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第2章 アメリカの日本への期待
1. 米日の成熟したパートナーシップに向けて
   米国防大学国家戦略研究所(INSS)特別報告書(アーミテージ報告書)
●リチャード・L・アーミテージほか
 
本報告書について
 以下の報告書は米日関係に関する超党派の研究グループ・メンバーの一致した意見を述べたものである。これは政治文書ではなく、同研究グループのメンバーの意見を専ら反映したものである。同グルーブがアジアにおいて極めて重要と考える関係に、一貫性と戦略的方向性を与えようとした試み以外の何物でもない。
 研究グループのメンバーは次のとおり。リチャード・L・アーミテージ(アーミテージ・アンド・アソシエーツ)、ダン・E・ボブ(ウィリアム・V・ロス・ジユニア上院議員事務所)、カート・M・キャンベル(戦略国際研究センター)、マイケル・J・グリーン(外交評議会)、ケント・M・ハリントン(ハリントン・グループLLC)、フランク・ジャヌージ(上院外交委員会少数民族担当)、ジェームズ・A・ケリー(戦略国際研究センター太平洋フォーラム)、エドワード・J・リンカーン(ブルッキングズ研究所)、ロバート・A・マニング(外交評議会)、ケビン・G・二ーラー(スコウクロフト・グループ)、ジョゼフ・S・ナイ・ジュニア(ハーバード大学JFK政治スクール)、トーケル・L・パターソン(ジオインサイト)、ジェームズ・J・プリスタップ(国防大学国家戦略研究所)、ロビン・H・サコダ(サコダ・アソシエーツ)、バーバラ・P・ワナー(フレンチ・アンド・カンパニー)、ポール・D・ウルフォウィッツ(ジョンズ・ホプキンズ大学ポール・H・ニッツ高等国際研究スクール)。
 
 歴史的な変化に見舞われているアジアは、米国の政治、安全保障、経済、その他の分野での利益を考える上で大きなウエートを占めるべきだ。アジアは世界人口の五三%、世界経済の二五%を占め、米国との貿易が年間往復六〇〇〇億ドル近くに達しているところから、米国の繁栄にとって極めて重要な意味をもっている。政治的には、日本とオーストラリアからフィリピン、韓国、台湾、インドネシアに至るまで、同地域の国々は、民主的な価値観という普遍的な魅力を発揮している。中国は重大な社会的、経済的変化に直面しており、その結果はまだ明らかになっていない。
 欧州での大戦勃発は少なくとも一世代は考えられないが、アジアでの武力衝突の可能性は大いにある。同地域には、世界で最も大規模かつ近代的な軍隊の幾つか、核武装した大国、核保有能力をもつ数ヵ国がひしめき合っている。朝鮮半島や台湾海峡では、米国を大規模な紛争に直接引きずり込みかねない戦争がすぐにも勃発する可能性がある。インド亜大陸は主要な発火点である。いずれの地域でも、戦闘が起きれば核戦争に拡大する恐れがある。さらに、世界第四の人口を抱えるインドネシアでの長引く混乱が東南アジアの安定を脅かしている。米国は一連の二国間安保同盟関係によって同地域とつながっており、こうした同盟関係が引き続き同地域の事実上の安全保障構造となっている。
 前途洋々だが危険性も秘めたこうした状況の中で、米日関係はかつてないほど重要である。世界第二位の経済と装備の整った有能な軍隊を持ち、米国の民主的な同盟国でもある日本は、今なお米国のアジア関与の要である。米日関係は米国の国際安全保障戦略の支柱である。
 日本も重要な転換期を迎えている。グローバリゼーションの洗礼を受けたことなどから、同国は第二次大戦終結以来最大の社会的、経済的転換期にある。日本の社会、経済、国家としてのアイデンティティー、国際的な役割は、明治維新並みといえるかもしれない根本的な変化に見舞われているところだ。この変化の影響はまだ完全には理解されていない。かつて西洋諸国が明治維新によって出現したこの近代国家の潜在力をひどく見くびったのと同じように、現在多くの国々が同様の変化を無視している。その変化の影響はすぐには現れてこないが、意味の深さでは維新後の変化に決して劣らないかもしれないのだ。米国にとって、二一世紀にこの同盟関係を維持、強化するカギは、現在日本を襲っている変化の結果を予測した上で米日関係を再構築することにある。
 第二次大戦終結以来、日本はアジアで積極的な役割を果たしてきた。教育を受けた活動的な有権者をもつ成熟した民主国家として、日本は政権交代が平和的に行われ得ることを立証してみせた。東京は先を見越した外交と域内全体への経済関与を通して、地域安定の実現と信頼醸成を助けてきた。
 日本は一九九〇年代初めのカンボジア国連平和維持活動(PKO)への参加、さまざまな防衛交流と安保対話、東南アジア諸国連合(ASEAN)地域フォーラムと新しい「プラス3」会議への参加を通して、積極的な行動を強めていることをさらに証明している。最も重要なのは、日本と米国の同盟関係が地域秩序の基盤となっていることである。
 われわれは米日関係の六つの主要要素を検討し、二一世紀に向けた永続的な同盟の基盤作りを目的とした超党派の行動計画を提案するものである。
 
