。軍国主義者の権限および軍国主義の影響を日本の政治、経済、社会生活から全面的に払拭する。軍国主義や侵略精神を標榜する制度、機関などはこれを強力に弾圧する。日本は陸軍、海軍、空軍、秘密警察組織、あるいは民間航空をもつべきではない」との対日政策の文言からもそれは明らかである。
いわゆるマッカーサー・ノートは自国の安全をはかるための自衛を目的とした軍隊すら保有できないと書かれている。連合国軍総司令部(GHQ)で日本弱体化政策を推進した民政局(GS)はマッカーサー司令官に忠実なホイットニー准将に率いられ、そのすぐ下の部下であったケーディス大佐が日本国憲法草案の取りまとめに当たったことは誰もが知っている。芦田均氏が憲法第九条の第二項冒頭に「前項の目的を達成するため」と書き込まなければ、自衛隊の今日すらあり得なかっただろう。米政府は大統領が共和党か民主党かで政策に多少の違いは見られたが、冷戦期・ポスト冷戦期を問わず日本に対しては、「弱い日本」のままにしておくのが政策の中心になってきたと見ていい。
一九九〇年に沖縄駐留米海兵隊のスタックポール司令官は米記者の質問に答えて、「米軍が日本に駐留する目的は日本の軍事大国化を防ぐいわばビンの蓋だ」との発言を行った。本書でアーミテージ報告書を解読したスティーブン・C・クレモンズ氏も「日本に駐留する米国の陸海空および海兵隊の兵員は冷戦期間中、多様な任務を帯びていた。最も重要なのは、ソ連の侵略を抑圧することと、あまりあからさまなものではなかったが、日本の軍国主義の復活を阻止することだった」と明確に書いている。
日本の「軍国主義」を定義せず、戦前の軍事体制と戦後の防衛体制を比較しようともしないし、一般の国民の間に戦後生まれた大きな感情の変化を認めないで、軍国主義復活論が一人歩きしている様子は奇怪である。米国内からときたま飛び出す「日本軍事大国化」論にこれ幸いとばかり唱和する周辺諸国が存在するところから、日本の防衛は二重、三重の規制を受け、他の民主主義国と全く異なる条件下に置かれている。この現状を正確に見ているのはブレジンスキー元大統領補佐官であろう。彼は九七年に書いた著書「巨大な将棋盤」で、日本が「軍事」を放棄して、「経済」に専念する様を「米国の事実上の被保護国」と断じ、その原因は日米安保条約に日本が依存し過ぎているところにあると述べている。被保護国扱いに腹を立てるよりも、ブレジンスキー氏の覚めた目を意識させられる。
日本の防衛政策にとって画期的なのはブッシュ政権の発足である。ブッシュ大統領はホワイトハウス入りする前から日本を「二国間関係で最も重要な同盟関係」と好意的な発言をしていた。クリントン前大統領が九日間にわたって訪中した際の往復に東京に立ち寄らず、中国との関係をいとも簡単に「戦略的パートナーシップ」とクリントン政権は定めていたのに対し、ブッシュ政権は中国に批判的である。大統領は自ら中国を「戦略的競争相手」と位置づけ、前政権よりも格を下げた。冷戦が終わるか終わらない八九年度以降、中国が軍事費を増大させ、現在に至るまで毎年二桁の増を続け、周辺諸国に対し軍事的脅威となりつつあることに警戒感を強めたのであろう。
この対中警戒感を代表するのは、ライス米大統領補佐官が政権入りする一年前の「フォーリンアフェアーズ」誌 一 − 二月号に書いた「国益に基づく国際主義を模索せよ」と題する論文だ。[1]「大統領が「九日間も北京に滞在しながら、東京にもソウルにも立ち寄るのを拒否するようなことは、絶対にしてはならない」。[2]中国はパートナーではなく、「戦略的ライバル」であり、経済的な交流を通じて内的変化を促進する一方で、中国の安全保障上の野心を「封じ込めること」が重要である。[3]「アジアにおけるわれわれの目標は、米軍のパワーゆえに北朝鮮や中国が軍事力の行使を断念するような環境をつくりだすことにある」―とライス大統領補佐官は主張する。ブッシュ大統領とともに中国を「戦略的競争相手」と見なして警戒心をあらわにしている。視点をワシントンに据えて、アジア全域を眺めた場合に、この地域の秩序維持には日米同盟を中心にするか、米中関係に重点を置くかの選択は自ずと明らかであろう。
