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第4章 アメリカが予測する2025年のアジア
● 米国防次官1999年夏季研究最終報告(「アジア2025」)
 
前文
 以下の報告書は、国防次官(政策担当)のために実施された夏季研究の要約である。この夏季研究は、アンドルー・W・マーシャルとジェームズ・G・ロッシュの指導の下、S・エンダース・ウィンブッシュが主宰する作業グループが、一九九九年七月二五日から八月四日にかけて、ロードアイランド州ニューポートの海軍戦争大学に集まってまとめた。これは、国防計画プロセスにとって根本的な諸問題や重要性のある問題を再検討するために実施された一連の夏季研究の第一三回である。
 本報告中の情報は、国防総省あるいは米政府の公式の政策や立場を反映したものではない。純評価(ネット・アセスメント)のための国防長官顧問の許可なく本文書を流布することは認められない。
 
 一九九九年のアジアは、わずか数年前と比べても大きく異なって見え、二〇二五年までには非常に劇的に変化しているかもしれない。この変化の推進要因の一部は、はっきりしている。一方、予見可能ではないが、もっともらしくて起きそうなその他の推進要因の輪郭は、まさに表面化する手前の状況にある。われわれはある程度の自信を持って、いくつかの、ことによると多くのこれらの推進要因が、今後二〇年間のうちに戦略上の競争の性質を、したがって、アジアにおける軍事的な計画・関与の性質を根本的に変えてしまうかもしれないと予測できる。
 この変化の過程で、米国の戦略・作戦上の利益は、これまでなかったような挑戦を受けるかもしれない。一九九九年夏季研究は、複雑な、既存のものに代わるもう一つのアジアと、そうした世界における米国の戦略・作戦計画に与える影響を模索している。
 
目的
 この夏季研究の目的は、西暦二〇二五年ごろまでにアジアがどうなり、それによって防衛・国家安全保障の立案者にいかなる挑戦がもたらされるかを模索することにある。われわれがこの論題とこのアプローチを選択した動機は明快である。
 第一に、われわれは防衛計画を立案する社会にいる多くの人々が、将来は大抵が現在の投影だろうと信じていること、言い換えれば、将来は今日の目に見えるパターンや傾向の延長として想像可能であると信じていることを懸念している。この夏季研究が示唆するところによれば、傾向の中には投影してみて将来のそれなりの部分を明らかにする意義のあるものもあるかもしれないが、アジアの新しい戦略環境を形成する出来事や力の「直線状でない」質によって、われわれは驚かされることになりそうだ。
 第二に、この夏季研究は、国防計画を立案する幹部に、なるほどと思われる幅広い将来像を提示する試みである。今回の試みで二〇二五年を境界線として選んだのは、まだわれわれが手にしていない新しい技術やその他の開発を検討できるようにするためである。しかし、われわれは、ここに描いた出来事の中には、新世紀のもっと早い時期に起きることがあるかもしれないと警戒している。概して、アジア全域における変化のテンポは加速しているように見える。
 ここで検討の対象となるアジアは、太平洋からロシア中部、北極海からインド洋・ペルシャ湾に広がる地域と規定する。われわれは努めて長期的視野でこの地域を見て、限定された数の別のアジアを創造し、分析した。
 シナリオはその性格からして、推論である。本報告中のシナリオは、予言でもなければ、包括的なものでもなく、必ずしも目に見える傾向に基づいているわけでもない。むしろ、そのシナリオは、起き得る出来事を大いに想像力を働かせて描写したものであり、必ずや起きるであろうことや、国防総省が起きると見ていることを描写したものではない。ここに提示したシナリオの意図するところは、別のアジアの将来像がいかにして立ち現れ、それがどの方向に向かうのか、どこで紛争が発生するかもしれないのか、そして、どのように米国の利益は挑戦を受けるかもしれないのかを示すためである。シナリオとしては多くのものが考え得るのであり、この研究がすべての可能性を網羅していると主張するものではない。
 実際のところ、本チームは本報告で議論したそれぞれの「民族」について幾つかのシナリオを展開したが、中国の「民族」を例外として、それぞれの民族からただ一つの代表的シナリオだけを提示した。本グループは、アジアにおいてどんな種類のもっともらしい驚きが起きるのか、すなわち、どこで物事が深刻に悪化、あるいは不似合いにも好転するかに集中するよう求められた。
 このアプローチは、国防総省の立案者のために、あり得るかもしれない新たな別の世界の持つ影響を明らかにすることを意図している。それぞれのシナリオは、国防総省が喜んで検討するかもしれないような各種の挑戦を提示している。幾つかの挑戦―例えばもっと長距離に及ぶ投射力の必要性―は、大半のシナリオに現れており、そのことは、そうした挑戦は国防総省が検討するのに最もふさわしい価値を持つものであることを示唆している。
 