ポスト冷戦時代の漂流
 広範な西側同盟におけるパートナーとして、米国と日本は協力し合って冷戦で勝利を収め、アジアに民主主義と経済的機会という新時代をもたらすのに一役買った。しかし、われわれが勝利を分かち合った後、米日関係の進路は一定せず、焦点と一貫性を見失っている―両パートナーが真の脅威と潜在的なリスクに直面しているにもかかわらずである。
 ソ連封じ込めに伴う戦略的制約から解き放たれたワシントンと東京は、両国同盟の真の、実際的な、緊急のニーズをないがしろにした。堅固な協力と明確な目標設定に代わるものを見つけ出そうとする善意の努力が続けられたが、そこから生まれたのは散漫な対話だけで、共通の目的がはっきりと定義されることはなかった。国際安全保障の新しいコンセプトを試そうとする努力は断続的に行われてきたが、両国の安保関係の再定義と再活性化という点では見るべき成果がなかった。
 この焦点と実践の欠如はどちらの国でもはっきりと見られた。日本の一部には、「アジア化」思想と、経済の相互依存と多国間機関によって同地域が欧州と同じような道を歩むことになるという期待を抱くようになった者もいる。米国では多くの人々が冷戦の終結を、経済的優先事項に立ち返る機会ととらえた。
 一九九〇年代初めは、日本市場への参入問題などで両国間の緊張が高まった時代であった。一部の米国人は、日本との経済競争を脅威と見なした。しかし、この五年間に貿易を巡る緊張は下火になっている。日本の経済力に対するねたみと懸念は、同国の景気後退と高まる金融危機に対する失望へと変わっている。
 どちらの国も同盟関係を再定義、再活性化する必要があったのに、これと取り組まなかった。それどころか、両国は同盟関係を軽んじていた。ワシントンと東京の政策立案者らが朝鮮半島の危機―その最中におぞましい沖縄のレイプ事件が起きた―にかかり切りになっていた一九九〇年代半ばまで、同盟関係の漂流は明白であった。こうしたエピソードが引き金となって、両国は両国関係をおろそかにしてきた損失に遅まきながら気が付いたのである。この後九六年三月に発生した台湾海峡の紛争によって、太平洋の両岸では米日安保同盟を再確認する努力に一段と拍車がかかった。
 一九九六年の米日共同安保宣言は両国の首都の関心を同盟関係一新の必要性に向けるのに大いに役立ち、防衛関係を新しくする具体的な変化を引き出して、米日防衛協力のための新指針(ガイドライン)、沖縄に関する特別行動委員会(SACO)の九六年の報告書、戦域ミサイル防衛研究における協力合意が生まれた。しかし九六年の宣言のもつ象徴的意味はこれだけにとどまり、上層部がこれに関心をもち続けてバックアップすることはなかった。その結果、米国と日本は間もなく論争とお粗末な政策協調に戻ってしまった。
 米日関係悪化の損失は明らかであると同時に、知らぬ間にじわじわと作用するものでもあった。一九九〇年代末までには、米国の多くの政策立案当局者らは、自身を刷新できないように見える日本への関心を失っていた。それどころか、長引く日本の景気後退に一部の日本当局者らさえ失望、意気消沈した。
 東京では、ワシントンは傲慢で、その処方箋が他国の経済、政治、社会的ニーズに一概には適用できないことを認識していないと見る者が多い。相当数の政府当局者とオピニオンリーダーたちは、米国のアプローチを、商業的、経済的利益を正当化する利己主義的なやり方とみなし、米国が専らグローバリゼーションの自己中心的な解釈に力を入れているように見えるとして反発を強めた。
 米国の注意と関心が、アジアの他の地域に向かっていることは明らかだった。もっと最近では、米国の政策立案者らの最大の関心事は対中関係であった―米中関係は八九年の天安門広場での民主派によるデモ以来、相次ぐ危機に見舞われている。ワシントンも東京も、九六年宣言で謳われた安保事項を積極的に実行に移さなかった。それは、主として、安保パートナーシップの再活性化に対する北京の敵対的な反応を懸念したからであった。
 北京は米日パートナーシップを、中国の地域外交を妨げようとするワシントンの広範な努力の柱と見なしていることを、疑いの余地なくはっきりと知らしめた。そして米国と―米国ほどではないにしろ―日本は対中関係の改善を図るに伴い、封じ込め戦略という考え方を後退させようとする明確な意思を示した。
 実際のところ、米日間の唯一の活発な安保対話は、北朝鮮を自ら課した孤立から何とか抜け出させたいという願望の副産物であった。米国、日本、大韓民国はいずれも、緊密な協力と目的の統一が平壌に対処する上で最も効果的な戦略であるという点で見方が一致している。
 遠慮、ためらい、方向性のなさといったこれまでの状況は原因が一つだけではないし、あまりにも単純な責任の押しつけを正当化するものでもない。むしろ、これは米日同盟の改善、再活性化、再重視に新たに関心を払う時期がすでにきているという認識が必要であることを示している。
 米日両国は、折しも政治的転換期と重要な変革期を迎えている時に―米国にとっては、新たな国家指導部の誕生、日本にとっては、経済的、政治的、社会的変化の継続という形で表れている―アジアで不透明な安保環境に直面している。同時に、中国とロシアの政治的、経済的不透明さ、朝鮮半島における緊張緩和の脆弱さ、インドネシアで予想されて長引く不安定状況―これらすべてが共通の難問となっている。
 日本は衰退の一途をたどる「消耗していく資産」だと主張する者には、国際舞台で米国の力が後退しつつあるという考え方が常識と見なされていた時代からほんの一〇年しかたっていないことを思い起こしてもらうのがいいかもしれない。一部の日本人が一九八〇年代と九〇年代に米国の力のもつ潜在的かつ永続的な本質を見抜けなかったのが愚かであったのと同じように、日本の力のもつ永続的な側面を見くびるのは無謀であろう。
 