アジア全体の展望、とりわけ中国との関連で日本の安全保障政策をどの方向に持っていくかの重要な示唆を与えるのはライス論文と同じ号の「フォーリン・アフェアーズ」誌に載ったゼーリック論文であろう。元国務次官で現ブッシュ政権では米通商代表(USTR)の要職にある同氏は「日本は、米国およびその同盟諸国と一緒に東アジアの安全保障上の責任を強化するなどの方向に徐々に進むべきである。この歴史的な日本の調整を、日本の周辺諸国に受け入れさせるよう手助けできるのは米国だけであり、これが日本の国内世論を変える鍵となる。まずは日本、米国、韓国、オーストラリアはいまより強い防衛上の結び付きを形成すべきである。やがて日本の軍事力はアジアにおける米国を支援するよう密接に統合されるべきである。こういった段階を踏めば、北朝鮮に対するアジア・太平洋民主主義国家の姿勢は強化され、中国に対して、アジアと太平洋の民主主義国家と安全保障上の協力(競争ではない)を求めるべきではないかと誘い、日本の防衛力増強を安心できる枠組みへ誘導していくようになろう」と説いているのである。
ゼーリック氏が明白にしている方向性は日本の防衛上の責任強化である。日本が単独で防衛力を充実しようと試みれば、周辺諸国が反発を示すだろうが、これら諸国を説得する役目を果たすのは米国だと言うのである。その前提は日米同盟を枠とし、韓国、オーストラリアとの防衛上の関係を強化していくことである。日本が無理なく防衛政策の転換をはかるためにはこの道しかあるまい。日本国内には自主防衛論が少数意見ながら存在するが、そこに至るにはいくつもの難関を超えなければならない。
共和党の対日、対中国観の大筋はこれで理解できるが、それをもう一歩先に進めたのが「アーミテージ報告書」だ。ナイ前国防次官補、キャンベル前国防次官補代理といった民主党系の専門家を含む一六人の名前で公表されたこの報告書は国際情勢を分析し、まず欧州ではこれから三〇年間は大規模な戦争は起こらないと見る。ただし、アジアでは朝鮮半島、台湾海峡、インド・パキスタン、インドネシアの四地域が不安定だと危険視する。その場合、アジアで米国はどの国と結んで秩序を維持するのか。報告書は間違いなく日本だと言う。
その際に日米同盟の障害になるのは、「集団自衛権はあるが、憲法上行使は許さない」などとする法制局の解釈である。アーミテージ報告書はこれを何とかしなければ、従来の「異常な国」から「普通の民主主義国」に脱皮できないと説いているとの印象を受ける。二〇〇一年一月に発足したブッシュ政権にはまだまとまったアジア政策あるいは対日政策が公表されていない。その中でこの報告書が持つ意味はこのうえなく大きい。政権発足後もランド研究所、ヘリテージ研究所などが相次いで報告書を公にしたが、日本に催促しているのは集団自衛権の行使であり、憲法改正である。
こうした流れの中で発生したビンラーディンによる米国への同時多発テロが、日本の防衛政策にどのような影響を与えるだろうか。対テロ特別措置法によって、日本は戦後初めて自衛隊を海外に派遣する道を開いた。小泉純一郎首相は集団自衛権に立ち入ることはできなかったが、この法律の成立は日本の防衛政策や日米同盟にとっては前進であろう。首相はいまのような曖昧な自衛隊の存在に疑問を呈し、憲法改正にまで言及している。軍隊としての地位を認知されれば、それに整合する法体系も運用も必要になってくるだろう。テロ事件が一つのキッカケとなり、「普通の民主主義国」に向かって、日本はもう一歩先に出ようとしている。