2025年のアジアの安全保障環境
 アジアにおける将来の安全保障環境は、確かな軍事力が世界の兵器市場で交易されるだろうこともあり、幅広く入手可能になることによって影響を受けるだろう。そうした軍事能力の中には、長距離精密攻撃兵器(GPS=全地球測位システム=やロシア製GLONASS誘導装置を使用した弾道ミサイルや巡航ミサイルなど)、長距離識別能力(商用衛星を基盤にしたサービスや無人飛翔体=UAV=の利用など)が含まれる。
 さらに、いわゆる「ハイテク・ロースキル(高度だが低技能で済む)」システム、すなわち、高性能技術が組み込まれているが、比較的使用が簡単な兵器の拡散を目の当たりにするかもしれない。例えば、アフガニスタンのゲリラたちがソ連に対抗して使用できた、持ち運び可能な対空兵器の有効性を想起してほしい。ここに提示した世界においては、そうした能力がもっと幅広く拡散しているのが分かる。大量破壊兵器(WMD)の拡散は今後も続き、この地域のもっと多くの国々が二〇二五年にはWMDを保有することになりそうだ。長距離を越える戦力の投入と目標捕捉の能力は、将来においては今日ほど重大な制約とはならないだろう。
 その結果、この地域の諸国は、侵略、征服、領土占領のための大規模兵力の使用やその脅しを伴わない形で、近隣諸国の行動に働き掛けて影響を与える強力な方法を有するかもしれない。それよりも、今後ますます、威圧、威嚇、あるいはアクセスの否定を目指す戦略を通じて戦力は使用され、目的は達成されるだろう。
 
研究の疑問
 われわれは自問した。
 どの傾向が主要な登場人物の戦略に影響を与え、危機的な出来事がそうした傾向とどのように結び付いて戦略力学を変えるのだろうか。
 アジアの登場人物たちは、自らの戦略を追求するために、どんな種類の軍事能力を取得し、どのようにそれを使用するのだろうか。
 どのような地政学的・軍事的再編が起き、そして、それはなぜ起きるのだろうか。
 変化するダイナミックスは、今後数十年の間にアジアにおける米国の行動能力や行動意欲にどのような影響を与えるのだろうか。
 
国防総省にとっての潜在的意味[1]
 複数のシナリオとそれを巡る考察によって、国防総省にとっての幾つかの一般的および具体的な問題が浮かんできた。四つの一般的カテゴリーの問題がそこから浮上した。
▼新たな作戦の焦点
▼新たな同盟の性格と形態
▼新たな作戦の条件
▼必要となる新たな(あるいは拡大された)能力
 
国防総省にとっての潜在的意味[2]―新たな作戦の焦点
 第一に、われわれが思い描く世界においては、戦略的な原動力は北東アジアから南と西(インド、インドネシア、イランの方)に移動し、そこでアジアの将来を決定付けるような大きな出来事が起きそうである。われわれは、これらの世界においては、出来事・紛争の影響やその意味は、たとえそれが小さなもので限定的な戦力の使用しか伴わないとしても、分離された別個の戦域の中にとどまり続けることはなく(例えば、朝鮮危機、台湾危機)、むしろ地域および(地域内の)区域を超えて広がりそうだということに留意した。
 シナリオが示唆するところによれば、中央アジアで起きたことは北東アジアあるいは南東アジアで直接的もしくは二次的な結果をもたらすかもしれず、インドネシアでの出来事は、北方の日本と西方のペルシャ湾の双方に伝播するかもしれないこと、すなわち、伝統的な「地域」や、それと同時に米軍の統制を超えるかもしれないことを示している。こうした世界においては、動く要素や動き得る要素が多く、それらの要素の間の結合の仕方も多い。
 
国防総省にとっての潜在的意味[3]―新たな同盟の性格と形態
 第二に、国防総省は、われわれが慣れ親しんできた種類・態様の安全保障環境とは似ても似つかないような安全保障環境の中で行動しなければならない事態に直面しそうだ。そうした世界では、公式の固定化された同盟は、より多様で、より流動的で、より公式的でない。そしてしばしばインドやイランのように非伝統的パートナーとの間における取り決めに取って代わられる。
 そうした新たな連合において生まれる能力には、それぞれ非常に大きな差が生じるだろう。その上、今後多くのケースの中で米国は、かつての公式同盟国の間における選別的なWMDの拡散や、アジアのこうした新世界でのWMD使用の可能性の受け入れという固有の圧力を受けるだろう。
 