政治
 この一〇年間、与党自由民主党(自民党)は内部分裂、伝統的な利益団体の利害衝突、主要選挙区の間での拡大する分裂に直面しており、衰退する力にしがみつくことを最優先してきた。同時に、野党は信頼できる、十分に練った政策を提示してこなかった。その結果、自民党は政権維持に四苦八苦し、野党は自民党に代わる政府を提供できず、日本国民は、自民党に代わる信頼できる指導部がないので、しぶしぶながら自民党を再び政権に就けている。このため、政府は身動きがとれず、青息吐息の状態を続けてきた。それでも、国際経済の容赦ないグローバリゼーションの圧力にさらされて、経済の改革と再編が必要となっており、これが政治的変革をもたらしそうだ。これらの経済力は、いわゆる鉄の三角形の独占力―政・財・官界のこれまでの癒着―を打ち破り、権力の拡散を促している。日本の政治秩序は長い変革期に入っている。
 日本の政治的変革は米日関係を再活性化する―同時になお一層試練にさらす―かつてない機会をもたらす可能性がある。日本政界における二極間の思想対立が終わり、選挙で選ばれた若い世代の間に安保問題について新たなプラグマティズムが出現していることによって、リーダーシップヘの創造的な新しいアプローチを生む豊かな土壌が形成されている。
 現在の指導部が急に改革に着手したり国際舞台でもっと派手に立ち回ることを期待するのは、非現実的であろう。日本の立法制度の制約によって、長期的にはプラスだが短期的には痛みを伴う政策の履行は難しい。政治システムはリスクを嫌う。しかし次世代の政治家たちと国民全体はまた、経済力だけではもはや日本の将来を守り切れないことを承知している。さらに、日本国民は国旗と国歌の制定、さらには尖閣列島などへの領有権主張によって、民族国家の主権と領土保全を改めて重視していることを立証してみせた。米日関係にとってこうした変化のもつ意味合いは大きい。
 米国でも同じようなプロセスが進んでいる。外交政策の一勢力としての議会の役割拡大、州と地方の政府の影響力増大、経済変革の主役としての民間部門の劇的な変化―技術と個人の能力がこの原動力になっている―が引き金となって、かつては中央集権的であった外交政策立案諸機関の影が薄くなりつつある。
 しかし、日本のリスク嫌いの政治指導部が同国の経済変革に水を差しているように、ワシントンから明確な方向性が示されていないことも大きな損失となっている。行政府が気紛れにしか指導力を発揮しないために、対日関係に向けた熟慮したゲームプランは生まれていない。このため、政治的支持と、この同盟の重要性に対する国民の理解がますます低下している。一言で言えば、米国で進んでいる政治、経済、社会的変革は外交問題における行政府の指導力を一段と低下させている。
 米国が、対日関係に指導力―すなわち、傲慢さのない卓越性―を発揮できるなら、両国は過去五〇年間に育んだ協力関係の潜在力をもっと理解できるようになるだろう。日本で進んでいる変化が最終的により強力で敏感な政治、経済システムを生み出すなら、米日関係の相乗効果によって、将来われわれが地域および国際舞台で、関与し、互いに支え合い、かつ基本的に建設的な役割を果たす能力は増すことだろう。
 
安全保障
 アジアにおける利害関係は非常に大きいので、米国と日本にとっては二一世紀の両国関係に対する共通の認識とアプローチを生み出すことが焦眉の急である。米日防衛関係が如実かつ「本物」になれば、アジアでの紛争勃発の可能性は劇的に弱まる。日本が提供する基地の使用によって、米国は太平洋からペルシャ湾に至る安保環境に影響を与えることができる。共同防衛立案の基盤である米日防衛協力のための新指針は、太平洋の両岸国家間の同盟における日本の役割拡大に向けたスタートライン―ゴールではない―と見なすべきであり、ポスト冷戦時代の地域情勢の不透明さゆえに、両国の防衛立案の面でもっとダイナミックなアプローチが必要となっている。
 日本が集団的自衛権を禁じていることが両国の同盟協力を制約している。この禁止を解除すれば、より緊密かつ効果的な安保協力が見込まれる。この決定を下せるのは日本国民だけである。米国は、日本の安保諸政策を特徴づける国内の決定を尊重してきたし、今後もそうすべきである。しかしワシントンは、日本が進んで今まで以上の貢献をし、より平等な同盟パートナーとなる意思を示すことを歓迎する旨明らかにしなければならない。
 われわれは米国と英国の特別な関係を米日同盟のモデルと考えている。これには以下の諸点が必要である。
▼防衛コミットメントの再確認。米国は日本と、尖閣列島を含む日本の行政支配下の地域の防衛に対するコミットメントを再確認すべきである。
▼有事立法の制定を含む米日防衛協力のための新指針の勤勉な履行。
▼米日両国の三軍の確固たる協力。米国と日本は施設の共同使用拡大と訓練活動の統合に向けて努力すべきであり、また八一年に合意をみた軍の役割と任務を見直して、時代に即したものにすべきだ。両パートナーとも、古いパターンを踏襲するのではなく、現実に即した訓練に力を注ぐべきだ。また、長年の潜在的な脅威のほか、国際テロリズムや国境を越えた犯罪活動といった新たに出現しつつある難題への対処でいかに助け合うか、さらには平和維持および平和実現活動面でいかに協力するか、について明確な方針を打ち出すべきだ。
▼平和維持および人道援助活動への全面的な参加。日本は九二年に自ら課したこうした活動の自己規制を撤回し、他の平和維持活動参加国に負担をかけないようにする必要がある。
▼多用途性、機動性、柔軟性、多様性、生存能力を特色とする戦力構造の編成。いかなる調整も人為的な数字を基盤にすべきではなく、域内の安保環境を反映すべきである。このプロセスを進めるに当たり、戦力構成の調整は協議と対話のプロセスを通して行うべきで、相互に合意できるものでなければならない。米国は技術革新と地域の発展をうまく利用して、日本列島の駐留部隊を再編成すべきである。われわれは米国の能力を維持できる限り、日本における米軍の足跡を減らすよう努力すべきである。これには、米軍基地の整理統合の継続と、九六年のSACOの合意の早急な履行が含まれる。
▼米国の防衛技術の日本移転を優先事項にする。防衛技術は両国の同盟関係全体にとってなくてはならぬものと見なさなければならない。最先端軍事技術および軍民両用技術の相互移転を促すため、米国の防衛産業と日本企業とが戦略的提携を結ぶことを奨励すべきである。
▼米日ミサイル防衛協力の範囲拡大。
 
 われわれが日本のために提唱している役割拡大によって、米日両国では健全な論争が生まれてくる。そして米国の政府当局者と議員らは、すべての場合において、日本の政策が米国の政策と必ずしも一致するわけではないことを認識しなければならなくなる。今や責任分担が権力共有へと進化すべき時であり、これは、次期政権がこの実現のために少なからぬ時間を注ぎ込まなければならないことを意味している。








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