国防総省にとっての潜在的意味[4]―新たな作戦の条件
 第三に、国防総省は多分、二〇二五年のアジアにおいて一連の新たな作戦条件を検討しなければならないだろう。現実の一部は厳しいものになりそうだ。例えば、米国は多分、これら地域の大半で作戦基地がほとんどなくなり、不十分なインフラにもっと頼らざるを得なくなるだろう。われわれは、自分たちのシナリオが意図も予期もしないうちに海洋に重きを置いていることに驚いた。こうした世界における作戦は、より距離の離れた、より広大で複雑な戦域におけるものとなるだろう。
 力と力の領土征服といったタイプの古典的な「最後の手段」としての対決は、今後ますます少なくなりそうだ。むしろ非対称的(アシンメトリカル)な敵もしくは国家でない行為者との、少なくとももっと個別的な性質の交戦を想定している。さらに、将来の環境を多分特徴付けるのは、多くの国家が様々な非伝統的方法(例えば長距離ミサイル攻撃の利用)で戦力を投入する能力を保持することだろう。そのような新たな技術的能力と、それに頼る戦略は、強制や恫喝といった新たな形態の戦略戦をもたらし、大規模な地上戦力による近隣諸国の侵略に取って代わるだろう。こうした戦域は、伝統的な大規模戦域戦(MRCs)としてたやすく認識できないかもしれない。
 重要なことは、既に破産してしまったか、あるいは破産しつつある国々で行動することを、米国が強いられるかもしれない点だ。そういう国々では、米国は中心となる戦略や目的は一切持ち合わせておらず、伝統的な戦争終結手段や戦争から手を引く戦略の機会もほとんどない。パキスタンとインドネシアが、われわれのシナリオから破産・分解する可能性のある二つの候補補国として浮かんでくる。
 
国防総省にとっての潜在的意味[5]―必要となる新たな(あるいは拡大された)能力
 第四に、新しい作戦条件によって、新たな、あるいは強化された能力要件が必要となってくる。より一層の長距離に及ぶ戦力投射が求められるだろう。
 戦力は、展開しつつある脅威に対抗して、多分膨大な距離を越えて投入されねばならず、計画立案は困難となり、時宜にかなった情報が必要不可欠になる。出現しつつある脅威、例えば長距離爆撃あるいは非対称的な脅威に対する保護が、より重要になってくるだろう。もしわれわれの予測通り、WMDがもっと幅広い様々な登場人物にとってもっと入手しやすくなり、そうした登場人物がそれを使用するもっと大きな動機を持ち合わせるとしたら、われわれは「ポストWMD使用」という環境にいかに対応し、行動するのか、検討する必要がある。
 
人口統計学
 われわれの研究グループは、二〇二五年のアジアにおいて競うために主要な役者が戦略を練るに際して顕著に目を引く可能性があると、ある程度の正確さをもって予測できる幾つかの傾向を調べた。その中で、特に二つのことが目を引いた。それは、人口統計学とエネルギーだ。
 現在の人口統計学上の傾向は、アジアの将来を予測するための最も堅固な基礎の一つであり、予測不能な結果を伴う形で、根底からアジアの姿を変容させそうである。しかし、人口統計学的な傾向と、それがもたらすかもしれない結果について、防衛立案に携わる分野の人々はほとんど関心を払ってこなかった。この研究報告は、人口統計学的な変化のもたらす結果は、新しい戦略環境の中で競う諸国家の能力に影響を与えることを繰り返し例証している。
 このように出現しつつある人口統計学的な傾向は、諸国家の戦略的な計算法にどのような影響を与えるのだろうか。高齢化する国民は、若者たちを戦場に送るのを嫌がるようになるのだろうか。高齢者たちを支えるコスト―政府給付、医療保険、その他の介護経費―によって、政府の軍事支出のための資源は削がれるのだろうか。それがどうなるか、いまだに明確ではない。明確なのは、人口統計学的な考慮は、それぞれの国の意思決定プロセスにおいて計算に織り込まれるだろうということだ。
 
シナリオは示唆する…[1]
 今回の研究に際して、本グループは米国の作戦立案者が現在アジアについて考えているやり方と彼らがわれわれの主張するような世界について考えなければならないやり方との間の明らかな矛盾にぶつかった。その矛盾はしばしば大きなものである。
 欧州およびアジアの間の米国の軍事的資産の配分がほぼ均等であるにもかかわらず、二つの地域における関与の計画は平等でない。計画立案の関心は依然として、予見されるような脅威がほとんど存在しない欧州に主として向けられている。欧州は最上位の将校が行きたがる地域で、欧州の米軍司令部のスタッフは優秀であるし、人員も多い。欧州の司令部構造は、海軍指揮官の場合でアジアに対してほぼ四対一の優位にある。現在語学研修を受けている軍の将校の約八五%は欧州の言語を習得中で、最もはっきりと不足しているポストに就くため中国、タイ、ベトナム、ペルシャ、ヒンズー、ウルドゥー、ウイグル語あるいはインドネシアの言語や方言を学ぼうとする者はほとんどいない。もしもほとんどでないにしても多くの予見できる脅威がアジアで起きるという本調査の論理を受け入れるのであれば、国防総省はこうしたバランスの見直しを検討しなければならない。
 同じように、アジアにおいても北東アジアに執心する(確かに紛争が起きる可能性はあるが)あまり、われわれの関心は紛争の起きる可能性の高いその他の地域からそれてしまいがちである。
 このシナリオで米国の重要な権益を脅かす紛争は東南アジア、南アジアおよび中央アジアで起きる可能性が強い。これらの地域では米国は台頭する挑戦に対処する能力が最も弱い。アジアは巨大な地域であり、米国はその中のほんの一部にだけしか目を向けていない。
 
シナリオは示唆する…[2]
 これらのシナリオの示唆するところによれば、アジアを別々な一連の小地域と潜在的な紛争の連なり(例えば、台湾危機)と見なすような傾向は単純過ぎる。むしろ、これらのシナリオで予見される紛争は地域全体に思いもかけないほどの影響を及ぼし、その影響は新興の軍事力により増強され、加速されることになろう。実際のところ、地域は統合され、紛争の状況は一層複雑化するだろうし、挑戦的になろう。本グループの一員が指摘したように、これは皆さん方の父親のMRC(大規模地域紛争)ではない。
 
シナリオは示唆する…[3]
 これらのシナリオの示唆するところによれば、米国が現時点で特定国に集中するのは、将来に対する計画の場合、間違っているということになるかもしれない。本グループは幾つかの劇的な役割の逆転にぶつかった。例えば、予想される世界では、現在米国の思考の中心にある数カ国が将来の世界で重要でなくなるだろう。ロシアがそうした例であり、日本がもう一つの例である。
 一方、現在のわれわれの思考では隅に追いやられている国家がわれわれの将来の世界の中心に劇的に入ってくる。インドはアジアにおける自国の戦略的立場の重要な再評価を開始したように思われる。同国の戦略家はここ数十年で初めて、ペルシャ湾、中央アジアおよび東南アジアにおいて高まりつつあるインドの国家安全保障の関心に取り組むため、インド・パキスタンの対立関係および攻撃的な中国に対するためらいがちな関心を超えた関与を考えている。インドは既に間違いなく核保有国になっており、ほかにも驚くべき兵器を開発しようとしている。
 この研究におけるシナリオは、インドがその新しい野心を達成するために努力するかもしれない方法を提示している。インドが実際にこうした野心を実行に移すため効率的に組織化されるかどうかはまだ分からない。多くの専門家はインドの前進がゆっくりしたものになると信じている。それにもかかわらず、インドは恐らく、これまでにない方法で米国の国防立案者の注意を引くことになるだろう。
 
シナリオは示唆する…[4]
 シナリオの作成を通じて、本グループは何度も、グローバル化に伴いすべての人々が普遍的な経済統合と情報の透明化を通じて緊密になる世界で、こうした紛争がどうして起きるかを問題にした。確かに、グローバル化は経済の成長と統合を促進するが、グローバル化はまた、各国間において、さらに各国内において不平等を促進し、紛争を増大させるという状況をも生み出す。
 実際のところ、グローバル化はわれわれのシナリオでは紛争の原因の一つであったり、紛争の直接の誘因であったりする。グローバル化は一方で統合を進めるが、それは同時に、WMD(大量破壊兵器)技術の国家ならびに非国家への拡散を促進し、また潜在的な敵への技術の流れを加速させることによりアシンメトリック(非対称)の脅威を増大させる。最後に、グローバル化されたメディアは、米国にとって重要な利益があるとはいえない地域の紛争に米国を引きずり込む傾向がある(CNN効果)。われわれの世界のグローバル化は決して万能薬ではない。
 
シナリオは示唆する…[5]
 これらのシナリオの示唆するところによれば、今日の世界において超大国にとどまるということは、その利益を効果的に追求するのに十分でないかもしれない。そのシナリオでは米国のプレゼンスも力も隅に追いやるような特別で、時として独特な戦略および能力を持つ連合がたくさん存在する。
 重要なのは、こうした連合が米国に対して明白で決定的な優位を確保するため、事態の進展度、複数の戦域および戦略的状況の複雑性などを利用するということである。大きくて強いということでは今日の世界において十分と言えない。
 








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